13. 放たれる敵意
その日は日の光が強く降り注いでくる曇りのない晴天だった。女官たちが用意してくれた白い外出着は涼しかったが、身に付けさせられた貴金属は大層重い。目を落とすと日の光を弾いて視界に強く跡を残す。
都の外に広がる草原である。王都には、街を二つに分けるように大河が流れている。その恩恵で都に周囲には豊かな緑があった。水の女神の守護大陸であるナリアエルカだが恵まれているのは河川がある地域で、その他は乾いている場所が多い。学者たちは、この王都を流れる大河こそが女神であり象徴であって、その為にこの大陸が水の神の守護大陸と呼ばれるのだ、と論じる者もいる。
その恵まれた草原で、王が狩猟の会を行うという。王妃候補たちにそれが告げられ、王に同行するために外出の許可が下りたのだった。
カリス・ルーク様にお目通りが叶うとオルハ・サイが前日から大喜びしていたのを微笑ましく思って、リワム・リラは全く捉えることができない列の先頭にいるカリス・ルークとウィリアム・リークッドを思い浮かべて被り物の下で小さく息を吐く。
「なんなの、まったく。これじゃ、カリス・ルーク様が見えないわ!」
オルハ・サイは不満げに爪を噛み、前へ出て行こうとして武官に止められていた。
リワム・リラも言いたいことの大意は彼女と同じようなものだった。やはり会う気がないのだわ、と寂しさが込み上げる。
望むのは普通のこと。会って、話して、笑って。ほんの少しでもそれが出来れば、きっと胸に抱いていけるのに。
弾けるような笑い声が聞こえてそちらを向いた。キール・シェムを始めとした三人は、優雅に陰に入って武官たちと話している。キール・シェムは遠目から分かる太陽の花のような色の衣装に身を包み、晒した細身でありながら肉感的な身体にきらめく金銀宝石を身に付けていた。黒い縁取りの目を猫のように細めて、微笑する表情は艶を持ちつつ女性としての余裕がある。ため息が出るくらいの美女ぶりだった。
リワム・リラは女官たちが自分を飾り立てた理由が分かった気がした。確かに鮮やかな衣装ときらめく宝石は目に留まりやすい。キール・シェムには早くも崇拝者が付き、先頭で行われている王たちの狩りに近付けない下級官吏たちの視線を釘付けにしている。
「つまらないわ、本当に」
オルハ・サイが馬上で子どものように唇を尖らす。
「これではわたしがカリス・ルーク様の目に留まらないわ」
フィルライン風のドレスを着て、日傘までもフィルライン風に揃えたオルハ・サイはぶつぶつと呟いている。そして不意に、道を外れた林の中に目を向けた。
「あちらから行くわ。うまく行けば出られるかも」
「え、ええっ?」
確かに林を抜ければ先頭に出られるかもしれないが。
「わたし、行くわ」
馬を駆って林の中に踏み込んでいく。その背中と周囲を見回して「ど、どうしよう……」と狼狽えた声が出た。
キール・シェムたちは矢を持つことを許された貴族に話しかけられて、というよりもそれ以前にこちらは眼中にないようだし、他の貴族も気を付けていないようだ。だが何か咎められたらどうしよう。自分じゃなくて、オルハ・サイが。
迷った末、リワム・リラは追いかけることを選んだ。
林の中は濃い緑の匂いが鼻につき、日向は熱を持っていた。馬を慎重に進めながらオルハ・サイの姿を探したが、もうどこにも見えない。
くらりと眩暈がするように強い日射し、嗤うような鳥の声。視界が遮られ足元の影が深くなる錯覚。
……「この世界は夢だな?」
躊躇う気配。見上げた先にある月が水面に浮かぶように揺らいでいる。
それは待っている。
目の前のひとと同じく、彼女の答えを。
「この世界は、」
揺らぎが逆巻き、やがて世界を形作ろうとする……
馬が鳴いた瞬間、夢想から覚めた。
はっとして、不満げに足踏みをする馬を見る。そうして声を掛けてやろうとそっと屈み込んだ、その時。
だんっ!
「え……?」
被っていたベールを留めているのは、針よりも太く凶悪な一本の矢。射の勢いでまだわずかに揺れている。
薄布がさらわれて木に縫いつけられていた。
ひっと声が裏返る。
かっ、かっ、と立て続けに伏せたために幹や枝に突き立つ。
狙われている。血の気がざっと引いた。慌てて手綱を手繰る。
逃げなければ。どこでもいいからと馬を走らせた。身を低くして、木の枝に肌を傷つけられても構わずに逃げた。逃げた、無茶苦茶に。
先に光が見え、それを突き抜けた。
「リワム・リラ!?」
驚いたオルハ・サイの声。通り過ぎてからようやく手綱を引いた。
「どうしたの!」
「矢が、矢が……」
がちがちと歯が鳴る。言葉にならない。
「何をしている」
鋭い男の声が響いた。金髪の白人の官吏が、怒り顔で馬を寄せてくる。その背後には数人の部下。
「王妃候補だな。お前たち、こんなところまで……ん? どうした」
官吏はすぐさまリワム・リラの様子に気付いた。今にも落馬しそうなほど青ざめた顔と自分の身を抱えてぶるぶると震えていれば当然だろう。彼は視線をすっと辺りに走らせると、部下の男たちが少しずつ動いて周りを囲んだ。
「どうしたのか、話せるか?」
頷く。収まらない震えで定かでなかったが、彼は待ってくれていた。息を吸い込むが浅くなり、何度か呼吸を繰り返してようやく絞り出した。
「矢が、飛んできました。私に向かって」
喘ぎながらの訴えにオルハ・サイは眉をひそめ、官吏は真剣な表情になった。
「どの辺りで」
「この、道を外れたところ、で」
「矢があるはずだ。探せ。それから彼女たちを送るように」
部下たちが飛んでいく。官吏はリワム・リラたちに目を向け、馬首をすでに行くべき方へ巡らしながら言った。
「調査しよう。カリス・ルークにも知らせておく」
そうして走り去っていく。あとには彼の部下の青年たちが残り、丁寧に「お送り致します」と言ってくれた。
「本当に狙われたの?」
「…………」
あまり思い出したくない。道を外れたのが良かったのか悪かったのか一人になったところを狙われ、矢は木に刺さった。あの矢が揺れているのを見た時の血の気が引く瞬間。
命を狙われるほど憎まれている。でも、どうして。
「怪我をしなくてよかったわ。こう考えたらどうかしら。これでカリス・ルーク様にも名前を覚えていただけるかもって」
「止めて……そんなつもりはないわ……」
まだ震える拳。
憎悪されている。心臓に真っ直ぐ突き立てられる、凶器のような鋭い悪意。
(どうして……)
その理由が分からない。