―― 双 翼 の 君
<<  |    |  >>

 似ている、と思うときがある。
 明確なものはない。見た目も持つ色彩も立ち居振る舞いも何もかも、アマーリエ・エリカという娘はオウギの思い描く者と正反対の位置にいる、非常に無力でか弱い、儚い存在だ。唯一共通しているのは、その存在が世界を変えうる可能性を秘めているということか。
 ごく普通であるはずの娘の恋情がこの世と人の心を変えた。かつてありふれた存在であった少女剣士が世界の守護者と呼ばれるに至ったように。
 だからつい絆されてしまったのだろう。
 どれだけ密かにリリスの王宮に参ろうとも何故か必ずオウギを見出すアマーリエ・エリカは、自室に戻る途中にこちらを見つけ「ご無沙汰しております」と声をかけると「お茶でもいかがですか?」と微笑んだ。
 この世ならざる存在となりつつあるせいか世界に溶けやすい性質を帯びてきたオウギは、意識しなければ顔や姿形を記憶させることができない。先ほどまでオウギと話していた人間が、別の誰かにオウギの顔や印象を語ろうと試みても上手く説明できない、そんな状態になるようだ。
 命ある者としての存在が希薄になっているのだろう。空や風や大気のように、オウギは誰よりもこの世界の一部に近しい。
 だがそんなオウギを見出す稀なる者の一人が、このアマーリエなのだった。
「お茶請けは甘いものと塩辛いもの、どちらがいいですか?」
「必要ない」
 はっきり断ればよかったものを、その言葉を口にすることができず、誘われるままに彼女の宮の庭を眺める縁側で茶を啜ることになってしまう。
 茶を飲めば帰るつもりだったので端的に答えると、アマーリエはにこにこしながらしばらくして饅頭と塩を塗した炒り豆を出してきた。
 こういうところだ。オウギは小さく息を吐く。必要ないと言ったのに両方用意する。別に食べても食べなくてもいい、そういう気遣いは何故か慕わしいあれのことを連想させるのだ。
 そうしてアマーリエはオウギの隣に座ってのんびりと同じ茶を飲んでいる。
 人払いされて二人きり、会話はないのにずいぶん寛いだ様子だ。愛想のない自覚があるだけにアマーリエが沈黙を苦痛と感じていないのが不思議だが、これもやはりあれに近しいからなのかもしれない。
 落ち着いて茶を飲むのはずいぶん久しぶりだ。食事をせずとも機能する身体ではあるが、下界の茶は美味かった。
 キヨツグの補佐についてから、そしてこの数年、何かと騒がしい時間を過ごしていた。まるでただ人に戻ったかのように、イン家のユメのように武門の子らを指導し、族長やその親族を導き、政を補佐してきた。そしてこの三年ほどはこのアマーリエも絡んだ事情で、長らく遠ざかっていた同胞とともに古い力を行使した。
(世界が変わるときをまたこの目で見た)
 もう誰も覚えていないような誓約によって生かされていると、何度もこのような瞬間に立ち会う。この娘も、と視線を走らせると、目が合い、微笑まれた。
 かつて竜約と呼ばれた古い誓いは、血の濃さや資格を持つ者の減少のために失われつつある秘儀だ。それをごく普通の娘であるアマーリエが成立させられたのは奇跡としか言いようがないが、自分たちも似たようなものだっただけに、これから起こることが容易く想像できてしまう。
 この娘もまた、世界が変わるときをその目で見る。
 そしてその片割れは、自らの生と業に彼女を巻き込んだことを幾久しく悔いるのだ。
「息災か」
 自責と、褪せぬ後悔と、有り余る生を満たす喜びを思い、かすかな後ろめたさと気がかりから口を開くと、アマーリエは問いを吟味するようにゆっくりと首を傾げた。
「キヨツグ様は相変わらず多忙でいらっしゃいますが、元気です。よく私やコウセツの様子を見に来てくださいます。視察や調停で外出されることも多くなりましたが、その分、以前に比べてお休みを取るようにしているようですよ」
「…………」
「ああ、コウセツも毎日元気いっぱいです。乳母や女官たちに可愛がられて、ずいぶん語彙が増えました。不思議な力のある子なのでそういう意味では目が離せませんけれど、リリスの子にしては丈夫なのかほとんど風邪を引かないんです」
「…………」
 話が止まる。無反応にしているにも関わらずにこにこしているアマーリエは、オウギは静かに深くため息を吐いた。
「それだけか?」
「はい。……何か気になることがありましたか?」
「お前だ」
 アマーリエはきょとんと無垢な表情になった。
「キヨツグとコウセツは息災だとわかった。お前は?」
 それまでの微笑が焦りと動揺に変わる。その表情で、自分が話題に含まれるわけがないと考えていたことがわかった。
「わ、私ですか? お、おかげさまで元気です。ご心配くださってありがとうございます……」
 元気ならいい。オウギは満足して頷いた。
 政治家の娘だが跡を継ぐ必要がない文化で育ったアマーリエは、リリス族の長の花嫁に迎えられ、いまでは慣れない政に携わるようになった。このように一人きりになれる時間はさほど多くはなく、どこへ行こうともお付きや護衛の目がある。異なる種族の国での暮らしに心身を疲弊させ、キヨツグとの諍いで悄然としていた頃を思えば、こうしてオウギの隣でにこにこしながら茶を飲んでいるのだからその答えに嘘偽りはないのだろう。
 その身が人ならざる者に変わっても、健やかならば。
 困惑と滲む喜びに淡い微笑みを浮かべる姿は、あれとはまったく似ていない。あれと出会う前に親密であったごく普通の女たちと変わらない、心に残らない存在のはず。
 だというのに気にかかって仕方がない。
「そういえば、どうお呼びすればいいですか?」
 オウギは銀に光る目を向けた。
「呼ぶ?」
「以前のように『オウギ』の名でお呼びするのは失礼ではないかと思って……」
 長く生きていると役割に応じて別名が必要となるが、オウギはその一つで、偽名というわけでもない。しかし本名として扱っている名があり、アマーリエはそのことを言っているのだろう。それを教えたのはこの娘に似ていてまったく似ていないあれしかいない。
 別に、とオウギは答えた。
「好きに呼べ。呼び名がいくつあろうと困りはせん」
「ではお義父様とお呼びしましょうか」
 大きく噎せた。
 差し出された手巾を断って「目で殺すつもりか」と評判の睨み顔になるが、アマーリエはまったく怯んだ様子はなく「だから聞いたのに」と困ったような申し訳なさそうな顔をしている。
「オウギか、センでいい」
「わかりました。では、セン様とお呼びします」
 いささかむず痒いが返事をしてしまったのだから仕方がない。そのとき、はたと気付いた。
 この娘とあれの共通点――種族が違うこと。
 生物として身体と能力が劣る存在であるということが同じなのだ。そのせいで自分は結果的に強く出られないのだとやっとわかった。種族的特徴である能力は当時と比べて減退しているが、対の者たり得る存在への本能は未だ残っているらしい。アマーリエに覚える慈しみと親しみの理由がようやく理解できた。
(これは逆えんはずだ……)
 愚直すぎる思い。信じるものを抱いた向こう見ずな言動。何もかも受け止めようとする許し。弱者が持ち、強者が持ち得ぬ強さに否応なしに惹かれてしまう。
「お茶のおかわりはいかがですか?」
 茶器を手にしたアマーリエに、オウギは『あれ』――命山にいる妻を思って目を細めた。あれならきっと『お義母様』と呼ばれて喜ぶに違いない。



初出:20141010
改訂版:20220810

<<  |    |  >>



|  HOME  |