物凄い勢いで紗夜子をさらった謎の人物は、指示灯を振る人々に誘導されて、滑走路を滑るように地下へと長い地下トンネルを下っていった。振り落とされてはたまらないので、紗夜子は歯を食いしばって、あっという間に辺りが灰色に過ぎ行くのを見ながら見ず知らずの、敵か味方かも分からないような相手にしがみついた。
真っ暗な通路を落下するように一気に通り抜けると、配管のような、中が広い空洞になったようなところに出た。
そこをロータリーを回るように走ると、高速のブレードはタイヤを止める甲高い音を鳴り響かせ、止まる。横抱きにしていた紗夜子を下ろした謎の人物は、紗夜子が素早く距離を取る隙に、フルフェイスのヘルメットに手をかけ、一気に抜き取る。
現れたのは、無精髭に伸び放題の髪といった具合の、言っては悪いが小汚い中年男性だった。
(だ、だれ!?)
戦々恐々とする紗夜子に向かって、彼はかっと目を見開いた。
「っ!?」
しかしその手は紗夜子を掴むことはなく。
「新発明……だーいせーいこーう!!」
万歳を、した。
「……は?」
ぽかんと口を開けた途端、辺りから、わらわらわら、と白衣の影が現れて仰天する。
「ライヤさんおつかれさまです!」
「乗り心地どうでした? あ、タイヤすり減ってますねえ。かなりハードにしたのになあ」
「げっ、オヤジさんなんなのこの傷!」
「うふふー、弾がかすったのかもー」
「そこまで頑丈に作ってないです、やめてください!」
男性を囲んで、若い男女がなんやかんやと言葉を交わしている。どういう状況か理解できない。
あれは誰で、あの人たちは何者だ。
そのとき、すうっと重い気配が背後に忍び寄ったことに素早く振り向く。
いつの間にか背後を取られていた。灰色の髪を撫で付け、銀縁の眼鏡をかけ、彫りの深い顔立ちをしたこちらも中年の男性が、静かに紗夜子を見下ろしていた。
「ライヤ、いい加減にしろ。サヨコさんが戸惑っている」
名前を知られている。背筋が強ばったが急いで距離を取ろうとすると、何故か微笑まれた。
「あ、ごめーん! さよちゃん、ほんとごめんね、突然!」
すると、向こうからすっ飛んできた男性が紗夜子の両手を握って上下に振った。ヘルメットを放り投げたので、慌てて受け止めた若者が「ほんとやめてください!」と叫んでいる。
紗夜子の頭上には疑問符が飛びまくる。相手は満面の笑みだ。子どもか孫を見るような笑顔なので、もしかして知り合いか、という疑問が生まれるが、やっぱり二人の男性に覚えはない。
「ど、どちらさまでしょう……?」
「うん、俺たちはねー」
ぎょっとした。騒がしかった白衣の人々が一斉に黙り、こちらに注目している。暗い通路で、目だけが光る白い亡霊のようだ。場違いに響く男性の声が、またこわい。
「俺たちは、アンダーグラウンド本部! アンダーグラウンドの統治組織、UG本部だよ。恐がらせてごめんねえ、俺たち、君に【女神】候補の認定が出るのを待ってたんだ!」
明るく言われたので、そのまま流してしまいそうになった。
「えっ」とまじまじ顔を見ると、彼らから陽気な笑みが消えた。年相応の厳粛な雰囲気で、しかし一歩下がり、手を胸に当てる優雅さを示しながら、静かに告げる声が通路に響いた。
「俺たちは、UG本部」
「改めてお迎えする。サヨコ・タカトオ嬢。我々は、【女神】候補が現れるのを待っていた」
視線を定めることができず、人々の顔を見回すことしかできなかった紗夜子は、それでもなんとかお腹に力を入れ、唾を呑み込み、顎を引いた。彼らがUGであるなら、紗夜子は戻ってこられたのだということ。
もう迷わない。紗夜子は、アンダーグラウンドとしてエデンを変える。
「詳しい話を、聞かせてください」
二人は頷いた。
警告灯や非常灯の光る、吹き抜けとなった地下の穴をゆっくりと降りる。
アンダーグラウンドにエレベーターがあるなんて知らなかった。聞けば、紗夜子が部屋を与えられていたところはアンダーグラウンドでも表層で、一層に当たるのだという。二層、三層と地下世界は重なっており、下層に本部が置かれているらしい。人も少なくなり、光も届かなくなるが、万が一のための場所だということだった。何かあっても、逃げ場となるところ。
「トオヤたちUG先鋒部隊が表立って動く部隊なら、本部はそれに指示を与える、計画立案を行う部隊だ。どうしても、戦闘になるとよく動ける若い人間や慣れた人間が必要になる。年配者には戦う者もいるが、多くは長時間の戦闘に向かない身体になるため、地下に降りるのだよ」
「だからー、生体義肢開発に予算割いてちょーだいって言ってるじゃーん」
「今ので限界だ。すまないな、ライヤ」
ぶーぶー、と口を尖らして擬音を口に出している男性は、ライヤと呼ばれていた。
「ボスのくせにー。ケチ!」
対する灰髪の男性は、ボスと呼ばれている。本名ではないようだが、聞くタイミングを逃したまま、地下に降りている。
エレベーターはほぼ剥き出しで壁ではなく柵で囲んであるだけ。身を乗り出せば真っ逆さまだ。かなり広い吹き抜けの空洞になっているらしく、遠くで何かのランプの赤が光っている。きらりと光ったのは監視カメラだろうか。
「私たち本部は、以前から第三階層の内部を探っていた。その結果、【魔女】が、コンピューター【女神】の次世代CPUだという情報を得たのだ。この【魔女】たちは、人間と変わらぬ高度な知能を持ち、人間と接して学習することで、巨大なプログラムとして完成するのだと」
ばっとライヤが前に出た。
「まずねー、【魔女】プログラムっていうのは、【エデンマスター】の新開発プロジェクト『女神』のそれまでの進行状況に反して、俺が作ったものなわけよ。プロジェクト『女神』は、それまでの統括コンピューター【エデンマスター】のバージョンアップのために開発が進められていたわけね。俺はその別プログラムとして【魔女】を作ったんだー。ここから更に枝分かれして、プロジェクト『純血』が始まったりするのね。でー、俺のその【魔女】プログラムを持っていったやつらがボディを開発して、今現在の【女神】と【魔女】の譲位的プロジェクトが開始されたわけ!」
「ちょっと、整理させてくださいね」
どうぞ、とボスが微笑む。だからーと更に説明を続けようとするライヤを留めてくれた。
「まず、【エデンマスター】と【女神】は同じものじゃないんですね?」
少し前、紗夜子は江上の屋敷の図書室で、その二つの名称がかつては違うものを指していたことを確認している。そうです、とボスは頷いた。
「十年前のバージョンアップに使われて現在の形になったのが【女神】。それまで、統括コンピューターは【エデンマスター】と呼ばれていました。現在は、同じものを指す言葉になっていますが」
「プロジェクト『純血』は純血計画?」
「そう。Sランク遺伝子保持者という、能力別にランク分けされた人間たちを、……こういう言い方はいけないが……交配させることによって、更なる能力保持者を生み出し、育成しようという計画をいう」
失礼な物言いで申し訳ない、とボスは眉を下げた。そんなこと、と首を振る。ひどいのは、第三階層だ。
「ええとそれじゃあ……その、譲位的プロジェクト、ですか? それと、私がここにいることに、どんな関係があるんですか」
「【女神】つまり【エデンマスター】は、エデン設立当時から、都市全体を把握し、統制することが必要だと考えられて作られた。街が大きくなるにつれ、コンピューターの新たな開発も求められ、バージョンアップや補佐的プログラムで補ってきた。しかし、そうするとコンピューターとしては非常に膨大に、巨大になる。これをコンパクトに、巨大なプログラムとして完成させるのが譲位的プログラム」
いいですか、という風に確認の視線を向けられ、ただ、と声をあげた。
「人間と生活することで巨大なプログラムになる、っていうのが、よく分かんないんですけど」
「そう。我々もそこに疑問を持ったのです」とボスは言った。
「これまで【エデンマスター】は増設などによって変化してきた。それが【女神】となってから、三氏を象徴したりサブコンピューターの役割をするはずの【魔女】同士に戦いを促し、何故かあなたのような人間の少女を候補者認定をするようになっている。明らかに、コンピューターにはない操作が感じられます。候補認定と言っても、その目的はサバイバル。戦わせ、生き残ったものを次期【女神】に据える」
「人間を統括コンピューターに据える、っていうのは可能なんですか?」
「可能だね」とライヤが引き受けた。
「その代わり消費は早い。人間には老いがあるから。どの程度生体を改造するかによるかなー?」
「ライヤ」とボスが封じ込めると、彼はへらっと笑った。ボスが何か言う前に、紗夜子は肩をすくめた。もう、怯むのにも飽きてきた。ボスは笑ってくれた。苦笑に近かったかもしれないが。
「……でも、その譲位的プログラムは変じゃないですか? 普通、一般のコンピューターのアップデートって人間が決めますよね。【女神】自身が方針や増設の指示をするって、まるで【女神】が意思を持ってるみたい」
「鋭いね、さよちゃん」
ぴっと指を指して、ライヤが謂う。
「【女神】が何らかの暴走を起こしている。意志を持ってるって俺は思うんだよねー」
にこっとライヤは無邪気に笑ってとんでもないことを肯定した。
「【エデンマスター】に代わるプログラムとしての【女神】は最初から高度な知能(・・・・・・・・・)を持っていたからね。【エデンマスター】として君臨することによって、エデンを自分の思う通りにしようとしているんじゃないのかな。そうなると大変だよねー。街すべてを支えている大きな手のひらが、気に食わないからって手を握りしめたら、街はあっという間に滅んじゃう。ひとつの意思で街と人の命運が決まってしまう。そんなのは自由と言えるか? いいや、言えない!」
大きく両手を広げたライヤは、その体勢で振り返った。
「俺は【女神】を正す! それが、責任だから」
戦隊ヒーローかというふざけた格好をしているが、目は澄み切って真剣だった。胸を突かれるような、子どもの無邪気さに似たひたむきな目だった。だから、大きく両手を広げた姿は、まるで巨大なものを抱きとめようとしているようにも映った。
ボスがそれを暖かなまなざしで見つめ、紗夜子と目を合わせて笑う。こういうやつなんです、と。それで二人が信頼しあっているのが分かった。
「……そのために、【女神】のところへ行くには、あなたが女神候補として認定され、【女神】本体のある中枢へ行く必要がある。そして、中枢は、三氏のいずれかによるパスワードか、次期【女神】として内示された者でなければ、開かない」
「君を【女神】にするつもりはないよ。俺は、【女神】を壊すつもりだからね。統括コンピューターによってこの街は自由を奪われ、階級者社会と化してる。UGには居場所のないやつらも大勢いる。俺は、彼らに自由をあげたい」
その意味は、ゆっくりと理解した。
【魔女】たちの語った《聖戦》。その、最後の一人として生き残らねばならないのだと。
「私も……私の望む日常のために、戦いたいと思っています」
ちょっと二人は不思議そうな顔をした。
「日常とは何なのか、聞いても?」
毎日を何の疑問も持たずに生きられること。当たり前に生活すること。
色々考え、そんな格好のいい言葉も思いついたが、大人の男性二人に対して言うには、ちょっと決めすぎているかもしれないと思って、照れ笑った。
「当たり前の生活を送ること。……おいしいご飯と快適な睡眠、です」
一瞬の沈黙の後、あっはっは! とライヤの爆笑が響いた。
「それすごくいいね! うん、すごくいい! 大事だよね、当たり前のことって」
「ライヤ、笑うのは失礼だ」
エレベーターが動きを止め、指示灯の光る扉の前で、さあ、とボスは導いた。
「ようこそ、深遠なる世界、アンダーグラウンドの中枢へ」