第5章 君がくれたもの

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 ある男がいた。
 彼とその仲間たちは、この世界の秘密を解き明かす使命を与えられていた。同時に彼自身、人間について研究を行っていた。彼の命題は「人間と同等の生命を作ることはできるか」だった。
 ある日、男はふと気がついた。
 自分が研究している「この世界」――ここから、少し部品を拝借することはできないだろうか? あらゆる生命、神秘が詰まったまま、未だ解明されないそこから部品を持って来れば、人間に近しいものを作ることができるのではないか……。
 ――最初に生まれたのは、彼の幼少期を模した少年だった。
 彼に名をつけ、人間を育てるのと同じようにして知識を与えた。不思議なことに、今までの方法となんら変わりない作り方をしたはずなのに、少年は本物の人間のようだった。
 そして男は、「この世界」から部品を持ってきては、次々に自らの手で人間もどきを作り出していった。最終的に生み出されたものたちは七体にもなった。
 青年もいれば、少女もいた。幼い子もいた。そのどれもが人間と変わらない姿で笑い、悲しみ、怒り、優しさを見せては、人と関わった。
 けれど、例えば組み立てた箱から釘を抜けばつくりがもろくなるように。密に組み上げられた時計から歯車をとれば、針が動かなくなるように。
 部品を盗られた「世界」が壊れるのは必然だった。
 部品を元あった場所へ戻さなければならない――そう思った時には、部品を秘めた七体は、みんなどこかへ消えてしまっていた。

 そして、少女は言う。機械の〈音〉を奏でるその胸に手を当てて。

「この街にはその『世界への入り口』がある。〈ロストハーツ〉が還らなければ世界が壊れる――だからわたしは、そこに行かなくちゃならないの」


       *


 ぽん、ぽぽん、と、空に小さな発煙が上がった。
 消えていく煙を指し示した子どもたちが、歓声をあげながら広場に向かって走っていく。そこでは大道芸人たちがそれぞれに技を披露しあい、驚きと喝采を浴びていた。広場から連なるいくつもの通りには店が出ており、買い食いする少女たちがたむろしている。酒場の表に出されたテーブルと椅子には、男たちが賑やかに酒を酌み交わし、女性たちは踊りの輪を作って、若者同士で目配せし合っている。多くの工房には「締切」や「閉店」の札がかけられ、街は、別の色に塗り替えられたようだった。
〈動かない時計塔〉は悠然と祭りを見下ろしている。何年も人間の営みを見るのはどんな気持ちになるのだろうと、あの日からずっとノアは想像していた。しかし、想像しても、それを自分のものとして実感するのは難しかった。
「あっ、来たよ」
 壁にもたれていたシャルルが離れて、通りをやってくる少女たちの方に向き直る。
 晴れ着を来たティナとリトスは、こちらの姿を見た途端、小走りになった。けれど、リトスの走り方は本気だった。
「ちょっ、リトス! 転ぶよ!」
 まさにリトスは狙ったかのように石につまづいた。うわっとルースが悲鳴をあげる中、彼女の細い身体が地面とぶつかる前に、ノアが滑り込んだ。
 ほーっと、ため息が重なる。
「あっ、ありがとう、ノア」
 なんとも無邪気にお礼を言われるので、ノアは長くため息をついた。
「リトス……あのね、どうして走るの? 今日はなるべく汚しちゃいけない服なんだよ」
「だって、ノアが見えたから。早くノアのところに行きたかったから」
 言い訳で、焦ったように言われたことだったけれども、その分リトスの本気具合が伝わってきて、ノアは赤くなるのを必死にこらえるしかなかった。
「……なんというかさあ」
「うーん、おしゃべりが上手になっても、そこだけは変わらないままなんだねえ」
「…………」
 呆れたようなシャルル。苦笑するルース。
 黙り込んだティナに、シャルルが呼びかけた。
「ティナ」
「………っえ、なっ、なによ!?」
 慌てたように言うのに、シャルルは一瞬間をおいて、笑った。
「……別にぃ。今日の格好、すっごくよく似合ってて可愛いなって思っただけー」
 刹那、悲しい表情が浮かんだのは気のせいだったのだろうか。シャルルは気付かなかったのか赤くなるティナに「かわいいかわいい。髪もいい感じだね」と褒め言葉を浴びせている。ティナが「もういい! もういい……」と顔を覆って逃げ惑うまでそれは続いて、それを見ていたみんなでけらけらと笑った。
「もうっ、あたしをからかうばっかりじゃなくて、リトスのことを見てあげてよ! 見てよ、かわいいでしょ! 綺麗でしょ!?」
 ティナが肩を掴んでリトスを押し出す。
 今日のリトスは、髪を高い位置でまとめ、歯車とリボンで作った髪飾りを指していた。首には大ぶりの首飾り、ベルトも幅が大きくて凝った刺繍が施してある。
「うん、かわいい! そのベルト、おしゃれだね」
「ティナが選んだんでしょ。ちゃんと似合ってるよ」
「かわいいよ」
 最後のノアのたった一言で、リトスはぼん、と音を立てそうなくらいに真っ赤になった。細い指先がスカートをいじる。
「かわいい……? ほんとう……?」
 ――その時、じわりと滲んだ赤黒い染みのような感情は、ノアの呼吸を一瞬奪った。
「ノア?」
「……ん?」
 笑え。笑わなければ。みんなに知られるわけにはいかない。
 心の中にある薄暗い闇を今は封じ込めてその時を待つことにしたけれど、きっとそれは、そう遠くない瞬間にやってくる。それを、忘れるのだ。
 答えるのではなく問い返したノアだったが、その時、ティナが気付いた。
「エリックがいないけど、待ち合わせに遅れてくるなんてめずらしいわね」
「エリック、来ないって」
 気まずそうなルースの答えに、ティナは眉をひそめた。
「聖皇都の神官に渡すための調査書と嘆願書をまとめるんだって。責任持って自分が渡すから心配するなって。それよりも、書類を渡すまでヴォーノをかく乱して振り回しておけって言ってた」
 先日の一件からエリックが出した答えが、それだった。エリックは、今まで手分けしていたヴォーノの犯罪の証拠を一人でまとめあげ、それを渡すまでを自分が行うと宣言して、ぶった切るようにして仲間たちの協力を拒絶したのだ。この街を出て行くこと、ルリアのことを否定するようなことを言ったのを、後ろめたく感じたのかもしれない。
「ヴォーノの動きは、予定だとこうなってる。用心棒たちは、こういう感じの配置っぽいよ」
 言って、シャルルは自分が聞いてきた情報を開示し始めた。
 今日は朝から集会所で投票が行われている。通りには様々な出店が出ており、市場も大賑わい。広場から通りまで人で溢れており、日が落ちた頃、舞台で投票結果が発表される予定だ。ヴォーノは、時間まで屋敷で優雅に待機しているはずだという。
 だが、ノアたちがちょこまかと動いているのは知られているだろうし、ノアたちでなくとも街の反発派が行動することを警戒しているはずだ。人の出入りが増えているこの街で、見慣れない人間の中にヴォーノの手下が混じっている。騒ぎが起こったら最後、連鎖的に事態が動くだろう。
「神官に書類を渡すのはエリック。だったらエリックの護衛が必要だよな」
「誰が書類を持っているかわからないように、複数に分かれておく必要がありそうね」
「目立たないようにするのも大事……だよね?」
「神官がどこにいるか把握する必要もありそうだよね。ヴォーノの手下に固められて、近付く暇もなくなると困るし」
 エリックの護衛をする組と、神官の居場所を把握しておく組と、かく乱のために散っておく組を作り、それぞれ待機。捕まらないようにしながら、時間が来るのを待つ、という計画だった。
「――じゃあ、ティナは神官に張り付くってことにして、エリックの護衛は僕、かく乱はルース、ノアとリトスってことで」
「え?」
「無難なところだと思うけれど、シャルルは一人で大丈夫なの?」
 配置を決めたシャルルはそうティナに聞かれ、手のひらを上に向けると、はん、と笑った。
「ティナとリトスにはもちろん危ないことさせられないでしょ? ルースは護衛には頼りないし、色惚けのノアは邪魔なだけだしぃ」
「頼りない……」
「は、色惚け!?」
 まるで尻尾が生えた小悪魔みたいに、きしし、とシャルルは笑った。何か言おうとした時、ティナに肩を叩かれた。
「シャルルの言うことは気にしないでいいわよ。どうせからかいたいだけなんだから。それよりも……リトスにとっては初めての時計祭なんだから、楽しませてあげて」
 リトス、と呼びかけたティナは両腕を伸ばし、彼女をぎゅっと抱きしめた。少しだけ背の高いティナがそうしたのに、リトスはしっかりとそれを支えている。
「どうしたの、ティナ?」
 彼女を包み込む腕にすべての言葉を託すようにして、ティナはしばらくそうしていた。そして離れた時、最近の澄ました笑顔とは違う、出会った頃の、男とそう変わらないような、開けっぴろげなくしゃくしゃの笑顔を浮かべた。
「めいっぱい楽しんできてね! ノアのとデート! なんならキスくらいしちゃえ!」
「ティ、ティナ!? ききき、キス!? ……痛って!?」
 慌てふためく背中を、ばん、と叩かれた。
「ほら、ノアはさっさと案内する! でも何かあったらすぐに駆けつけてよね!」
 シャルルもルースも笑っているだけだった。仲間たちが示し合わせて、最初からこうするつもりだったことが分かった。嬉しいような、複雑な気持ちだった。でも、こうでもしてもらわなければ、リトスと二人にはなれなかっただろう。
 これからすることは、誰にも知られてはいけないのだ。
「……っ、情報操作して、かく乱してやるから、みんなちゃんとやってくれよ!」
「そっちこそ、自分の仕事忘れんなー!」
「二人とも、気をつけて」
「リトス、何かあったらお店に戻りなさいね!」
 ノアたちにそう声をかけて、三人が散っていく。
 道の向こうに消えていく三人は、この街のどこにでもいる普通の少年少女たちとなって、あっという間に紛れてしまい、周りを歩いている人々の話す声が、近く聞こえる。二人で残されると、急に、街の喧騒に包み込まれたような感じがした。
「ねえ、あっちの方で飴屋さんが出てるんだって!」
「さっき、旅芸人たちが練り歩いてたぜ。美人の姉ちゃんがこう、くるくるって踊りながらよう」
「いいねえ、それ見ながら一杯やりたいねえ」
 浮き足立った人の声に街が活気付いて、あちこちから響く〈音〉も明るく楽しげだ。というよりも、人間の声が明るく歌うようなので、それぞれが響き合って心地よく聞こえるのかもしれない。
「ええっと……それじゃあ」
 手を差し出し、胸に手を当てて。
「おれと、デートしてくれますか?」
 リトスは目を丸くし、弾けるような明るい声で答えた。
「っ、はい! もちろん、です!」
 手は、自然と繋がれた。
 多分今この時は、誰が見ても、祭りに出かける普通の男女のはずだった。

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