「……!」
 違う、本当に誰か来る。この部屋に。
 嵯峨氏も気付いたようだ。香芝が動いた。ドアを開ける。
「嵯峨さん、香芝さん」
「羽宮さん」
 羽宮氏と常磐が、校長室の前に立っていた。
 苦々しいという顔で、嵯峨氏は二人を見た。香芝氏も困った顔で首を振る。
 常磐は佑子を見、香芝と嵯峨に視線を投げた。言葉は交わされなかったが、子息たちは意志を伝え合ったらしく、香芝は物言いたげに嵯峨に視線を投げ、嵯峨は黙って眼鏡を押し上げる。
 羽宮氏は立ち尽くす佑子を見つけ、太く笑いながら問いかけた。
「これは、どういう集まりですかな」
「もうお分かりではないのですか?」と挑戦的に嵯峨氏は尋ね返す。
「何のことです」
「口にしないと分かりませんか。あなたは『暁の書』を求めて内藤佑子女史に近付いた。そうでしょう?」
「嵯峨さん……」と呆れた様子で太い首を震わせる羽宮氏には、まるで後ろ暗いところがないような態度だ。
「最初はそうでした。ですが、今はそういうつもりはありません」
 嵯峨氏、香芝氏が眉を上げる。
「どういうことですか?」
「孫がめずらしく頼み込むのでね。佑子さんと結婚したい。彼女を縛り、側にいてもらうための理由にしたいから、後継者争いから降りてくれ、と、土下座までして、私もさすがに情にほだされて」
 少年たちが驚きの目で常磐を見つめ、やがて、くす、と笑い声が聞こえた。生徒会長は咳払いをして「失礼」と言い、冷笑するような顔で羽宮氏を見る。親子そっくりの顔つきだが、何か、息子の方からは別種のものを感じる。
(もしかして、この子たち、保護者と仲悪い?)
「『暁の書』は理事長職を得るためのもの。祖父が『暁の書』を欲しがっているのは、理事長になることで立て直しを図るためでした。でも、そうなると僕と佑子さんの婚約に意味はなくなる。だからその理事争いから降りてほしいと、祖父に言いました」
「え……どうして? 私との婚約なんて……」
 佑子の問いかけに、常磐は柔らかい笑顔を向けた。ただそれだけで、質問に答えるのではなかった。
 するとそれに勢いを得たのか、内藤家と関わりを持ったのは恥ずかしながら援助を頼むためで、そのために婚約したのだと、氏はゆっくりと、言い聞かせるように説明した。行方の知れない『暁の書』を頼るより、かつて縁のあった内藤家に縋ることを選んだのだと。援助者で内藤家を頼ったのはこの課題のことが頭にあったから。つるつるとそういう話をして、常磐に言った。
「そうだろう、常磐?」
「……はい」
「そういうことですので。常磐、佑子さんを連れてきなさい」
「英明」
「守」
 生徒会長と香芝が常磐の行く手を阻もうとする。常磐が手を伸ばした瞬間、佑子はそれを、前に出て逆に掴み返した。嵯峨と香芝が目を丸くし、常磐が言葉を失い、佑子に引き寄せられるままにこちらに来る。佑子と常磐、そして他の面々という形で対することになり、訝る顔で見る全員に、言った。
「あなたたちは、おかしい」
 不愉快だという顔をする大人たちに言う。
「子どもを駒のように扱って、人形みたいに従えて。その子たちはあなたたちの何なんです。子どもや孫でしょう?」
「佑子さん」と言いかけた羽宮氏を睨み、「あなたもです」と強く言った。
「常磐君の恥をさらすようなことを言った。謙遜の度が過ぎてる。それは謙遜じゃなくて、彼を貶める言葉だ」
 三人の理事の順に顔を見る。愚かな大人、こういう大人にはなりたくないと思う、いい歳した大人の男たちに「私は軽蔑する」という感情を込めて。
「身内を黎明学院に通わせて、あなたたちは理事長になりたいって言う。あなたたちはいい大人としてちゃんとした経営手腕を持っているかもしれない。家族を支えてきたっていう自負も分かる。でも」
「小娘が」嵯峨氏が吐き捨てたが、もう怯むことはない。
 叫んだ。
「黎明学院は、黎明学院の生徒たちのものだ! 彼らのことを考えて、彼らのために何かできる大人が理事長にならなくて、どうするんですか!」
 何も知らない。社会に出て三年目。ようやく仕事を覚えたところで職を失い、次の職は完全なコネ。その仕事もうまく回っているとは言えない。彼らから見ればまだ尻の青い小娘。分かってる。痛いくらい。
 だからこそ、佑子は叫べる。まだすり切れていない純粋な気持ちで。
「あなたたちには渡さない」
 拳を握りしめる。もう一方で常磐の手を。
 恐怖が怒りに変わる。腹立ちで沸騰する。そこまでして欲しいのか。他人を、自分の家族を傷付けてまで権力が欲しいのか。
 ――誰がそんなやつに渡すか!
 小娘の言葉だと思うなら思えばいい。
 でも絶対に、こんな男たちに負けたりしない!
「私が、『暁の書』を手に入れてやる!」
 ふっ。
 笑い声がして、虚をつかれた顔をして全員がそちらを向いた。香芝が眉をひそめ、嵯峨氏の顔が能面のように無表情に、白くなる。眼鏡の少年は、身体をくの字に折ってくつくつと笑っている。
「英明、お前」
「まったく茶番だな。あなたの負けですよ、父上。啖呵の度合いは彼女の方が立派だ。あなたの言動は恐喝でしかないのだから」
 うっすら笑みを浮かべた嵯峨生徒会長の襟首を、氏はつかみあげた。
「殴ってお気がすむならどうぞ」
 言いながら彼の目は他の人間を示している。佑子は動く気満々だし、他の人間は冷めた目で成り行きを見守っている。みっともない真似をするならご自由に、と言いたいのだろう。
(こ、怖い子だなこの子)
 高く舌打ちした氏は、憤怒の形相で部屋を出て行く。生徒会長は襟を直しながら息を吐いた。
「嵯峨。大丈夫か」
「ああ、香芝。けど残念だよ。殴ってくれれば恥をかかせてやるいい機会だったのに」
 にやりとした後、じゃあと手を挙げて去っていく。これをきっかけに常磐は祖父を促し、佑子に微笑みと目礼を送ると、香芝もまた怒っているような無表情でそれに続いた。佑子は見送らなかった。一人になった校長室で、敵が去っていった扉の前で仁王立ちになると、両手を腰に当て、拳を振り上げた。
「よおーし。やってやるぞぉー!!」

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