―― 第 7 章 6 挿 話
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 行方不明だった族長夫妻の無事と帰還の知らせに王宮が湧いた。
 御典医である父リュウと母ハナは疲労し衰弱しているであろう両人を診察するために駆り出された。人手が欲しいと見習いたちにも声がかけられ、もちろんシキにも要請があったが医務室を空にできないからと居残りを申し出た。下手な見習いが残るよりはと判断されたため、その要求はすんなり受け入れられた。
 明るい日差しが差したような気配が王宮を満たしているのを感じながら、薬を調合する手も軽やかに動いた。予定されていた常備薬を作った後は、いくつかの香草を取り出して趣味の匂い袋を作り始める。
「……お祝いになればいいけどね」
 甘くて優しく、心を慰めるような香りになればいいと思いながら香草を選び、ひとりごちる。光、朝露、花、空、風。そういったものを思い浮かべてくれればと思う。それは彼女の世界の香りだ。彼女を包む優しい場所そのものなのだ。
 きっと、もうすぐ、彼女は気付く。
 根拠もないし確信でもないけれど、戻ってきたアマーリエはきっと何か新しいものを得ると思うのだ。
 光、朝露、花、空、風。
 示すことはできても与えてあげられなかったものを思い、シキは笑みをこぼした。 花や草から立ち上る香気に彼女の優しい笑顔を思い浮かべて、それが向けられる相手を想像する。落ちてしまった寂しさは胸を切なく締め付けた。
「イイ匂いだな」
 声に振り返ると、マサキが入り口に身体をもたれかけていた。いつもの茶化すような声色だが明るい表情ではなく、年齢や立場にふさわしい落ち着いた顔つきをしていた。
「あいつが好きそう。お前、こういうの作る方が向いてるんじゃねえ?」
「さあ。好きなことは確かですが。それよりも出歩いていていいんですか?」
 マサキがアマーリエとともに王宮を騒がせたことは記憶に新しい。しばらく陰鬱だった王宮の空気は彼らが起こしたその行動に原因があった。
「こういうときだから構わねえだろ。あいつはいま王宮にいないんだし」
 皮肉げに笑う彼には影がある。
 同じものをわずかに共有するシキは少しだけ笑みを刻んでそれ以上は言わないでおいた。多分彼にも彼女に何が起こったのか知らせが入ったのだろう。
 川遊びが終わろうというとき、アマーリエは川に落ちてしまったらしい。
 それを族長であるキヨツグ自ら川に飛び込み、そのまま二人とも行方知れずとなってしまった。それがまたモルグ族が潜伏していてもおかしくない森林のある下流地帯だったため大掛かりな捜索が行われたようだ。その甲斐があったのか今朝発見されたという報告がもたらされていた。
 先のマサキとの一件で不仲説が囁かれていた二人の無事を複雑に聞いたのは若干名。大多数はアマーリエを救おうとしたキヨツグの度量の深さを賞賛している。アマーリエに向けて個人的な思いを抱いたのはマサキとシキくらいだろうか。
 アマーリエが無事で、二人がぎこちなくなってしまっていた関係を修復させたらしいことは、喜ばないわけではないが、寂しい。祝福しないわけではない。ただ再会した彼女は以前の彼女ではない、それが切ないのだった。
 シキはまだそこに立ってぼんやりとしているマサキに声をかけた。
「別に邪魔をしなければここにいてくださって構いませんよ。お茶を飲ませてくださるならいつでもおいでください」
「労働ありきかよ。ちょっとは気ィ使えよ」
 ちっと舌打ちした彼は、しかし律儀なことに机のどこかに埋まっている茶器を探し始めた。
 がさごそと部屋を探る音を聞きながら、シキはアマーリエのことを思い浮かべる。
『ご、ごめんなさい、なんだか新婚さんみたいな言い方だと思って』
 あんな風に噴き出すアマーリエはいなくなっているのだろう。
 この小さな痛みを忘れるまで、シキはしばらく、アマーリエの顔は見れないなと思った。

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