37. いつか目覚めるまで
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 十分な時間をありがとうございました。
 そう言うと、魔術師は命を取るんじゃないよ、とエスカはたまらないとばかりに大笑いした。それは魔術師のいないナリアエルカの迷信。確かに力の代償とするモノはいるけれど、それは魔術師じゃないんだと教えてくれた。
「君は選ばれ選んだ。覇王の夢の続きに、登場人物としてね。あの時彼が手を伸ばさなければ、夢は終わっていただろうね」
「でもまた別の夢が続けられるでしょう?」
 夢。可能性。未来。物語。それは途切れることはない。誰かが夢見ている限り。
 その通りだね、と魔術師は優しく微笑した。
「きっと常にひとつの夢が終わっては始まっているんだろうね。それを繰り返し繰り返す。そう、この瞬間僕たちを見ている人は、僕たちという夢の続きを創造しているのかもしれない。この世界が誰かの見ている夢でないとは、誰も言えない」
 エスカとの会話を微睡みに見ていると、誰かが入ってくる気配がした。目を開けると男性が二人。まだ少し違和感のある黒髪のよく知っている青い瞳の人がいるのが分かって慌てた。
「カリス・ルーク様……!」
 今日は黒髪の彼はそのままでと手を出す。隣にいる金髪の人に目を向け、リワム・リラもその男性を見る。カリス・ルークをよく似た背格好、しかしどこかすらりとした。見覚えがあるが、もしや。
「初めまして。俺が本物のウィリアム・リークッドだ」
 握手を求められて手を差し出す。ウィリアムの手は細く少し冷たい手だ。
「俺たちのごたごたに巻き込んですまなかったね」
「いえ……」
 カリス・ルークとはまた違った迫力があった。玉座の間でカリス・ルークとして会った時に感じた、冷たい気迫。それは今は潜められているけども。
「傷付けるようなことも言った。君が会ったカリス・ルークは俺だ。だが……」
 本物の大臣ウィリアムはカリス・ルークを見、口を出すなよと釘を刺してリワム・リラに向き合った。
「あれは俺たち政治家の本音だ。俺たちは、いや、俺は、カリス・ルークに長く在ってもらいたい。そのためなら俺は何でもやろう。誰かを傷付けることも厭わない」
「はい」
 彼の青い瞳を見つめ、しっかりと頷く。きちんと納得できたからだ。そして、少しだけ親近感を覚えた。この人もカリス・ルークを守りたいのだ。
 ウィリアムは目元を少し和らげた。
「簡潔で良い返事だ。……人を信じられなくなったりしていないかな?」
 リワム・リラは力強く微笑んで頷いた。
「大丈夫です。ここに来て、良い方にもちゃんと出会いました」
 ウィリアムはきっとめずらしいであろう微笑みを浮かべる。
「そうか。今日は、俺は挨拶に来ただけなんだ。これでも結構多忙な身でね。どこかの誰かが仕事を溜めてくれたもんだから、その後始末に追われてるんだ」
「はっきり言え」とカリス・ルークが後ろで口を出す。「言ってほしいのか?」とウィリアムは返し、口で勝てないと分かっているのだろう、カリス・ルークは黙った。ウィリアムはにやりと笑う。
「それでもまあ俺は優しいからな。あとはこいつに任せよう。ゆっくり話をするといい」
 そう言うとさっさと出て行ってしまった。ぽつねんと二人残され、リワム・リラのご機嫌ようという声が間抜けに響く。二人でなんとなしに視線が合わせられず、あちこちさまよわせていると、カリス・ルークが咳払いした。
「……一応、終わった」
「……終わりはないのではありませんか?」
 思わず突っ込むと、彼は情けない苦笑を浮かべた。
「姉妹揃って同じことを言う」
 リワム・リラは晴れやかに笑い返す。
「仕方がありません。お姉様と私は姉妹ですから。それに、世界というものは常に動くものです。カリス・ルーク様が玉座に在る限り、この瞬間にも反乱を企てているものがいるやも」
「まったく、誰も彼も重圧をかける!」
 カリス・ルークは大げさに手を広げて嘆き、リワム・リラはくすくす笑って彼を見つめた。
「お覚悟をされてきたのでしょう?」
 この人の道は辛く険しい。神々からの祝福はない呪われし子、とあの方は言ったけれど、リワム・リラは知っている。この人には神々の祝福があること。カリス・ルークの物語は、今も紡がれている。
 カリス・ルークはしばらく穏やかな顔で黙っていたが、やがて言った。
「そう、だからお前にも覚悟をしてもらわねばならん」
 そうしてひざまずいて、リワム・リラの手を取った。
「夢はいつまで続くか分からん。壊される時か自分から壊れる時か、どちらかが来よう。毒を盛られる時も、刃を向けられる時や弓で狙われる時もこの先にあるだろう」
「カリス・ルーク様、悪いことばかり並べ立てないで下さい」
 微笑みをそっと近づけ、問いかけた。
「私に与えられるものは何か、教えて下さいませ」
 息を呑むカリス・ルークに、リワム・リラはもう一方の手を自らの胸に置いた。
「私は夢を。覇王カリス・ルークが続く夢を見続けます。そしてこのナリアエルカがいつまでも続く夢を、あなたに」
 大丈夫。この人を愛し続けることができる。どんな困難も乗り越えていけるだろう。二人は幸せに生きていける。
 忘れない、金色の瞳の子ども。それは新しい夢。これから出会う物語。
 その先も続く月の夢を。
 カリス・ルークはやがて破顔した。まったくお前はと嬉しそうに言葉を紡ぎ、両手をリワム・リラの頬に添えた。
「知っているか。この物語を本当の主人公を」
「それは……」
「最初は、その人は女神に呪われし祝福無き子と読まれた私の夢を紡いでいた。だからこそ私は呪いを祝福に変えるため、物語の主軸になるために魔術師の力を借りて歴史を辿ってきた。しかし、その人は今お前の夢を紡いでいる」
 カリス・ルークはリワム・リラの髪を掻き上げ、花に触れるよりも優しく告げた。
「リワム・リラ。眠れる女神とはお前のことだ。私はお前の物語」
 リワム・リラはあまりに幸せで微笑んだ。
 それを言うのなら、リワム・リラの物語はカリス・ルークがいなければ始まらなかっただろう。誰も彼もがある物語の登場人物。男も女も老人も子どもも、覇王も大臣も金の瞳の娘も。その物語はきっと遠い場所にたゆたって、通りすがる人、たまたま足を止めた人、時々来る人、通ってくる人に読まれている。そう、この世界が誰かの見ている夢でないとは、誰も言えない。
 たくさんのことを伝えようと思ったけれど、まだまだ時間はあった。またその人が新しい物語を紡ぐまで、リワム・リラはカリス・ルークの寄せてくる温かさに身を預けることにした。
 そうしてカリス・ルークはそっと唇を寄せて、ひとつの終わりを口にする。
「私がお前に与えられるものは――」
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