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王宮を出た二名を追え、という指示を受け、ユメが準備に走り回っているとふと廊下の影に佇む女官の姿を見つけた。
真夫人付き筆頭女官のアイだった。彼女はこちらに気付き、足早に近付いてくる。いつもの笑顔にはない弱さが浮かぶ顔を見て、ユメは厳しいことを告げねばならない己を予想し、小さく息を吐いた。
「ユメ御前。天様のご様子は」
「小隊を率いると申されました。本格的に追われるおつもりのようです」
アイの顔はみるみる青ざめた。
「まさか真様を手にかけるなどということは……」
族長の妻たる真夫人が別の男と二人、王宮外へ出た。こんな悪天候で星のない視界の利かぬ夜に。外出すると公言したわけでもなく、まるで逃げるように。
この件に当たるほとんど人間は、アマーリエのことを「リリスから逃亡した」と思っているだろう。単に故郷が恋しくなっただけだと思いたいユメは、それがすでに自身の願望でしかないことを知っていた。
しかし主君夫妻の間に通い始めた思いを信じたかったし、アマーリエがそれに気付かずやすやすと背を向けてしまう愚かな人ではないと思いたかった。それからあの不器用な族長のことも。
「ない、とは言い切れませぬ。思いが深ければ深いほど、裏切りは強く心を傷つけることでしょう」
「御前。どうぞ、真様をお守りください。どちらも後悔なさいませんように」
アイが必死に訴えるのは気付いているからだ。
どちらが何を思い、心にどれだけ深くその花の根を張り巡らせているか。
「ご安心なされませ。いざとなったらわたくしが止めまする」
心得ていると頷き、待機している部下に向かって手を挙げる。そろそろ出なければ、主君が先に王宮を飛び出して行ってしまうことだろう。そうしてまだ青ざめているアイにふっと笑みを零した。
「まったく、人騒がせなご夫婦であらせられる。こちらから見れば互いに何を思っているか一目瞭然だというのに」
アイは一瞬息を飲み、白い顔にかすかな笑みを浮かべた。
「本当に。本当にそうですわね」
「しかし仕方のないことなのでしょう。初めてというのは、気付かない、告げられないものですから」
呼び声がする。キヨツグが現れたのだ。
ユメは自身の装備が緩んでいないか確認し、剣を軽く叩いてから、アイに向けて一礼した。
礼を返す彼女に微笑みを残して踵を返す。どうかあの細い糸を手繰るように思いを通わせようとする二人が、決定的に離別を選ぶことのないように祈りながら。
(天様。あの方はあなた様にとって大きな意味を持つ方です。ごく普通の弱さと秘めたる強さを持つあの方は、すべてに恵まれたあなた様に大いなる気付きを与えることでしょう)
見据えた先にいるキヨツグは常のように秀麗な面に何の感情も浮かべていなかったが、ユメには黒々とした炎と化しているように見えた。
「出る」
キヨツグが短く告げた。
追走劇の始まりだった。
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