負傷者が医療所に運び込まれ、紗夜子は初めて後方支援部隊である医療班とでくわした。比較的軽傷だったメンバーとともに紗夜子も走り回り、包帯を変えたり、話をしたりする。リンとランなど、少女たちの姿があったが、聞くところによると光来楼のホステスである彼女たちがここにいるのは、バイト代が出るかららしかった。
「サヨコ、やつれたわね」
「そうかな。……そうかも。面変わりしたかな。美人になった?」
「馬鹿。あたしはやつれたって言ったの」
二人とそんな軽口も交わした。
紗夜子は医療所にジャンヌの姿を探したが、見つけられなかった。佐々波医師によると、別のところで治療を受けているという。
彼女が果たしてあのときの紗夜子を見ていたかどうかが気になったが、結局は自分の心にあればいいことだと、紗夜子は自分のできることに専念することにした。
射撃訓練の命中率は、格段に上がった。自分の中では大きく何かが変わったわけではないと思ったけれど、ただああして宣言して引き金を弾いただけなのにここまで変わるのは不思議だった。それを目撃したジャックは驚愕したらしくしきりに紗夜子を褒めた。
「初めてじゃないんだから」
――そう、初めてじゃない。こうして訓練することは。
まだ少しだけ頭を狙うのはためらいがあって、つい胸の辺りを撃ってしまうが、今日の的中率は八割くらい。これを、十割にまで磨かなければならない。勘を研ぎすますのにはまだ少しかかりそうだった。
「ナイッシュー」
「……ナイッシューって。バスケじゃないんだから」
「ニュアンスで。フィーリングで感じろ」
ブースを離れたところでトオヤが言った。訓練場に降りてきたわりには、そのために来たわけではないらしい。紗夜子が装備を返却すると、一緒に来た。
「ジャック見てないか」
「ジャック? ……そういえば、最近見てないかも」
数日前にふらっと紗夜子の射撃を見ていったのが最後だろうか。それを伝えると、トオヤは唸りながら頭を掻いた。
「あいつがいなくなると静かなんだけど、そういう時って絶対悪いことが起こるんだよな。忘れもしねえ。静かだなーと思ったら、次の日部屋の床が抜けた」
「ゆっ、床!?」
「おう。あいつの部屋だけどな。あいつが本部から呼び出し食らってしょげてた時だった。おかげで俺の部屋に居候させることになって、物は溢れるわ散らかるわ。毎日夜遅くまで起きてるし、酒盛りするし、寝起き悪いし、さんざんだった」
紗夜子は噴き出した。そりゃあ、こんながたいのいい男二人が一つの部屋をシェアしたら、狭いし暑苦しいしむちゃくちゃになるだろう。どちらも几帳面なタイプには見えないだけに、生活の悲惨さが容易に想像できた。
「あははは、じゃあ気をつけなくちゃ。何か起こるかも」
「恐えよ。お前にとばっちりがいきそうで」
「ほんと。気をつけよっと」
笑いながら言うと、トオヤが急に優しく笑った。紗夜子は驚き、何か悪いことをした気になって首をすくめてしまう。
「……どうしたの?」
「あ? ああ……落ち着いてきたな。その調子なら、そのうち言葉と中身が合うだろ」
「……そうだといいんだけどね……」
いまいち自分に信用がないからそんな風に返事をしてしまう。友人を失ったあの悲しみと誓いの言葉を、何度も目の前の怯えや恐怖で忘れてしまいそうになった。きっとそれが繰り返されるだろう。でも、恐ろしいことにエリザベスを撃って分かってしまったのだ。
これには、いつか慣れる。誰かを傷つけることをためらわなくなるときがくる。そして、ああして生きると叫んだことさえもその鮮明さを失っていく。
それでも、私の願いは生きること。どんな日々でも、毎日を続けること。ここにあること。それは当然すぎて忘れてしまうことかもしれないけれど、唱えていこう。いつでも。
「お、サヨコー!」
ぶんぶんと手を振って駆け寄ってきたのは、確かジャンヌの友人だという少年だ。
「元気か? ……って、トオヤさん! コンチハ!」
「おう」
どうやら遠目にはトオヤだと気付かなかったらしい。多少どぎまぎしたような動作で頭を下げ、彼は紗夜子に尋ねた。
「サヨコ、ジャンヌの居場所、知らないか?」
「ううん。医療所にはいなかった。別の場所で治療を受けてるって聞いたけど」
「ああ、うん、そうなんだけどさ、そこから抜け出したみたいで。見てないかなーって」
「あたしが何よ」
「ジャンヌ!」声が重なった。
額と首周りに包帯を巻いた彼女は、こちらを一瞥して嫌そうな顔をした。
「こんなところで立ち止まってるんじゃないわよ。通行の邪魔!」
その迫力にごめんと言いながら慌てて退いたのは紗夜子と少年の二人だったが、二人とも同時に「うん?」と首を傾げた。そして、紗夜子よりも先に気付いた彼の方がジャンヌを引き止めた。
「待てよジャンヌ! お前どこ行くんだよ、治療中だろ!」
「教会よ。マオ、心配はありがたいけど、身体を痛めただけで動けないわけじゃないの。あたしは生体義肢だし人工臓器だし、何されても平気なんだから」
「何される気だよ……」とマオは脱力した。
「ったくよー。サヨコも何か言ってやれよ」
「え、私?」
ジャンヌは目を細めながら、腕を組んだ。しかし五秒後には苛立った声で責め立てた。
「さっさと言いなさいよ」
「え、え、ええと、えーと……」
「早く言いなさい! この前の戦闘で多少なりとも覚悟見せたと思ったから妥協してやってるのに、中身全然変わってないじゃないの!」
紗夜子はぽかんとした。
「え……っと……」
それはつまり。
(認めてくれた、ってことで、いいのかな……?)
ジャンヌは紗夜子を突き飛ばした。
「もういい。付き合ってられない」
「ジャンヌ!」
「もう聞かないって言ってるでしょ」
「私、戦うから!」
ジャンヌが言葉を飲み込んだ。
「ジャンヌが認めるくらい強くはなれないと思う。でも、戦うから。それで死んでも、私は後悔しないから」
赤い髪が燃えるようなUGは、鋭くした目で紗夜子を値踏みしていたが、その評価を変えたわけではないらしい。唇を歪め、はっと笑い飛ばした。
「いいわ。見ててあげる」
紗夜子ににやっとした。
後ろで「ひー……」とマオが呟いていた。
そうしてジャンヌを見送ったはずなのだが、少し行ってから、ジャンヌが反転してがすがすと戻ってきた。その顔が強ばっているのが紗夜子には思い切りいぶかしく、トオヤもマオも面食らっていた。ジャンヌは何も言わずにこちらを追い越すと、三人の背後に隠れてしまった。
すると、向こうから何かがやってきた。
白い光をまき散らす、エクスリスだった。彼はこちらに気付いてやってきて、吐息をこぼすような淡い微笑みを浮かべた。
「地下世界の暗く優しい真昼に、こんにちは、皆さん。おや、ジャンヌ。どうしてこんなところにいるんですか?」
びくん、と兎のようにジャンヌが跳ねた。
「治療を受けに僕のところに来るはずだったでしょう? どうして逃げ出したりなんかしたんですか、かわいい赤い髪の子猫さん。そんなに怯えられてしまうと、僕は君に触れることも許されないと思ってしまいますよ?」
「は、はいぃぃ……」
びっくりするよりもぎょっとする方が速かった。
これが、あのジャンヌの声か。
そして、紗夜子はあっと小さく声を上げる。
「さあ、教会に行きましょう? 触れられるのが嫌なら触れません。でもできることなら、僕はあなたに触れたいのですが……手をつないでくれますか? 僕の小さな願いを叶えてくださいませんか」
ジャンヌがおずおずと差し出した手を握り、エクスリスはにっこりした。
「ありがとうございます。代わりに、僕もあなたの願いを叶えて差し上げましょう。さあ、行きましょうか」
彼の口にした『願い』の軽さに、紗夜子は目を瞬かせた。
「エクス、とっとと行け。耳が腐る」
エクスリスはびくともしなかった。
「もう少し言葉の使い方を考えましょうね、トオヤ。でなければ、君は大切な人を傷つけることになりますよ」
トオヤは少しだけむっとしたらしい。それぞれ特徴的な表情で顔を合わせていた。
やがてエクスリスが優雅に「それでは」と述べてジャンヌを連れて行き、勝敗としては向こうの方に旗が揚がったような空気が流れた。機嫌を損ねたらしいトオヤが何かを考えており、マオはマオで、がっくり肩を落としている。
「ジャンヌ……あれは危険だっつってんのにー!」
「すごい豹変だったね……」
強気な発言の数々は意地なのだ。多分、あれを見られたのはジャンヌとしては一生の不覚だろう。
でも、紗夜子は思い出していた。エクスリスのところを訪れた時、奥から現れた赤毛の女性。あの時見かけたのはジャンヌだったのだ。しかし首をひねってしまうのは、普段の強気とも、先ほどの弱気ともつかない、茫洋とした態度だったことで。
(何なんだろう……?)
考えても、分からなかった。
マオが勢いよく顔を上げた。
「俺、追いかける! ジャンヌがもてあそばれるのなんて見てらんねえ!」
そう言ってだっと駆け出す。慌てたように「失礼します!」とトオヤに会釈し、あっという間に。紗夜子はそれに手を振って、ふっと笑った。
「ん?」
「トオヤ、私、理解した。エクスの話は、話半分に聞けばいいんだって」
すべてを見透し、その上で相手を振り回すのが目的なら、そうはならないようにしよう。
「気にするだけ、無駄だよね」
トオヤは目を瞬かせて、肩をすくめて噴き出した。
「違いねえ」
次の瞬間アンダーグラウンドにサイレンが響き渡った。
明らかな警告音に息を詰めて身を強ばらせた紗夜子を、トオヤが素早く引き寄せた。照明が午前の色である黄色から緊急の赤に点滅し、地下世界全体がうなり声をあげる。
『緊急事態発生。緊急事態発生』
『侵入者です』
無線のスイッチを入れると、ノイズまじりの錯綜する声が聞こえてきた。
『誰が』
『おい、ポイントAの方』
『急行中!』
『応援請う! 侵入者は』
『相手は【魔女】! 【魔女】だ!』
青ざめる紗夜子に、トオヤが憎々しいという顔をしていた。
「……なんてもん連れてくんだよ、ジャックのジンクス」