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「なんでお前がここにいる」
 女性の遺体を下ろす作業を見ながら、レシュノルティアは尋ねた。グレイの背後に控えたミランと呼ばれた騎士は、唇を曲げ、二人が知り合いであることを不満に思う顔を隠さない。迎えにきた貴族といい、この騎士といい、グレイはどうやら同性に好かれるようだ。
「うん。結婚式を挙げにきた」
「……たちの悪い冗談だ」
「いや、残念ながら本当だ」
 彼女と、と指差したのは、ようやく地上に戻ってきた哀れな被害者だ。
「それにしては情がない」
「お前と別れた後で初めて会ったからな。名前もそのとき聞いた。何と言ったかな?」
 ミランが仏頂面で「キルタ公爵令嬢ジェシカ様です」と答えた。そうそう、とグレイはあっけらかんと頷く。
「さて……レシュ、何か怪しいものは見なかったか?」
 突然グレイの口調が改まった。腕を組み、片足に重心を置いて、斜に構えてはいるが、目つきはいつかのように鋭い。
「俺たちがここに来るまでに見た足跡は一つ。お前のものだ」
 巨岩を踏んだことを思い出し、頷く。
「足跡が」
「残っていた。それを見つけてから足跡を気にして歩いてきたが、ジェシカの足跡らしきものは見当たらなかった。……何か依頼は受けていないな」
「私たちは暗殺組織じゃない。そういう依頼は受けない」
 きっぱりと答えると、グレイはにんまりとした。
「あれからお前たちのことを調べたが、見込み違いでないようで安心した。お前は誇り高いな」
 その表情の上に急に優しげな口調になったので、レシュノルティアは警戒した。――嫌な、予感がする。
「……何を」
「俺は悲しんでいないわけではない。政略結婚の相手でも、数日間は婚約者だったし、何より俺の臣民だ。星鍾教会に反旗を翻す輩は見捨てておけんし、できることなら国の災厄になる前に取り除きたい」
「だから何を!」
 言うつもりだ! と叫ぶレシュノルティアに、灰色の目を光らせ。


「お前、俺と結婚しろ」


 ――答えは剣だった。
 だが動きを読んでいたミランが受け止めていた。考えなしのレシュノルティアの攻撃は、貴族の騎士が防ぐことができるほど安易なものだ。
「ふっ……ざけるな!」
「ふざけてなどいない。俺はいつでも本気だぞ?」
「どの世界に、顔の割れている令嬢の身代わりをする人間がいる!? 家族や周囲のごまかしはどうする!」
 他人に相手を任せて、元凶はのんびりと顎を撫でている。
「必要なのは結婚式にそこにいるという事実だ。式の後はジェシカが初夜の床で俺の命を狙ったのなんだのと理由をつければいい。幸いにも死体はあるし、あのうるさいキルタ公爵を排除する理由になるし」
「お前最低だな!」
「俺が考えているのは」とレシュノルティアの怒りをまったく無視してグレイは言う。
「スノーラまで来て花嫁を殺したような輩が、殺したはずの花嫁がいる結婚式に冷静に臨めるかどうか、だ」
 目眩がしてきたのが歯を噛みすぎたからだけではない。
 この男は、偶然再会した傭兵と、死んだ女を、自身の策略に使おうというのだ。
「……私の利点はなんだ」
 グレイはにっこりした。
「一生王国から犯罪者として追われるのと三時間ほど花嫁をやるの、どちらがいい? 殺人者が世にもめずらしい青髪とは、さぞかし見つけやすいだろうなあ」
「っ……」
 二度の出会いで、この男が容赦ないことを思い知ってしまったレシュノルティアだった。
「ところで……そろそろミランがかわいそうだ、剣を引いてやってくれ」
 まったくレシュノルティアが退かないせいで、剣と騎士が悲鳴をあげていた。



     *



「機嫌が悪いな」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「俺だな」
 面と向かってむくれている若い騎士に、グレイは微笑み、リボンを結びながら言った。
「この衣装は、本当に、この上なく装飾過多で無駄だ。俺はさっぱりだから、造詣が深いお前に任せるしかなかったからな」
「違いますっ! あのお……」
 そこまで言ってミランは口をつぐんだ。外に従者たちが控えていることを思い出したのだ。だが言葉を止めることはなく、低く訴えた。
「私は反対ですよ。あんな素性の知れない女。もしばれたらどうするつもりですか!」
「その時はその時だ。まあ、本当にあれと結婚しても面白いだろうなあ」
 主に貴族たちの反応が。ミランは主の性格を知っているくせに、ぎりぎりと歯を噛んだ。
「姫を殺害したかもしれないんですよ」
「それはない」
 グレイは断言できる。
「あれはレシュノルティアだ。剣を持たない人間を必要でないのに殺すことはない。あれが剣を振るうのは、己の信念が傷つけられたとき。あるいは生きるため」
 不老不死の女剣士。青い戦女神、あるいは死神。戦場の混沌の中に、空を落としたようなあの髪が翻るところを想像する。さぞかし、美しい。触れれば血が流れるほどの鋭利な美しさを、彼女に見ることができるだろう。
「……まるで、昔から知っているみたいに言うんですね」
「お前も知っているはずだが?」
「知りません、からかうのは止めてください!」
 銀色に底光る青い瞳。手負いの獣、人に慣れぬ孤高を抱く生き物の目だ。近付くものを拒絶してきた眼差しは、何かを大事に守っている。――何を?
 それを知りたい、とグレイは思う。
「俺は、あれを運命の女だと思ったよ」
 ミランはしばらく息を止め、深く、息を吐き出した。
「……それでどれだけの女を口説き落としてきたんですかね」
「教えてやろうか、口説き方」
「憐れみの表情で見ないでください!」
 軽快に笑ったグレイは、鏡に姿を映して髪を撫で付ける。野卑な男だと言われても、衣装と髪を整えればなんとか見られるものだ、と自画自賛していたが、そこに何者かが駆けてくる音を聞いた。
 ミランが様子を見に行く、その目の前で、扉が破られる。
 息せき切ってきたのは話題の主であるレシュノルティアだった。
「わ、わわっ!?」
 しかしミランが目を覆い顔を背けるように、彼女の格好はひどいものだ。
 下着一枚になり、その肩紐が落ちて白い胸元が露になりかけ、裸足で、足はふくらはぎまで丸見えだった。グレイは感心した。
「なかなかいい身体をしている。さすが傭兵だ」
 戦場を駆けてきたと言われる割に、真珠に似た光沢のある肌。見苦しく思える傷もない。レシュノルティアはそんなあられもない格好でつかつかと近付いてくると、グレイの襟首を掴んで、引きつった笑みを浮かべた。
「……お前の名を聞いていなかった。我が偽りの花婿殿の本名は何と申される」
 こいつはまったく楽しそうに笑わないなあ、いつも歪んだ笑顔しか見ていない気がする、などと不満に思っていたグレイは、その言葉の力の籠りように、はてと首を傾げた。
「名乗っていなかったか?」
「聞いていないな」
「ああ、では名乗ろう。俺の名は、アウエン・グレイ・エルディア。ルト領ルト公爵、銀灰騎士団団長で……」
「で?」
「エルディア王太子だ」

 ぶちん! と何かが切れる音を聞いた。

「――一発殴らせろ、馬鹿王子っ!」

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