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XX/XX/1XXX

 XX日未明、東方の異人たちの処刑が行われた。そのための前日の裁判は皇帝陛下自らが行われ、当然のごとく異人たちは死刑と決まった。
 裁判時の法廷を、私は思い出している。焦らすような仄かな蝋燭の灯火、鬱屈した異人たちが吐き出す呼気は暗闇で、あるいは焦げ付いた怒りだった。皇帝国の裁判官たちはこの場にいることが無駄であるかのように、いらいらと足を組み替え、腕を組んでは眠ろうとする。しかしそれは遮られる。我らが皇帝陛下は、御歴々に裁判への出席を義務づけ、今まさに、罪人たる異人たちと問答を繰り返している。
 皇帝陛下は一時も手を抜かれなかった。一時も、だ。同じ質問を繰り返し、この場ではなす術のない異人たちが同じ答えを返すのを、何度も何度も、確認するように聞いておられた。何がこの方をそうさせるのであろうかと私は考えていた。私は退屈さえしていたのだ。死刑と決まる東方の蛮族に、ただ悪戯に時間を引き延ばしているようにしか思えなかった。
 流れが変わったのは一人の男が陛下の前に立ったことだった。不潔に長く伸ばした黒髪に、数ヶ月もの牢獄暮らしで無精髭が目立つ。背筋は伸びているのに、それはどこかひょうきんだった。少し声をかけられてついてきてみればそこは法廷で、といった不遜さが滲んでいた。それはつまり物怖じしていないということだ。その男はこの先の運命を、決して恐れてはいないのだ。
「ご機嫌麗しゅう、親愛なる皇帝陛下」とその男は言った。
 恐れ多くも陛下は「君も元気そうだな」としみじみと呟かれた。
 ありふれた挨拶だった。しかしある意味ではあり得ない光景だった。栄光ある獅子の国の皇帝が、東方の蛮族の男と挨拶をしている。獅子の国民には怒りを覚える光景であり、実際に不遜な、黙れ、と裁判に参加する者から声が上がった。蛮族ごときが、陛下になんと馴れ馴れしい。
 ……私は私を誤摩化したくない。突然こう書くのは、私が彼らと同じことを思いつつも、この光景に胸うたれたからである。誤解を恐れずに書くのなら、私は、その当然の挨拶を、何か、正しくも間違ったものである、と感じたのだ。
 うまい言葉が見つからない。なんというのだろうか。
 そう、もし、陛下が市政の人間で、蛮族の男もまた市政の人間であるのなら、この挨拶はありふれた、とても美しいものではなかったろうか。
 異なる世界があるのなら、そういったこともあったろうにという切ない感動が私の中にはあった。
 この手記をもし皇帝陛下に信頼を寄せる者が見るならば、私は不敬者と罵られることだろう。
 その挨拶の後はそれまで通りに問答があり、結果は冒頭に書いた通りである。何の変化も見られなかった。まるでそれを廃したかのように、陛下と男は言葉を交わした。周囲のために形式をなぞったかのようにも見えたのは、私の妙な哀愁のためだったかもしれぬ。
 刑の執行は翌日の未明だった。皆、銃で撃たれてはばたばたと倒れていき、荷台に無造作に積み上げられては燃されていった。人数が多いために、作業は分担され、流れ作業と化していた。私は罪人を監視する役目を負っていた。必要に応じて刑場に連れていった。そこに、あの男がいた。
 その目は、暗闇の中で猛禽の眼のように光って見え、私はぞっとした。まるで、今刑場の上空を飛び、人々を見下ろしている神の目のように見えた。蛮族であるというのにだ。私は恥じた。しかし恥じ入る必要はあったのだろうかと今は思う。
 それに気付いたのだろう。男が私に目を向けた。そして、ちょいちょいと手招きした。慣れ親しんだ者にするように、あっさりした手招きだったために、私は眉間に皺を作りながら近付いていった。
「最期の言葉は遺せるのかな」
「皇帝陛下の恩情に感謝しろ」
 私はそれだけ答えた。男は満足してありがとうと言った。私は聞こえない振りをした。
 男たちを連れて刑場に向かった。目隠しがされ、我々に呪いの言葉を吐く者、家族の幸せな未来を祈る者、皇帝陛下に皮肉を言って笑いながら死んでいく者もいた。
「皇帝陛下」
 ふっと皆が一斉にそちらを見た感覚を覚えている。感情を無理に押し殺したのではなく、引き寄せられるかのように、自然に。
 男は笑っていた。
「またね」
 次の瞬間、まるで虚をつかれたことに急いたように銃声が響いた――



 人々は、その後男の呪いだと皇帝陛下を慰めていた。お忘れください、あのような蛮族などお忘れください、そのように言って、その通り陛下は何の感慨もないように激務をこなしておられた。
 誰も、皇帝陛下と男が言葉を交わしていたなど知りもしなかった。知ろうともしなかったのかもしれぬ。獅子の国の皇帝と、蛮族の男。皇帝と、罪人。出会うべくはずもない者が出会い、そのために当然のごとく別れただけだったと、歴史は語るのやもしれなかったが、まだ我々は未来を知らない。



 皇帝陛下は、先日、こう呟かれたという。
「今度はもう少し、マシな別れ方が出来るといいんだが」



 これから我らは戦地へ赴く。勝てる見込みは、私はあまりないと思っている。皆も同じだろう。勝利は絶望的に近いようだと、密かに胸の内に呟くものを押し込めている。
 この手記は家族に預けていく。
 だが最期に、この戦を共にする陛下のために祈らせてほしい。



 皇帝陛下。どうか、出会う前に別れる時のことを、お考えにならないでください。
 私の願いはただそれだけだと、神よ、思し召し下さい。





 ――ここで手記は途切れている。