第5章 翼公の審判
 

 混乱が緊張の糸を切った。
 コーディリアが力を失うと喚起されていた魔力が鎮まり青い光が消えていく。
 騎士や兵士たちはこの集団が何者かわからず、しかしとてつもない権威の気配に怖気付いて沈黙している。だがわけがわからないのはマリスも同じだっただろう。全身をわななかせながら必死に対峙しようとしている。
「な、何故ここに……!? わっ、我が国の罪人の審理を行っているところだ、用向きは判決が出た後に、」
「それは誰のことだろうか?」
 穏やかで優しい、けれど竦んでしまう厳かな響きを伴った声にコーディリアは顔を上げ、けれど項垂れた。だって直視できるだろうか、いまそこにいる彼はここにいる誰よりも、国王よりも尊い存在なのだ。
 集団が中心から左右に割れる。その人の道を作るために。
 こつりと一歩、静かに進む度に彼の足元で青い燐光が舞うのをコーディリアは幻視する。まるで小さな笑い声のよう。魔力が歓喜し、歓迎している。
「罪人とは誰のことだろう? 教えてもらえないか、アルヴァ王国のマリス王太子」
 首を傾げてこぼれる髪は宝石から編み出したような青。
 濃紺の装束に身を包み、青い瞳を細めているその人を、マリスが信じられないといった様子で顔を引きつらせる。
「……翼公、アルグフェオス……」
 その瞬間、嵐のようなざわめきと飲み込まれた悲鳴と呻き声が満ちる。
「翼公、本当に?」
「あの、翼公とは……?」
「何者ですか? 青い髪など見たことがない!」
 翼公はアルヴァ王国では機能しなくなって久しい。多くは名前や役割を知っていたが、知識に乏しい者も少なからずいるようだった。しかし髪色を見れば特別な存在であるのは明らかで、美しい顔立ちや厳かな出で立ちに魅入られて言葉を失っている者もいる。
 そんな彼らに、アルグフェオスは名乗りを上げた。
「私は、アルグフェオス。神鳥の一族にしてこの地の魔力を調律する者。青き翼に導かれて翼公の称号を賜った者だ」
 声を張り上げているわけではないのに聞き入ってしまう不思議な力強さが、集う人々の喧騒を鎮めていく。
「私の監督下にあるこの地で重大な非違行為が相次いでいるとの報告を受け、詮議を行うべくここに来た。アルヴァ国王ならびに王太子、政に関わる各々は聞き負うがいい」
「だ、誰が……まだ裁判は、」
「最初に」とアルグフェオスは血相を変えているマリスを無視する。
「我が圏域において侵略行為が発生しているとの申し立てがあった。報告を受けて調査を行ったところ、ロジエと呼ばれる地域で市街の破壊や住民への加害行為等の被害が確認できた。王太子マリスは自らの加害を認め、アルヴァ王国側は早急に正当な権利者へ統治権を戻すように」
 要求ではなく『命令』だった。
 これはもう詮議ではない。罪を公にし、判決を申し伝えるだけの断罪の時間だ。
「な、な、な……!」
「せ、正当な権利者とは誰のことを言っておられるのです!? ロジエの領主であった伯爵家はすでに取り潰しになっております!」
 声を上げたのは玉座近くに侍っていた重臣の一人だ。背後にいる国王をひどく気にした様子で、青い顔で何度も後ろを振り返っている。
 怯えている彼にアルグフェオスは安心させるような柔らかな声で答えた。
「先代翼公が制約に背いた際、当時の領主一族が王政の処罰を受けたことは知っている。ゆえにロジエは長らくアレクオルニス、君たちが神殿島と呼ぶ宗教組織の管理下にあった。だが領主一族の血が途絶えたわけではない。処罰の際、縁戚の幼子らは国外追放となって他国で生きていた。その裔の一人が申し立て人だ」
「だ、だからそれは何者なのです!? 身分を偽って貴族の位を得ようなどという輩ではございませぬか? 到底容認できません!」
「先代翼公の件以来、アレクオルニスは領主一族の行方を把握していた。彼らが巻き込まれたのは我ら一族の罪でもあったからだ。申立人が領主一族の後継者であることは確認が取れている」
「だ、だから、だから……!」
「そんなに信じたくないのかね。あんたたちが殺し尽くしたはずのロジエ伯爵家の生き残りがいるなんて」
 遠くから上がったしゃがれ声。
 仕方がないといった様子でアルグフェオスは苦笑する。同時にコーディリアの心臓が大きく打った。
(この、声……)
 重たげな足取りは元々足が弱い上にドレスを着ているからだろう。正装は意外と重い。森と山に囲まれた地での暮らしで鍛えられていても歳を重ねた身には堪えるはずだ。
 アルグフェオスに並び立った濃灰色の髪の老女は、ロジエの冬のような濃緑のドレスに身を包み、いつものように険しい顔で周囲を一瞥してくだらないとばかりに眉間の皺を深くする。その目が無様なコーディリアに向くと顔つきはさらに激しい怒りを表した。
 それを見ただけでコーディリアはなんだか泣きたくなってしまった。「しっかりおし!」と叱られているような気がして。
 そんな彼女の素性をアルグフェオスが知らしめる。
「こちらが今回の申立人。旧ロジエ領主ロジエ伯爵家の裔、ウルスラ」
 ウルスラは嫌味ったらしいおざなりさで貴人らしく軽く膝を折る。
「次に、希有な魔力の持ち主への迫害を訴えた者がいる。申立人は彼らだ」
 そこへ後続から人々が進み出る。
(あ、……ああぁ……っ!)
 彼らの顔を見て今度こそコーディリアの瞳から涙がこぼれ落ちた。
 記憶より少しやつれた壮年の夫妻。続くのは老若男女。彼らを繋ぐのは主従関係、同じ屋敷でそれぞれの立場で暮らしていたこと。
「エルジュヴィタ伯爵夫妻、ならびに伯爵家の使用人たち」
 行方の知れなかった大切な人たちが無事な姿でそこに立っている。
 母は泣いていた。泣きながら正面のマリスと国王を真っ赤な目で睨み据えている。父伯爵も目を潤ませながら正しさに胸を張っていた。使用人たちもこの場に竦んだ様子はない。自らの正しさを不条理に覆されるのなら戦う、そんな気迫に満ちている。
「その他関係者目撃者の証言も取れている。コーディリア・エルジュヴィタへの暴言、暴力、嫌がらせ、尊厳を踏みにじる行為には枚挙にいとまがないほどだった。神鳥の祝福を受けた魔力保持者は現在では希少な存在、保護されて然るべきであり暴力を振るうなど考えられない」
 彼らに希望という光を与えるアルグフェオスは、どれほどの救いをコーディリアにもたらしたのか気付かない様子で淡々と続けている。
「一方、魔力保持者のみに特権を与えて他の者を虐げている状況は許しがたい差別と言える。魔力保持者のみならず国内のあらゆる存在が人として侵しがたいことを君たちは理解するべきだ。国内のすべての者に対する迫害、差別等暴力行為を禁じ、これを破った場合アレクオルニスによる内政干渉も辞さないことを覚えておくように」
 内政干渉、と動揺した声があちこちで上がる。この国の政の在り方に問題があるという第三者からの指摘は、この場に集まった国内の権力者たちのほとんどの力を奪う宣言に等しい。
「三つ目は翼公への偽証行為だ。マリス、覚えはあるかな?」



 

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