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 そのような出来事を経て、王宮に帰還したリオンは、早速キヨツグの呼び出しを受けた。北部の木材を使った積み木をコウセツに、兎の毛皮の手袋をアマーリエへの土産に持ち帰ったのだが、渡すのはしばらく後になりそうだ。
 執務室に出向いたリオンは、北方での顔合わせや、離宮の模様替えについて報告し、亜種を含めた狼の群に襲われ、野生動物が活発化していると注意を促した。
「餌を求めて南下してくる可能性があります。移動する者たちには警告しておいた方がいい」
「わかった。知らせておく」
 そう答えたキヨツグは、リオンの顔をじっと見た。
「花婿との顔合わせはどうだった」
 リオンは呆れた。わざと黙っていたのに、本当に部下たちは報告したらしい。もしくは、キヨツグが事前に耳となる者をあちらに放っているか。
「どうとは?」
「上手くやれそうか。ならば良い」
 後者だな、とリオンは確信を深めた。でなければ、リオンとアシュがどのような雰囲気だったかを知って、そのように話を打ち切るはずがない。北方は派閥が割れているので、仕方がないとはいえ、お目付け役の存在を知ったからにはなかなか気を抜けなさそうだ。
「上手くやれる、とお思いですか。私は先方にとって仇だが」
「それはあちらも同じこと。ゆえに、お前たちはお互いを守り合うのだろう。上手くやれぬはずがない」
「妙な期待をかけないでもらいたい。ご自分の例を思い出すといい」
 言い返されたキヨツグが、唇の端をほんのわずか持ち上げる。そうやって笑えるいまがある、その余裕にむかっ腹が立った。そうなるまでにどれほどの人間を巻き込んだと思っている。
 しかしそれが、いわゆる煽りであるとわかってもいたので、リオンは半目になってキヨツグを見下げた。
「上手くやれたところで情勢如何では離婚もありうる、という言葉を贈ります。兄上」
「いまさら恐いものなどない、と返しておく」
 ちっと舌打ちした。それはそうだろうとも。あのような事態になっておきながら、無事妻を取り返したのだから、これ以上何が起こったとしても手段を選ばぬ蛮勇でなんとかしてしまうことだろう。いい迷惑だ。
「…………」
 その迷惑極まりない片割れが、ふと、探るように中空を見た。何事か問うよりも早く席を立ち、あっという間に部屋を出て行ってしまう。
「……天様? 天様、どうなされた。……おい!」
 供も連れずに足早に進むキヨツグを、護衛官の代わりにリオンが追いかける。向かう先は、どうやら真夫人の宮のようだ。脇目も振らずに進みながら、キヨツグが言う。
「リオン。抜刀を許可する」
 そこで巫山戯るほどリオンも馬鹿ではない。柄に手をかけつつ、万が一の暗器の位置を思い出しながら尋ねた。
「義姉上に何か」
「わからぬ。だが、心乱れているのを感じる」
 いつの間にやら謎めいた特殊能力を持つようになったらしい。遠く離れたアマーリエの動揺を感じ取ったキヨツグの後に続きながら、リオンもなるべく気配を殺す。敵襲ならば、気取られぬ方が有利だ。
 だがそれよりも早く、アマーリエの護衛に就いている新人武官がこちらを見つけた。
「天様! ちょうどそちらに参るところでした」
「何があった」
 武官が話を始めようとしたとき、アマーリエの部屋の方から、リオンの聞き知った声が届く。
 反射的に飛び出したリオンは、早足でその場に駆けつけ、室内にあった銀色の頭目掛けて、帯から抜いた鞘に収まったままの剣を思いきり降り下ろした。
 ――がごんっ!
「――何ぞ申し開きはあるか?」
 しん、と静まり返ったそこでは、リオンの声は冷え冷えと、地を這うように響く。
 殴られた頭を擦りながら、アシュは振り返り、唇を尖らせた。
「痛いぞ、リオン。奇襲ではあるまいし、呼び掛けるにしてももう少し加減してくれ」
「誠心誠意殴ったんだ、痴れ者が」
 心から憐れむ微笑みを浮かべると、音に驚いて跳ねてから硬直しきりだったアマーリエが、こちらを見比べておろおろとする。
「り、リオン殿、その、乱暴は……」
「真殿、これは躾です。聞く耳持たぬ者には、力尽くで言い聞かせるしかありません」
 浮かぶ青筋を見て取ったのか、アマーリエは眉尻を下げて困った顔をした。リオンはざっと、周りの女官や護衛官がそれぞれ緊張しつつアシュの動向を見守っているのを確認し、彼の襟首を引っ掴んだ。
「来い。何の用か聞くくらいはしてやる」
「部屋に誘ってくれるのか? なかなか大胆だな」
 リオンが問答無用で蹴りを繰り出すと、次の瞬間、アシュはリオンの手から逃れ、ひらりと攻撃を躱した。
 長引くと思われた戦いが始まる前に、それを終わらせたのはキヨツグだった。
「それ以上、我が領域を騒がせることは許さぬ」
 他の者たちが一斉に頭を下げる。アマーリエは目礼し、リオンは一応、飛びかかろうとしていた構えを解いた。たった一人、敵地にいるはずのアシュだけが、どこか面白そうにキヨツグに真っ向から対する。
 二人の色彩は、対のようでまったく異なる。似たような一対にキヨツグとオウギがあったが、彼らが鏡写しの対局であったなら、キヨツグとアシュは比較すらできないほど別種の存在のように思われた。空と獣、夜と刃、統治者と死、そんなようなものだ。
 しかし、異国の長を前にして、アシュは無礼を働く男ではなかった。余裕そうに笑いながら、その場に膝をつき、拳を下ろす。モルグ族の礼だった。
「モルグ族の牙の民、アシュ・ラ・ホウと申す。リリス族長キヨツグ・シェン殿とお見受けする」
「如何にも」
「族長殿の領域を不用意に乱したこと、まずお詫び申し上げる。そして此の度、妹姫リオン殿を我が花嫁と迎える許しに、心より感謝を」
 左拳を右手のひらで受け止め、高く掲げると、深々と一礼する。そうすると、異種族の若長らしく悔しいほどに堂々と様になっている。数人の女官から、ほうっという感嘆の吐息が漏れたが、すでに一撃見舞っているリオンは、いまさら取り繕ったところで、と苦々しく思う。
 キヨツグは鷹揚に頷きはしたものの、相手を見定める眼差しを和らげることはない。
「アシュ・ラ・ホウに問う。何故我が妻の宮にいるのか。その方を招いた覚えはない」
「不快に思われるのも致し方ない。こちらも、姿を現すつもりはなかったのだが」
 そう言って、アシュは説明を始めようとするので、キヨツグは集まっていた護衛官や武官たちを元の配置に戻るよう指示し、女官たちを散らし、関係者たちを各々座らせ、騒ぎを一旦収めた。
 そこに残ったのは、キヨツグ、アマーリエ、アシュ、そしてリオン。必要最低限の世話をする女官と護衛官数名だ。
(おかしな状況になったものだ。戦で戦った敵であり婚約者であるモルグ族のアシュと私が、義兄夫婦とこのように卓を囲むとは)
 目の前に出された花茶と餡で包んだ菓子が、どうしても違和感しかなく、手をつける気にもならない。
「改めて、数々の無礼をお詫びする。今日ここに来たのは、リオンが無事に戻ったか確かめるためで、様子を見たらすぐに立ち去るつもりだったのだ」
「無事」
「獣の群れに襲撃された後に昏倒した。我が一族の『はぐれ』だったゆえ、俺は長から処分を命じられて彼奴らを追いかけていたのだが、いま一歩遅かったらしい。単身での戦いが余程きつかったと見えたので、予後が心配でな」
 あっと思ったときには遅い。リオンが倒れたことを、アシュはぺろっと喋ってしまった。しかも彼の主観に基づいているので、多少事実と異なっている。キヨツグに確認の視線を向けられ、リオンはため息をついた。
「おおむね正しいが、間違っている。昏倒したのは、酒宴が明けた朝で酔いは覚めてはいたが一睡もしていないところに激しく消耗したからだ。野の獣ごときに遅れを取ったわけではない」
「戦場ならそのようなことはなかっただろう?」
 アシュに言われて、リオンは目元をひくつかせた。確かに、平和に慣れていつもの緊張感を失っていたのも理由の一端だ。
 しかしそれだけではないと、リオンは知っている。絶対に言うつもりはないが。
 苛立ちと余裕と、静観と、混沌とし始めた空気を破ったのは、柔らかなアマーリエの言葉だった。
「そうだったんですね、すみません。見知らぬ方がいたのでつい声をかけてしまって」
 自室で打ち合わせ等を行なっていたところ、庭先に見慣れぬ人影があったので声をかけたという。その瞬間まで誰一人としてアシュの存在に気付かず、アマーリエの声がけに驚き、侵入者とわかるや否や大騒ぎになったらしい。若手の護衛官が密かにキヨツグの元へと放たれ、リオンを伴った彼と廊下にて行き合わせたという状況だったようだ。
「真、謝ることはない。侵入者に声を上げるのは正しい反応だ。しかしリオンの様子を見るだけなら、何故妻のもとに現れたのか」
 視線鋭く問われて、アシュは気まずそうに後ろ頭をかき混ぜた。
「申し訳ない、好奇心が勝ってしまった。次の長の恩人とはどのような女性(にょしょう)か、見てみたくなってな」
 次の長とは、当代の実子で、アシュの年の離れた妹に当たる。父親が違い、異父妹なのだそうだ。
 だがアマーリエはいまいちぴんと来ていないらしく、小首を傾げている。
「モルグ族の長には、その理由で度々助けていただいていますけれど、申し訳ないのですが当たりがなくて……」
「彼女は抜きん出た力の持ち主ゆえ、大方姿を変えていたのだろう。であるなら無理もない」
 だがその能力の詳細は語らない。モルグ族の機密として当代族長の能力も秘められているので、明かさぬ習いらしい。
「モルグ族は、獣を自由自在に従える能力、また己が身を動物に変えたり、見えなくする能力がある。なれば、次期長というのは多様な力を操る人物だと思う」
 この中では恐らく最もモルグ族と接する機会の多かったリオンが説明を添えると、アマーリエはいまいち実感が伴っていないようだ。受け止められなかったわけではなさそうだが、そういうものなのかと不思議そうにしている。
「……だったら、川遊びのときのあの()がそうだったのかな……?」
「異父兄として、そして一族の者として、俺からも御礼申し上げる。異父妹を救ってくださり、ありがとうございました」
 頭を下げられ、アマーリエは慌てたように両手を振った。
「いえ、そんな。こちらこそ、皆様方によくお礼を申し上げてくださいませ」
 困り顔で微笑んだアマーリエが頭を下げたのを頃合いと見て、リオンは立ち上がる。
「さあ、これで用は済んだだろう。送っていってやるからさっさと失せろ」
「何故追い出したがる?」
「これ以上お前がここにいると、絆された真夫人が気遣いを見せるからだ」
 えっ、とアマーリエは戸惑いの声を発した。礼儀正しいモルグ族の若長に、相応の礼儀でもって接するがゆえに、このままだと夕食はどうかと勧めるだろうし、遅くなれば泊まればいいと言い出す可能性がある。彼女の常識的な優しさをリオンは理解しているつもりだ。そしてアシュは、そうした隙を見逃さない。
 リオンが見つめると、アシュはにやっとした。やっぱり、何事か企んでいたようだ。
「そのように言われては、暇請いをするほかない。今回は突発的な訪問となったが、また改めて正面から挨拶に参ろう」
「そのときは歓迎する」
 キヨツグが言い、アシュは族長夫妻に深々と頭を下げ、リオンとともに王宮を出た。

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