第2章 中継船団

 虚空域と呼ばれる世界と世界をつなぐ狭間を漂う、翔空士たちの街。それが中継船団だ。だがそれはセレスレーナが想像していた都市とはまったく異なるものだった。
 灰色の空の中に浮かんでいるのは、ひとかたまりになった大小さまざまな船だった。帆船もあれば小舟もある。船と船には手すりのついた橋や縄を渡し、甲板上には無数の灯火を掲げ、内部と思しき場所にも光が灯っている。船をつないで作った街、まさしく船団の名の通りだ。
 停泊はどうするのだろうと思ったら、港はなく船に船をつけるようだった。桟橋代わりの船には誘導員がいて、しっかりと船をつなぎ橋桁を架けてくれる。ディフリートはその誘導員に心づけらしい硬貨を渡しながら尋ねた。
「最近新しい世界は見つかったか?」
「いいや、残念ながら。最近はターレントーリスの奴らがどっかの世界で《蒼の一族》の遺産を手に入れてぼろ儲けしたらしいって話くらいだな」
「そうか。ありがとう」
 ブランシュのカルヴィン船長や船員たちとはここで別れることになった。無事に中継船団に到着できた彼らは、これから商品を整理し、補給をしたらまた別の世界へ翔空すると告げてディフリートに繰り返し感謝の言葉を述べていった。
「世界はあまりにも広いが、いつかまた出会うこともあるだろう。あんたたちに空の妖精のご加護がありますように」
 空の妖精というのが彼ら翔空士の守り神のようだ。ディフリートも同じ言葉を返していた。
 セレスレーナはディフリートに連れられ、中継船団を統括しているという翔空衛団の船へ向かった。シェラとカジとは別行動だ。ふたりはそれぞれに行くところがあるらしい。
 甲板を歩いていたかと思ったら船の中をくぐりぬけ、壁に開けられた穴から穴へと架かった揺れる橋を歩いていく。船がつながっていると思いがけないところに道があり、中空に浮かんでいるからかなり不安定な場所が多いが、ディフリートは慣れたものですいすいと先を行く。
 商店らしき船室やがやがやと賑やかな酒場、食堂などを横目に見ていると、道道の壁には『右方面・居住区』と書かれていたり、『修理屋・三階層最奥三〇四』と書かれた看板が立っていたりするが、これだけ巨大だと自分の居場所がわからなくてすぐに迷子になりそうだ。
 そんな風にきょろきょろしていたせいかディフリートが言った。
「ここじゃ迷子は日常茶飯事だから、迷ったらとにかく上へ行くこと、それからあそこに見える模様が描かれた帆を目指せ。あの帆柱の下にあるのが翔空衛団の本営だからな」
 指し示された方向にはほとんどが真っ白の帆の中でひとつ、模様のあるものが見える。
「あの翼? の模様の帆ね。何か意味があるものなの?」
「翔空士たちの守り神、空の妖精アリアマーレの羽だ。あんたの世界には、空にまつわる神や精霊の話があるだろう?」
 驚いた。確かにジェマリアには空に溶けて風を生み出すようになった女神の神話がある。
「どうして知っているの? 翔空士って神話にまで通じているの?」
「まさか。この虚空に連なる世界の共通点だからだ」
 首を傾げると歌うようにディフリートは言った。
「ひとつ、空にまつわる神霊の神話がある。ふたつ、訛りはあるが言語が共通している。翔空士の間では『空の妖精が風を運び言葉を運んだので、この世界のすべての者は同じ言語を話すようになった』と言われてる。だから翔空衛団は空の妖精の羽を紋章に掲げるようになった」
 中継船団の中心部にある巨大な帆船がその翔空衛団の本拠地だった。
 甲板にはセレスレーナが身につけているような胴着や脚衣といった動きやすい服装をした様々な年齢の男女が集まっている。白髪の頑健そうな老爺、髪の長い婀娜っぽい女性、小柄な少年。だが一番多いのは二十代から四十代の男性だろう。どうやらディフリートの顔馴染みもいたらしく何人かが名を呼んでくるのに手を挙げて応える。
「最近どうだ、何か面白いものは見つかったかい?」
「どうかな。これから面白くなりそうなものは見つけたが」
 すると笑いを含んだ視線がこちらに向けられたので、気付かないふりをして顔を背ける。くつくつと楽しそうに彼らは笑った。
「この空じゃ、俺たちの想像もつかないことが起こる」
 すると急に笑いを収めた年嵩の男が低く言った。
「空の妖精に愛されなければ空を翔けることはできない。嫌われないよう、気をつけるよ」
「そうだな、歌でも供えとくよ。じゃあな」
 ディフリートがそう言ってに進んだので、軽く会釈をして後に続いた。
 階段を降りていった先の開け放たれていた船室を覗き込む。
 正面には「受付」と書かれた長机があり、後ろの衝立の向こうではがさごそと人が動き回る気配がしていた。棚には本、机には紙があり、壁には大樹の絵と覚書が貼り付けられている。ディフリートは受付に座っているいかにも役人といった真面目そうな青年に声をかけた。
「翔空士登録をしたいんだが」
「じゃあこちらに記入をお願いします」
 ディフリートに手招きされて渡された紙面を覗き込む。黒く囲まれた枠には翔空士として登録する者の名前や年齢、性別、出身国や職業を書くようになっている。その下には乗船する船や船長の名前などを記入するところがあり、最後に登録者と船長の署名を書くところがあった。
「黒枠のところと署名だけ書いておいてくれ。わからない部分はそのままにして、あとで書けばいい」
「あなたはそれ、何を書いているの?」
「オーディオンに乗組員を増やすための申請と、怪我とか病気とか遭難したときのための保険の申し込み。これに入っておかないと、たとえば虚空域で船から落ちたときに捜索隊を出せなくて行方不明のまま、なんてことになる。ただでは救助できないからな」
 なんとなくぞっとするものを感じて青くなりながら、慌てて必要事項を記入していく。職業の部分は悩んだが『ジェマリア王国王女』とした。記入例として渡されたものにそういう風に書けと書いてあったからだ。
(……ということは翔空士には王族もいるということ?)
「おやあ? ディフリートじゃないか。受付で何してるんだい?」
 背後から声をかけられて、びっくりした。燃えるような赤い髪の長身の美女が立っていた。
 胸を強調して腰の細さを際立たせておきながら、道具が入ったごつい革帯をつけるという服装で、右目には眼帯をつけている。だがそれがまだ婀娜っぽく魅力的で、セレスレーナの描く『女海賊』がそのまま抜け出してきたかのようだった。
 彼女はディフリートの答えを聞く前にセレスレーナを見て、紙面を見て、大声をあげた。
「新しい翔空士を乗せるのか! へえ、可愛い子じゃないか」
 ディフリートは苦笑した。
「ルチル、何を想像したかは分かるがそういうのじゃない。たまたまうちの空船に乗ることになったんだ」
「だとしてもオーディオンに乗せるんだから普通の子じゃないだろう。ふうん、面白い。今手続き中なんだね、だったらあたしが面談してやるよ。おいで、お嬢ちゃん」
 肩を掴まれて無理やり連れて行かれそうになったので、思わず抵抗した。
「ちょっと、待ってください! あなたは誰なんですか? いきなりついてこいと言われても無理です」
 ルチルはあれっという顔をし、胸元につけている羽を模した飾りを持ち上げた。
「これを見ても分からない? あんたもしかして」
「こいつは異世界文化指数が低い世界から来たんだ。翔空衛団のことも、その飾りが翔空衛団代表の証だってことも知らない」
「代表?」
 そうだとディフリートは頷いた。
「彼女はルチル・アレッスタ。中継船団、そして翔空衛団代表だ」
 目を丸くするセレスレーナに、翔空士をまとめる女傑はにやりと笑った。
 彼女に連れられて受付室から離れた別室に行く。代表というのは本当らしく、すれ違う人がみんな彼女に会釈したり声をかけてきたりする。ルチルは「おう元気かい」などと気軽に挨拶を返して、セレスレーナを執務室だという部屋に導いた。
 船の最前方、舳先の真下にある窓を大きくとった室内は、立派な執務机と応接椅子の赤い色が眩いところだった。船らしく羅針盤や時計、天球儀などがあるのだがセレスレーナの知っている形ではなく、よくわからない装飾がついている。ほかには下方向に器がついた天秤とそれを置く箱や、巨大な喇叭水仙のような形の置物、虹色に光る円板など何に使うか分からなものも多い。そしてここにも大樹の絵が貼られてあった。
「そこに座って。茶は出せないからさっさと面談を済ましちまおう」
 応接椅子に腰掛けると、名前は年齢など先ほど紙に書いたのと同じことを尋ねられた。ひとつひとつ答えているとルチルは相槌を打ちながら机の表面に何度も目を落としている。なんだろうと覗き込んでみると、どうやらそこに浮かぶ文字を読んでいるようだ。
(どういう原理なんだろう。机の下から紙が送られてくるのかしら。それとも魔法?)
 空を飛ぶ船があるのだから文字が現れる魔法があっても不思議ではない。気付いたルチルがにやっとした。
「不思議かい? そうだろうね、あんたの世界は指数一だから」
「さっきも言っていたけれど、その『指数』って何ですか? なんだか無知であることを揶揄されているように感じるのですが」
 むっとして言い返すと、ルチルは真面目な顔で頭を下げた。
「悪い。指数一世界の人間が虚空域に来るのはめずらしいからついこういう言い方になる」
 ルチルは笑みを浮かべてさらさらと説明を口にした。
「指数っていうのは正しくは『異世界文化指数』という。その世界の文化がどの程度発展しているかを表すもので、ざっくりいうと『空を飛ぶ技術があるかどうか』を判断するものだよ。あんたがいた世界は指数一、つまり『空を飛ぶ技術はなく、それに準じる技術は未発達』ということだ。そんな世界の人間が虚空域に来ることは普通ありえないって分かるだろう?」
 空を飛ぶ船がなければこの中継船団に来ることはない。そもそも世界の外に別の世界が無数にあるという知識がない。ルチルはそう言っているのだ。セレスレーナは少し呆然とした。
(私のいた世界って、もしかしてとても狭かった……?)
「お詫びと言っちゃなんだが、翔空士の常識みたいなものを説明しておこう」
 ルチルは机から離れ、壁の大樹の絵の前に立った。まじまじと観察して、それが世界地図に当たるのだとようやく気づいた。
 一本の幹を中央に、根元に近いところからも何本も伸びた枝。枝になった果実に書き込まれているのは世界の名前のようだが聞いたこともない名ばかりで、右端に描かれた船団がこの中継船団だということだけはわかった。
「その昔、この連なる世界は《蒼の一族》と呼ばれる者たちが治める場所だった。世界を支える宝石を守っている、いうなれば神様だったのさ。だが一族の若者がその宝石を砕いたことによって、連なる世界は虚空域という混沌に包まれてしまった。そして砕かれた宝石はあらゆる場所に飛び散っていった」
 ルチルが指し示す地図の頂点には砕かれた石の破片がきらめき、その周囲から降り注ぐ流星が描かれている。
「生き残った《蒼の一族》は、連なる世界が虚空に飲まれることを防ぐために人の手を借りることにした。空を飛ぶ技術を与え、砕け散った石の欠片を回収するよう命じたんだ。石が元どおりになった暁には文明を発達させもっと豊かな生活を送れるようにすることを約束してね。――その石が《天空石》。回収人が翔空士の始まりさ」
 大樹の周りには船が飛んでいた。一つの帆を掲げる小舟、三本帆の帆船、そして四角い甲虫のような船と様々な形がある。
「以来何百年にも渡って翔空士はあらゆる世界を調査し、お互いが協力し合う自治組織を作って世界の安定を保ってきた。『異世界文化指数』は文明を守るための数値なんだよ。翔空士の心得の一つとして『指数の異なる世界に文明を流入させない』というものがあるくらいだからね。不必要に介入すれば世界の滅亡を招く。翔空士になるならまずそれを頭に叩き込んでおくんだ。いいね?」
 セレスレーナは頷いた。
「それはたとえば私が自分の国に戻っても、外の世界のものを持って帰ることはできないということですね?」
「そういうこと! 飲み込みが早くて助かるよ。ちなみに万が一持ち込んだ場合、発見され次第翔空衛団の取り締まり対象になって二度と空は飛べなくなるからそのつもりで。詳しくは翔空士手帳に書いてあるから読んでおくように。以上面接終わり! おめでとう、これであんたは翔空士だ」
 ぽいと手帳を投げられて慌てて受け止める。彼女のつけている翔空衛団の紋章が描かれた表紙を見ているとなんだか嬉しくなってきた。中を開いてみると細かな字がびっしり書いてあるので、後で読もうと決める。
 必要なものを受け取らなければならないというので、再び受付室へ向かうことになった。



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