王宮の大聖堂にやってきたエルセリスを最初に見つけたのはアトリーナだった。ドレスの豪奢な裾をさばいて「エルセリス!」と名を呼んでやってくる。
「久しぶり、アトリーナ」
「ごきげんよう。具合はどうなの? もう出てきても大丈夫なのね?」
「おかげさまで式に出席できるくらいには回復したよ。お見舞いの品、ありがとう。食べ物をくれるなんてやっぱりアトリーナはよくわかってるね」
「うちの料理人が作った林檎パイよ。あなたにとって体力回復には食べ物がいちばんでしょう」
あの日、儀式の終了をエルセリスは見届けることができなかった。最後に昏倒したからだ。だからこれは自宅で療養していたのを見舞いにきてくれたエドリックとウィザードから聞いた話になる。
エルセリスが倒れた後、往路に待機していた騎士隊を連れてアトリーナが戻ってきた。そこには這いずるようにしてエルセリスを助け起こそうとするネビンがいて、彼はアトリーナに典礼官たちを襲った術師の力を祓うための歌を要請した。
彼女が歌声を響かせると、魔気がすでに弱まっていたおかげもあって典礼官たちは無事目を覚まし、塔に守護の力が宿ったことを確認したそうだ。
成功を見届けた典礼官たちは負傷者を含めて全員帰還することとなった。重傷を負ったネビン、ぼろぼろで意識のないエルセリスとオルヴェインは医師の診察を受けてすぐさま休養となった。
エルセリスが目を覚ましたのは首都に戻った翌日だ。全身が筋肉痛でずきずきするし、身体は重くてたまらないし、何よりまったく体力が残っていないせいで大病した直後のように起き上がれなくなってしまった。
それでも「早く報告しなければならない」と両親を説き伏せて、やっとエドリックとヴィザードが来てくれたおかげで、ようやくエルセリスはあのとき何が起こっていたのかを話すことができた。時の神の声を聞いたことは伏せたが、エドリックは何かを察したのか。
『お前は役目を果たした、そう上に伝えておく』
と言って帰っていった。
その後は寝るか食べるかの二択だ。事後処理で忙しいアトリーナが家の人を通じて林檎のパイを差し入れてくれ、応援団の人たちからは花や暇つぶしの本などが贈られてきた。そうして療養生活は半月に及び、体力が戻ってきた頃合いを見計らって鍛錬を再開して体力を取り戻すために励んだ。
そろそろ出仕できそうだというところで、典礼官を表彰する今日の話を聞いた。
封印塔設置の初期段階を終了させた諸官を国王から表彰するその式が、エルセリスの復帰一日目になったのだった。
久しぶりに制服に袖を通し、式典なので普段は略している外套をつけている。折れた聖具は役目を果たしたものとして供養され、いまは新しいものを腰に帯びていた。
「エルセリスさん、間に合ったんですね」
奏官と話していたネビンがこちらにやってきた。そう言う彼の頬には細い切り傷が残ったままだ。
「うん、なんとか。それよりもネビンは大丈夫なの? 表彰、代表で受けることになったんでしょう」
エルセリスの言葉に「うっ」と胸を押さえてネビンはよろめいた。
「そ、そうなんですよぅ! なんで僕なんですか? どうして僕が代表なんですか!? 儀式を終わらせたのはエルセリスさんなのに!」
「そりゃあ、いちばん頑張ったのはネビンだったからでしょう」
確かに最終的に儀式をやり遂げたのはエルセリスだったかもしれないが、術師の襲撃に遭いながらもエルセリスを守ろうとしたネビンは最大の功労者だろう。彼がいなければエルセリスは儀式半ばで殺されていた可能性がある。
「そうして倒れていたあなたを助けたのは私なんだけれどね?」
「知ってるよ。感謝してる。だからネビンと一緒に表彰を受けるんでしょう?」
そんなアトリーナは、ネビンが代表で表彰される際に副賞を受け取る補佐としてともに立つ栄誉に預かる予定だと聞いていた。
「友人としても同僚としても誇らしいよ。おめでとう」
するとふたりは意外そうに顔を見合わせた。
「悔しいとは思わないの? 最後の祈りを捧げたのはあなたなのに」
「そうですよ! 受け取るのが僕たちだけっていうのはやっぱり変です!」
だがエルセリスは首を振った。
「実のところそんなに悔しくないんだ。いろんな偶然が重なって私がそこに届いただけであって、何かがひとつ違えばそれはネビンだったしアトリーナだったと思う。だからいま表彰される方が逆に悔しいんだ」
まごう事なき本心だった。エルセリスは最高の剣舞を舞ったと自負しているけれど、それは自力でたどり着けたわけではなく、様々な要因があった結果だ。自分が完璧にそこを目指せなければ、これまで公言していた「神の力を目覚めさせられる」聖務官とは名乗れない。
アトリーナは呆れた様子で微笑し、ネビンを笑った。
「ですってよ。ネビン、あなたが代表になれるのは今回だけかもしれないわね?」
「ま、負けません!」
ネビンは大きく言って拳を握りしめた。
「次は、僕が表彰されるにふさわしいって、みなさんも僕自身も思えるように舞います」
それは好敵手の宣言。
エルセリスもアトリーナも笑っていた。
「後ろから『絶対勝つ』って念を送っておくから覚悟しておいて」
そうして時間が近付き、さだめられた席について開式を待っていると、奥に据えられていた席に式官に伴われた王族の人々が姿を現した。アルフリードの隣に黒衣のオルヴェインの姿を見つけることができて、エルセリスはほっと安堵の息を吐く。
彼もまた長く目覚めずにいたが、エルセリスの半日後に意識を取り戻したらしい。だが彼もまた衰弱が激しく、長期療養が必要だということで、ずっと表に姿を現していなかったそうだ。今日は典礼官の式典だから無理を押してきたのだろう、立つのではなく用意された椅子にひとり座るよう促されている。
(ちょっとやつれた感じだけど、まあまあ元気そうだ)
視線に気付いたのはアルフリードの方が早かった。彼が屈むようにしてささやきかけた途端、オルヴェインがものすごい勢いでこちらを見た。
直に目が合うとどきりと胸が鳴って身構えてしまったが、場所が場所だけに手を振ることはせず、微笑みだけを向けた。
いちばん聞かなければならないことはまだ聞けていなかった。
オルヴェインが何か言いかけたとき、大聖堂の鐘が鳴り響き、表彰式の開始が宣言されたので、エルセリスたちは正面を向かざるを得なくなった。
「――……封印塔国マリスティリアは、大いなる一歩を踏み出した。神々が去ったことで失われた守護の力を、再び我らの手でひとつ、大地に宿す日が来たのだ」
この封印塔によって街がひとつ生まれるだろう。人の暮らす場所がまた大きく広がったのだ。
典礼官代表であるネビンが国王から勲章を授与される。また副賞としてネビンの聖具を模した宝石の杖が贈られ、アトリーナが受け取った。
「そなたらの祈りの下に人が集まり、街が生まれ、封印塔は栄えることであろう。去った神々がいつか戻ってくるときもあるやもしれぬ。守護者たれ、諸官よ。聖なる務めを果たし、この国を支えてほしい」
「必ず」
ネビンの力強い声がそれに応えた。
「聖なる務めを果たします。この身が続く限り。祈りとともに」
「祈りとともに」
典礼官が誓うと、続いて祈りの歌が演奏された。
国王の代理として大臣のひとりが、典礼官に引き続き等を維持するために尽力せよと求めた。これに応えたのは典礼官長官代理として立ったエドリックだ。
「封印塔設置に向けて力を尽くし、また引き続き国の守護の要となることを誓います」
場慣れした様子で堂々と返礼し、表彰式は終了となった。
典礼官たちが席を立つ。これから公署に戻って仕事をする者、半休になったので自宅に帰る者、そのほか用事がある者とそれぞれ行くところがあったが、エルセリスはそれらに続かず足を止めた。
「ごめん。行くところがあるから先に戻ってて」
アトリーナとネビンは足を止め、何か決意をみなぎらせるエルセリスに微笑んだ。
「あまり遅くならないうちに戻ってくるのよ。夜は祝賀会をやると言っていたから」
「先に行って待ってますね」
彼女たちを見送り、人の波に逆らってエルセリスは再び大聖堂に入った。
がらんとしたそこには王族に付く侍従が立っていて、エルセリスに目礼した後、ついてくるよう視線を促し、奥へと歩き出した。
外宮から内宮へ移動し、連れてこられたのはあの四季の庭園だった。
案内役はすぐに姿を消し、エルセリスは待ち人に近付いていって、ゆっくりと頭を下げた。
「遅くなって申し訳ありません」
「思ったよりも元気そうだ。表彰式に参加できてなによりだね」
式典での装いのままアルフリードは微笑んだ。
「ご心配痛み入ります。また長らくご報告できなかったことをお詫び申し上げます」
「では報告を聞かせてもらおうか」
エルセリスは、エドリックたちに行った報告をなぞりながら、時の神との邂逅とその不可思議な言葉についてアルフリードに説明した。すでに他から聞いている内容もあったのだろう、特に詳細な説明は求められなかった。
「『どうかいま一度我らを呼んでおくれ』……か」
彼は静かに繰り返して、反応をうかがっているエルセリスを見ることなくひとりごちた。
「世界を巡って、人間と半神は争った。しかし人間は塔を破壊し、神の力を消滅させることによって半神の力を奪って戦いの終結を図った。いわば人間は神に牙を剥いたのだ。けれど……」
いまでもそなたらを愛している、と時の神は言った。
「もし時の神の言うことが真実であれば、それは素晴らしい祝福だね」
笑みと共に告げられたそれに「はい」とエルセリスは首肯した。
私たちが神々に呼びかけ続ける限り、いつか声は届くかもしれない。奇跡を呼び寄せられる可能性が自分たちにあるのだと信じることができるそれは、これからも人々を迷うことなく目指すところへ歩むための希望になる。
「時の神の名は聞いたの?」
「いいえ」
「そう。なら君の見たものは時の神の影のようなものかもしれない。この世界に焼きついた祈りの残滓が、人間を導くために祈人に呼びかけたのだろう。君が真に名を聞くときこそ時の神が塔に戻ってくる。励みたまえ、ガーディラン聖務官」
「はっ。この身が続く限り、聖なる務めを果たします」
「まあ王族の一員になったら禁書を読んで知る機会があるんだけれど。そうなる日もそう遠くはなさそうだね」
敬礼をしながらエルセリスは顔をしかめた。
「……はい……?」
「弟嫁か。どうやって可愛がろうかな」
アルフリードに弟はひとりだけで、その弟が懸想しているのは……。
「っ!? で、でんかっ」
「今日は無礼講だ。好きに王宮内を歩くといい。ちなみにオルヴェインはあちらに庭にいる。不純な交遊は避けてもらえると風紀的に助かるが、時と場合によるかな」
エルセリスが真っ赤になって口をぱくぱくさせているのを笑って、アルフリードは鮮やかに言った。
「下がりたまえ、エルセリス・ガーディラン」
もつれた辞去を述べ、エルセリスは逃げ出すようにその場を後にした。
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