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お腹を抱え、地上で未だ戦闘を繰り広げられている城塞に笑い声は消えていったが、思ったよりもそれは、すっきりとした気持ちのよい声として自身の耳に届いた。
「あなたみたいな王族は見たことがありません、殿下!」
タレオが毛嫌いするはずだ。王子がこれなら、その母親は相当強力なはずだった。年寄り牛が、自由気ままにくるくる舞い上がる蝶を掴むことなど、最初から不可能だったのだ。
「さて……僕としては逃げられるとすごーく困るんだけど」
ジョシュは笑う。晴れやかに。
「僕はあなたに死んでほしくありません、殿下。僕を見逃してくださるなら、どうぞご自由にお逃げください。タレオ陛下は南へ逃れたはずです。見つからないようにお行きください」
レシュノルティアが苦々しい敵意と怒りでグレイに声を荒げた。
「指揮官を見逃すのか! 指揮官の首を落とせば城が落とせるのに!」
「本来なら始まらなかった戦争だ。……感謝する、メルノ伯」
静かな声でレシュノルティアを諌める。その威厳と深く広い度量、そして理性と知性に、ジョシュは自らの心に従って膝を折った。
「また、お会いいたしましょう」
未練になったのはレシュノルティアだったが、ジョシュは険しい青い瞳に朗らかに笑って、唇に添えた手を彼女に向かって放った。顔をひくつかせた女神は瞬間、憤怒の表情で剣を振り上げたが、追いかけてはこなかった。
きっと、もう一度あの王子に膝をつくだろう、とジョシュは感じた。そのとき、彼は国王になっている。自分は、彼の言った通りの役職に就いているだろう……いつかやってくるときを思い、楽しい想像に微笑んだジョシュ・メルノは、その未来に進むために必要な、事態の収拾に向かった。
本当に見逃しやがった、とレシュノルティアは口汚くグレイを罵った。グレイは肩を揺らして笑い、物騒な顔をしたままのレシュノルティアに地上を指し示す。
「お前は落とせると言ったが、見ろ。急襲に惑っていた兵士たちが統制を取り戻している。この城を落とすのは容易ではないぞ」
「だから指揮官の首を落とすんだろうが!」
語気を荒げたが、そんな大声にもグレイはにこにこしていた。気味が悪いくらいに嬉しそうだった。四日間、水もろくに与えられず干涸びるだけだったくせに、どうしてそんなに明るく笑えるのか。
「さて……長く城を空けてしまったな。そろそろ、帰るか」
手を、差し出された。
「帰ろう、レシュ」
この男は王なのだ、という実感が不意に下りてきた。
国ではなく、大地と、その上に生きるものすべてを守る者。――守護者。
かえる。
その響きが、どうしてか分からないほど強くレシュノルティアの胸を打つ。
帰る場所なんてどこにもない。後ろを振り返らず走り続けてきた。王都に戻るつもりだったがそれは帰還ではない。なのに、帰ろう、という。その場所があるという。
いらないとはねのけるには言葉は根を張ってしまい、何よりも、星の淡い輝きと白む空を従えたグレイが、まるでこの大地の王のように見えてしまった。何度傷つけられても笑う、しかし誰にも汚すことのできない尊厳を持つ大地。
魔物と呼ばれるレシュノルティアはその手を見つめることしかできない。触れれば汚れる。守られる資格はとうに放棄した、放棄させられた。理を曲げて生きている自覚はある。この復讐心が、自身の恨みに固執し、『最善の方法』をとれずに歪んでいることも。
聖銀に光る目で見つめていたグレイが、視界の端を射る光にああと感嘆する。
「夜が明けるな。……レシュ、ちょっと、剣を掲げてみてくれないか」
「……なんだ、それ」
「いいから」
そう言うと動けなかった手、だが剣を握る手を取って、刃を上に向けさせられる。手首を軽く動かして微調整のようなものをしていると、下からどよめきが聞こえた。
天に向かった白刃が太陽を反射し、地上に光を投げていた。気付いた兵士たちが、レシュノルティアとグレイの姿を認めて歓声をあげているのだ。途端、果敢に敵に挑む兵士たちにレシュノルティアは驚き、次に、予想通りと微笑しているグレイに向かって罵り言葉を投げつけた。
「この、詐欺師!」
「またひとつ伝説が出来たな。さて、やることもやったし、さっさと帰るぞ」
今度はグレイは手を差し出さなかった。拾った剣をぶらぶらとさせて、歩き出す。煽るだけ煽ってその後の号令もかけずに行く男に、レシュノルティアはやけくそになり、剣を大きく掲げると大声を張り上げた。
「王子は救出した! 義戦は終わった。無闇な戦闘は止め、全軍、退却せよ――!」
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