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 キルタ公爵の言い分は、もっともなことだった。もっともすぎて、グレイにはいささか退屈だった。
 あの娘が駆け落ちとは信じられない。大人しい娘だったし、殿下から逃げるような教育をしたつもりはない。陛下は娘を気に入っておられたし、殿下も婚約に了承したくらいの器量だ。なのに駆け落ちとはどういうことだ。傷心の王子に近付いてきた女は一体何者か。病で臥せっているというが、そろそろ臣民の前に姿を現してもいいのではないか。それとも――この城で噂になっている女傭兵と関係があるのか?
 要はグレイとレシュノルティアを疑っているということを、同じような台詞で繰り返した。帰ってきたばかり、医者の見立てでは療養が必要、という身であるため、見舞いと称されては追い返すことも逃げ出すことも難しかった。
「殿下は妃殿下と運命的な出会いを果たしたということですが、万が一それが御身を狙った陰謀だとしたらどうするのですか。……ディピアでのことも、加担していないとは言い切れないのでは」
「心配はありがたいし、ジェシカのことは俺の目が行き届かなくてすまなかったと思っているが、妃を疑うことは止めてくれるか」
 欠片も怒っていない口調でグレイは言った。疑わしいのは揺らぎようもないからだ。実際にジェシカのことは守れなかったのだし、例え母女王と公爵の間で取り持たれた政略結婚でも、結婚するならば大切にしてやろうと一度は考えた相手だったのだ。
 だが少しでも罪悪感を見せればつけ込まれる。この嘘を貫き通すには死者への哀悼よりも優先すべきものがある。国の影、闇に潜む『何者か』がエルディアを害すというのなら、犯人を捕まえ、裁く。それがエルディア王子の責務だ。
 レシュノルティアはもう出て行っただろうか……と殊勝なふりで目を伏せ考える。
 つかまえてはならない。あの歩みをとどめてはならない。青い髪のレシュノルティアは、誰のものにならないために伝説なのだから。
 だが、あの女は誰を追いかけているのか?
 眉が寄る。口を覆い隠した手の中に軽く息を吐く。レシュノルティアは、事件の犯人に心当たりがあるようだった。それほどまでに恨み、憎む相手がいるとは、グレイも聞いたことがないし、あのジョシュ・メルノも聞いたことがないだろう。
 あのままでは、あの女は自らの炎に焼かれて、消える。
「妃殿下は、本当に王都にいらっしゃるのですね?」
 適当に相槌を打っていたが、返答が必要な会話になった。嫌な予感がしたが、グレイは頷く。キルタ公爵は上目遣いになった。
「では……病に臥せっているというのに、誰も姿を見ていないとはどういうことなのでしょうか?」
「何の話だ? 言っている意味がよく分からないが……」
「王宮の女官に、妃殿下のお姿を見た者が一人もいないとはどういう意味かとお尋ねしております。臥せっておられても、世話する者、医師といった直接顔を合わせる者の他に、食事や洗濯といったものに関わる者もおりましょう。ですが、その誰も、妃殿下のお姿を見たことがないという」
 グレイは恐れ入ったという意味でははあと嘆息した。地道に聞き取り調査を行ったというのだろう。ミランめしくじったな。思いはしたものの、くすりと笑った。
「だが、ならば何故妃が青い髪をしているという噂が広がる? キルタ公、大きくふかしたな。すべての者に話を聞いて回ったわけではあるまい? 妃付きのユリアを筆頭とした女官たちはあれと顔を合わせているはずだ」
 公爵は言葉に詰まったが、絞り出すように言った。
「……噂は、確かに。ですが、その青い髪が問題ではないですか?」
「それがどうかしたのか?」
「過去の文献を当たりました。青い色を持つ者は……呪いを受けた者だと」
 語尾をひそめて公爵は言う。グレイは首をひねった。
「初めて聞く」
「確かです。国立図書館の文献にありました。女王陛下もこれは信頼できる資料だと」
 あの人がなあ、とグレイは思い起こす。古書の類が得意な女王が言うのなら、公爵が見た資料は信頼性が高いのだろう。
「だからといって妃がエルディアに仇なすと決まったわけではあるまい。……陛下が何か仰ったのか?」
 公爵は非常に不満そうな渋面になった。
「……お会いするのを楽しみにしておられましたが」
 そうだろう。結婚した相手がキルタ公爵令嬢がないことを聞いた女王はにやりとして「やるね」と言ったのだ。責任は自分で取れという放任でもあったが、二十年以上親子をやっていると彼女がそういう人間であるというのは分かっているので問題はない。
「しかしっ、それとこれとは話が違います! 娘を殺した可能性も考えられるのですよ!」
 堂々巡りか、と目の前でため息をつきそうになったところで、扉が乱暴に開かれた。無作法を咎める前に異変を察する。
「どうした」
 ごくりと喉を鳴らし、騎士は信じられないものを見たことを報告した。
「――妃殿下が……その、青髪で……」
 何をどう言っていいのか分からない言葉を瞬時に汲み取ったグレイが最初に思ったのは、騙りか、という疑惑だった。
 自分がレシュノルティアを送り出すように命じた相手はこの騎士だ。青髪の女がレシュノルティアということは分かっているはず。そこで、はたと気付く。騎士たちは、同じ青髪でも、女傭兵と王太子妃が同一人物だと、結びつけて考えていなかったのだ。
 自分だって、まさか、その当人が出てくるわけがないと思っているのに。
 さらさらと衣擦れの音がする。砦には似つかわしくない、男の心をくすぐる軽やかな音だ。否が応でも期待が高まる。見たことのない騎士が一礼し、参上を導く。薄布をまとった美しい女が、現れて……。
「――失礼いたします、殿下」
 声は思ったより低く、だが不快な音ではなく、しろがねのような重みを持ったものだ。
 青い色彩が冷たい風をまとって揺れる。
 美しい髪を背中に流し、藍色のドレスを身にまとった、よく見知った女が、見たこともない笑みを浮かべて立っていた。
 グレイも、しばし言葉が出なかった。

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