「――というわけで、俺ん家は王国と同じくらい長い間、代々細工物をやってるわけ」

「あら、そう。その話、今ので何度目?」

 つまらなさそうに欠伸をしながら少女は言った。昼食が終わって満腹で、昼寝には丁度良い時間帯の事である。
 埃の粒が窓から差し込んだ棒状の光の海の中で漂い、ガラスのはめ込まれた棚の中で金銀細工と宝石の装飾品が静かに光っている。値段を示す札はない。店主の意向によるもので、店主が見込んだ人間にしか、品物を手に取る事も、売られる事もないのだった。
 店の奥のカウンターもガラス張りのケースになっていて、その向こうでは、店番である赤毛の少年が座っていた。骨張った手には細工用の道具が握られ、刃先は金属の輪に向けられている。もっともその作業はカウンターの前に立つ少女との会話で、殆ど進みはしていないのだが。

 少女は白い頬に頬杖を付くと、やれやれと金色の頭を振って言った。

「あなたの家がドワーフの流れを汲むって、私、何度聞いたのかしら」

「今回が初めて」

「すぐバレる嘘は吐かない方が良いわよ」

 ぽかりと小さな拳で小突かれ、少年は痛がる。もちろんどちらも本気ではないからお互いに笑っている。
 少年は笑いを収めて立ち上がると、暇潰し用にとカウンターの隅に積み上げていた本から一冊を取り上げた。
 本の題名には覚えがあった。主に寓話が収められた子供用の短編集で、希少価値が高い物のはずだ。少女は所有こそしていたものの、品はガラスケースに収められており、手を触れる事は許されていなかった。確かに、彼の家の歴史は長いらしい。
 少年が本を開いて指差した所には、今では古風と言われるドレスを纏った娘と、その半分しか背丈がない小人の姿が描かれている。

「じゃ、この話は? ドワーフの細工物を欲しがった王女の話」

「聞いたわよ。望む物は何でも手に入ると思い込んだ王女が、あるドワーフの作品を欲しがって……っていうのでしょ」



『ある大国に一人の王女がいた。磨き上げられた白磁の肌に、黄金に波打つ髪を持つ美しい娘だった。王女は美しいものを欲しがった。身を飾る衣装、首飾りに指輪に腕輪、新しい靴。王は望むままにそれら全てを与えた。
 そうして、王女が望む物は何でも手に入ると思うようになるまでに時間は掛からなかった。光り輝く大きな宝石も、美しい声で鳴く鳥も、最も高いところにある雪も、危険な場所にしか咲かない花も、それら全てがある美しい王国も……全て自分の物になると信じて、疑わなかった。』



 古い紙の上の文字が、少年の声が、物語を語る。
 彼が一度息を吐いた隙に、少女は呆れた声を出した。

「私に言わせりゃ、馬っ鹿じゃないのって感じだけど」

 身も蓋もない物言いに「確かにその通りだけどさ」と少年は苦笑する。

「手に入らない物なんてたくさんあるもの。誰の物でもない物も、誰の物でもある物もあるし」

 多少の意味を込めて少年を上目遣いに見る。しかし彼はそんな事は全く気付かない様子で肩を竦めていた。

「それが解ってなかったから、こうして物語になるんだって」



『その頃、王国には、人間の他に別の種族が住んでいた。ドワーフである。物作りが得意で手先が器用なドワーフたちは、素晴らしい作品を作る事で生きていた。国内にある王城や劇場といった大きな建物の彫刻はドワーフが請け負った物だったし、王族や貴族の身に付ける高価な装飾品も、彼らの作品が多かった。
 ある時、ドワーフが自分たちの作品を王女に見せる機会があった。その時王女の目に留まったのは、大きな鳥が彫られ、深緑の宝石が一つだけ付いた銀の腕輪だった。
 作者のドワーフは渡す事は出来ないと王女に言った。彼が最初に作り上げた作品で、本来なら恋人に贈られるはずの物が、偶然紛れ込んでしまっていたのだった。
 しかし王女はどんな色取り取りの宝石を散りばめた物よりも、そのドワーフの無骨な腕輪を選んだのだった。』



「でも逆らえなかった、と。一国の王女と一介のドワーフじゃねぇ」

 溜め息を吐く。眼は、少年の手の中の腕輪に向けられている。もう少し彫れば完成だという、彼の最初の作品。

「ねえ……」

「うん?」

「それ、一生大事に取っておこうと思ったりする?」

 彼は手を止め、腕輪と少女を見比べる。やがてどうしてそのような質問に至ったのかに気付いたようで、少女と腕輪を眼を細めて見た。

「大事にしてあげたいし、大事にしてもらいたいとは思うね。贈り物にはまだ拙いかも知れないけれど、最初の作品だからな」

 彼はそう言うのだから、恋人への贈り物にしようとしていたそのドワーフは、とても悲しんだ事だろう。



『ドワーフは泣きながら渡せない事を説明した。だが結局は、王女の手に渡る事になってしまった。ドワーフは同じ文様の腕輪を作って贈り物にはしたが、悲しみは消えなかった。
 王は病に掛かって亡くなり、王女が王位を継いだ。そうして国は次第に廃れていった。ドワーフたちは王女との出来事を知って全く仕事を請け負わなくなったし、王女は美しい国を手に入れ、今度は隣の国か向こうの国かと考えを巡らせるのに一生懸命だった。
 やがて財政は厳しくなり、王女は宝物や銀の食器を売って生活するまでになった。王女が腕輪に触れたのはそんな時だった。売られていく宝物の中から、その腕輪を拾い上げたのだ。分厚くごつくて素っ気ない、細い腕にはおおよそ似合わないような腕輪。王女はそれまで、腕輪の事なんてすっかり忘れていた。
 何の気紛れか、王女はふと腕輪をはめてみた。腕輪はずっしりと重かったけれど、王女はそれを常に身に付けるようになった。
 そして――その時から王女は人が変わったように、贅沢は止め、物を大切に扱い、精力的に政治に関わって国を治めるようになったのだった。
 王女は、人々は知らなかったのだ。ドワーフの間に伝わる、魔法の呪文の事を。』



 歌うように少年は言う。

「ドワーフの作品には呪文が彫り込まれる。悲しみに負けないように、強くあるように、幸福であるように。そんな事を願われて作られてる」

「王女の腕輪には、何が願われていたの?」

「慈しみの心を忘れない事」



『誰かを慈しみ、何かを慈しむ。その心を忘れない事を祈られた腕輪は、王女の心を変えた。
 国は元の豊かさを取り戻し、人々もドワーフも幸福に暮らしたのだった。』



 物語はこうして終わる。



「結局、一番得をして、一番損をしたのは誰だったのかしら」

「ドワーフだよ」

 即答した少年に、少女は訝しげな視線を送る。

「何で。どうしてそう思うの?」

「ドワーフは知ってたわけだろ。自分の作品に誰かを変える力があるって事にさ」

 そう言えば、そうだ。

「……ということは、これまでのドワーフの作品にも呪文が彫り込まれたって事じゃないの?」

 にやりと少年が笑った。

「そう。これまで悪名高い王族はいたけれど、その人が国を滅ぼした事なんてないだろ。ドワーフは古い言い伝えによって、王国を影から支えていたわけだ」

 少年はそう言うが、釈然としない。

「そう言うと聞こえが良いけど、つまり影から操ってたわけでしょ、王族を」

 そうとも言う。あっさりと少年は肩を竦めて言った。

「でも悪い事はしてないじゃないか。でなきゃ、この国も、君の一族もこんなに長く続いてないと思うよ」

「あなたの家もね。王国一の彫金師の一族さん」

 にっこりと笑い合う。お互い含むところのある笑み。
 そして少年は工具を小さく円を描くように動かして、「出来た!」と声を上げた。
 腕輪を持ち上げる。角度を変えて確かめ、少年はその出来に満足したようににっこりと笑いかけると、少女の手首に腕輪をはめた。手首にぴったりと収まる。一見重そうに見えるのに意外と軽い。
 光を弾く金の腕輪には、二羽の鳥が眠って眼を閉じている。片翼ずつを差し出して、守るようにしているのは緑の宝石だ。腕をかざすと腕輪が合わせて光る。初めてとは思えない出来だ。

「はー……綺麗ねぇ……」

 思わず溜め息を吐くと、思いも掛けない事を言われた。

「あげるよ。よく似合ってる」

「え!?」

 ちょっと待って、と少女は焦った。

「タイミングが悪すぎるわよ! あんな話聞いた後だと身構えるでしょ普通!」

 少年は全く気にせずに笑っている。
 何となく怒る気が失せて、再び腕輪を眺めてみた。
 最初からくれるつもりでいたのだから、手首にぴったりなのは当然だろう。それであの話をしたのは一体どういうつもりなのか。さっぱり掴めない心に、少しだけ溜め息が出る。
 何故か目の前が霞んできて、誤魔化すように呟いた。

「……呪文って、文字みたいなのは彫られてないのね」

「意匠自体が呪文なんだよ。文字って元々絵から来てるって、知らない?」

 知ってはいるが、この腕輪の意匠は何を意味しているのかは解らない。

「それで、この腕輪の呪文は何?」

「付けてからのお楽しみ」

「えー」

 唇を尖らせても教えてはくれない。彼はにこにこと笑っている。
 本当、何がしたいのか解らない。
 眼を落として溜め息を吐いた少女に、思い出したような少年の声が降る。

「そう言えば、知ってる? ドワーフの初めての作品は、大切な人に贈られるっていう話」

 ぱっと顔を上げた時には、彼は机の上の片付けを始めていた。

 その耳が少しだけ赤い事に気付くと、段々と胸に迫る物があって、少女は思わず腕輪のはまった腕を胸に当てた。
 翼で深緑の宝石を抱くようにしていた鳥たちは、腕輪の中でお互いを慈しむように眼を閉じて微笑んでいた。





知 恵 あ る 小 人

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