王都に戻り、こっそり城に戻った。日は暮れて見咎められる心配はない、といっても、門番とは顔を合わせなければならない。すると、門番はこちらを認めた途端、城に伝令を走らせて、二人の入場を拒んだ。
「こちらでお待ちください」
「自分の城に帰ってきたのに、好きに入ることもできないのか?」
「どうぞ、しばらくお待ちください、殿下」
忍耐強く門兵は言い続けるものだから、グレイと顔を見合わせた。言動はおかしいが、異変が起こっている気配はない。ならば一体どういうことだろうと首を傾げたとき、ミランとユリアが走ってきた。
「おかえりなさい、殿下。早速ですがこちらへ!」
「レシュノルティア様も、こちらへ」
第7章 死蝶と金色の夜明け
「一体どうした? お前たち」
「何があったんだ」
戸惑う二人を他所に、ミランは不吉なくらい満面の笑みで「いや、本当によかった!」と言う。
「今夜ちょうど陛下が夜会を催されるんです! さっさと支度して、顔を出してきてください。レシュノルティアと一緒に」
「は!?」
驚愕の声は無視され、グレイと引き離され、レシュノルティアは自分の館へと投げ入れられた。
途端、わっと歓声を上げた女官たちが「おかえりなさいませ!」と言い「では早速!」と続ける。無数の手が伸び、それが攻撃でないためにレシュノルティアは本気で反撃できず、制止の声は完璧に無視されて、風呂に入れられ髪を乾かされ、あっという間に夜会用のドレスと手袋を装飾品を身につけた王子妃が出来上がってしまった。
「ちょっと待ってくれ。さすがに無理がないか。帰ってきたばかりなんだが」
「妃殿下の度胸は、わたくしども、よく存じております。近衛騎士たちが噂しておりましたもので」
「国境城塞で兵士たちを慰問されたとか!」
「騎士たちの噂になっていました」
レシュノルティアはひくついた。事実が捩じ曲がっている。確かに砦でドレスを着ていた時に騎士たちと会っているが、慰問したつもりは全くない。そして明るく笑いかけてくる彼女たちに不審に思う。
「……お前たち、私が怖くないのか」
しん、と静まり返ったので、さすがにしまったと思った。
毒を受けて死んだはずの人間がこうしてぴんぴんしているなんて、自分でも気持ち悪いのに、気味が悪くて当然のことを尋ねてしまった。すぐに城を出たから彼女たちの反応もろくに見ていなかったが、今見渡せば、彼女たちの顔はやはり強ばっている。
「いや、答えなくていい。すまなかった。とりあえず、さっさと夜会を済ませてしまおう」
「銀青花の青は、魔除けになると言います」
ドレスを持ち上げてグレイのところに行こうとすると、ユリアが静かな声で言った。レシュノルティアは何の話だろうと足を止める。
「あなた様は銀青花の護符を身につけていらした。そして我らが殿下のお妃様が、汚らわしいものであるはずがありません」
きっぱりと言い切ったユリアだったが、レシュノルティアには分かる。彼女たちはその言葉で得体の知れなさや恐怖を誤摩化し、レシュノルティアを正当化しようとしている。自分が清らかでないことは、自身が一番よく知っているのだ。
ただ、受け入れようとしてくれる彼女たちに感謝を覚えた。どれほど恐ろしいだろう、どれほど薄気味悪いだろう。それでも彼女たちは礼を尽くす。彼女たちは、エルディア城に勤め、王子妃についた女官だからだ。
ならば、それに応えねばなるまい。
背筋を伸ばし、左足を引いた。膝を曲げ、ドレスの裾を持って礼をする。穏やかに微笑むと、目を丸くした女官たちがいた。
「ありがとう。では、行ってまいります」
意識した優しい声は、女官たちの顔を輝かせることができた。ご案内いたします、と笑顔でユリアが先頭に立った。
あまり歩く機会もなかった廊下は、まるで迷宮のように組み合わさって、上へ上へと続いている。ドレスの裾を持ちながら、つい自分だったらどう攻略するだろうと考えてしまった。城塞攻略は憧れだと言ったアクスのことを責められない。
待機する部屋には、グレイだけが待っていた。ユリアは係の者が呼びに来ると告げて去っていき、椅子に腰掛けて澄まし顔をしていると、グレイがこちらを眺め回している。歯を剥くと、笑われた。
「すまない。どうやら陛下が気紛れを起こしたようだ。適当に切り上げてくれ」
「よく私たちが今日戻ると分かったな」
「手紙を出していたからな。あの地方を見て回った所感をしたためて送っていたから帰る日に見当をつけたんだろう。妙にそういう勘が働く人でなあ……」
「ディピアとの国境戦争では、軍の動きが恐ろしいほど速かったらしいな。お前の母親か……」
エルディア女王ミシェルは、夫と死別した後、幼い王子には王位を譲らず、自らが立った人物で、傭兵たちにとってはいい雇い主だ。自分勝手がひどくて戦争が頻発することは止められないが、国立図書館を設立したり、武器職人を始めとした、現在少なくなってきている職人を手厚く保護していた。ただの享楽的な文化人か、それとも運命を持った名君なのか、国内の評価は二分されている。
「よく会うのか」
「たまに行くから歓迎される。あの人は、周りをうろつくとうっとうしいと言って蹴飛ばすからな」
グレイはたびたび女王に会っているようだ。レシュノルティアも、幼い頃は父王のもとにこっそり忍んでいったものだった。昔は父であり王だったが、父の、王である顔の部分の方が大事なのだと思い、いつしか慎むようになっていた。
だが彼らは今でも親しみを持って会える関係らしい。この男の母親だというからどのくらい変わり者だろう。少し楽しみになってきたところで、「レシュ」と呼びかけられた。
「なんだ」
「いや……少し、考えていたのだが。気を悪くしないで聞いてくれ」
「だから、なんだ」
「お前の追っている御仁だが」
鋭い殺気を察知したグレイが早口に問う。
「その人物はお前を不老不死にしたというが、どうしてお前だったのだ?」
レシュノルティアは眉をひそめた。
「どういう……」
「お前に恨みを抱いていたのか。それとも何か別の理由があるのか」
真剣な目に、考え込まざるを得なかった。好青年の仮面を被った魔術師を、焦げる憎悪になんとか蓋をして思い返してみる。
最初に会った時、自分も魔術師も年端のいかない子どもだった。祭祀の一人の弟子として現れ、少年の笑顔に深く恐ろしいものを感じてレシュノルティアはすぐに距離を取った。すると、聡いあの男は幼子が何を考えたのかすぐに気付き、レシュノルティアが避け回るのにも関わらず追いかけてきた。その度に、レシュノルティアはレイアスのところに逃げ込んで。
それでも不思議と会話があった。一方的に話しかけてきて、答えずにはいられなかったり、それは違うと面と向かって言ったこともある。レシュノルティアの応答に魔術師はいつもにやにやして、決して自分の考えを曲げず、正論と揶揄と皮肉で返してくるから、そのうち何も言えなくなった。年を重ねるうちに、相容れないと悟ったのだ。
なのに、魔術師はずっとレシュノルティアにまとわりついてきた。
「だから執着されていたような気は、する」
自身の印象を語って、そうまとめた。
「私の言うことを一度も受け入れたことがなくて、いつも言葉で傷つけるし、意地悪をされてきた。あの男は神官なのに星神を信じていなくて、いつも人を見下していた。でも、星神を信じていなかったのは私も一緒で、なのに『一緒に行こう、二人で生きよう』と言われて、けど私は、あれと同類にはなりたくなかった」
グレイは顔を覆っていた。自身の顔を撫でて、落ち着かない様子だ。
「どうした」
「お前、気付いていなかったのか?」
「何をだ」
「それは、求婚の言葉だろう」