「銀星の耳飾りを盗んだのは私です……」と公爵は項垂れた。締め切った国王の応接間。国王セドリック、皇太子マクシミリアン、王妃マリアンヌ、そしてルーカスとキニアスが、憔悴しきったリカード公爵ハーレンの、観念の言葉を聞いた。しかし、公爵の告白は続いていた。
「しかし、盗んだそれは、イミテーションだったのです」
あの日、サラバイラに授受が行われる前日。自らの管理下にあるサンの聖堂で、銀星の耳飾りを見たハーレンは、それが聖装身具ではなく、よく模したレプリカであることに気付いた。焦った彼は、聖棺のレプリカを用意し、聖棺に収めるときにそれを密かにそれとすり替え、イチの聖堂に置いてきた。本物の聖棺は、今はサンの聖堂に安置されている。入っていたレプリカは、後日孤児院に寄付をした。
サンの聖堂に管理されていたものは偽物、ならばすり替えられたのは自分の管理下においてのこと。しかしそれが行われたのがいつなのかが分からない。リカード家の責任問題になると思った公爵は、内々に調査していたものの、成果はあげられず、告白するに至ったということだった。
「このようなことになって、申し訳ありません……」
「心当たりはないのですか?」
ルーカスが尋ねると、リカード公爵は逡巡する素振りを見せた。そして、正直に思うところを語った。
「銀星の耳飾りの安置所の鍵は、二本。聖堂と、我が家で管理しております。……疑いたくはないのですが」
「それが確認できれば十分です、公爵」ルーカスは彼がすべてを口にする前に、そうやって犯人の尊厳を少しだけ守った。ルーカスには、その人物に対しての負い目があったからだ。
「ルーカス?」マクシミリアンが驚いた顔で友人を見る。
「アンの言葉を鵜呑みにしすぎた。理由は国家間の問題じゃない。政略結婚すること、それが誰なのかが問題なんだ」
扉が叩かれる。向こう側から、ネイダーがキニアスの訪れを告げた。マクシミリアンが許可すると、キニアスは第一声に「アン様が飛び出して行かれました」と言った。
ルーカスは舌打ちし「あれほど一人で動くなと言ったのに!」と唸ると、キニアスに車の準備をさせ、自らもこの場にもう用はないと部屋を後にする。ただこの場にいるのが隣国の国王と公爵であることに礼儀を払って、室内の面々に退室の旨を告げた。
「ルーク、妹はどこへ行ったんだ?」
「恐らくは犯人のところへ」ルーカスは言う。「耳飾りを取り戻す、その前に話をするつもりで」彼らがいたなら彼女は犯人と話ができない。だから、自ら決着をつけにいったのだ。
夜だというのに温く、唸り声を上げる強い風が吹いていた。雲が立ちこめ、地上の光のせいで、少し空は赤く見える。不吉な色だ。郊外に行くほど、その色は闇を帯びてくる。車の通りは少なくなり、ハンドルを握るアンの手は、自ら痛みを感じるくらい強かった。無作法に乗り付けた彼女は、家人が出てくる前に邸の中に押し入る。飛び出してきた家人が、強ばったアンの顔を見て、驚いたように動きを止めた。
「殿下」
「会わせてください、あの子に」
家人は渋った。押し問答する時間はない。すぐにルーカスが気付いてしまうだろうからだ。彼が来る前に決着をつけなければ。すべてのことを収めるのだ。彼に、彼女を責めさせてはいけない。
「どうぞ、アン」
奥から響いた声がアンの前に姿を現す。
「キャサリン」
彼女はすべてを分かった顔をして、アンを部屋に通した。家の者をすべて追い払えば、室内はがたがたと風に揺らされる窓と、その乱暴な風の音だけが響く、痛いくらい静かな空気に満たされる。アンが意を決して口を開けば、その声は針のように鋭く、剣のようにきつく彼女に切り込んでいった。
「キャサリン、あなたがしたことを教えて」
キャサリンは顔を覆った。
「……ええ、アン。私が銀星の耳飾りをすり替えたの」
アンの第一声は「……どうして!」という悲痛な声になった。後悔に襲われているキャサリンは、涙に濡れた顔をきつくして、アンを睨む。
「ルーカス殿下が好きなの」
分かっているのと、本人の言葉で確実になってしまうのとは違う。この時の彼女の涙に濡れる眼差しには力があり、アンを黙らせた。
「彼と恋をしたかった。なのに彼はあなたに恋をしていると言ったわ。ほとんど言葉も交わしたことのない、物語の姫君に恋をしているようだと言って笑っていた。どうしてそれが私じゃないのだろう、私と彼が結婚するにはどうしたいいのだろうと考えて……聖装身具の賠償について思い出したの」
賭けだった、とキャサリンは痛みを感じている声で言った。「盗むのではなく、すり替えたのは賭けだった。もしかしたら結婚できるかもしれないし、そうではないかもしれない。もし誰もすり替えに気付かなくても、いい気味だと思った。ミシア女神の真実なんて所詮そういうものだと笑うことができると思ったから」
濡れた目でアンを見た彼女の顔は、憎しみを叫ぶ魔女のような笑顔だった。
「でも、あなたが帰ってきた……」
「キャサリン」
「昔からそう。あなたは私にないものを何でも持っていた。私が欲しいと思うものは、みんなあなたのものだった。健康な身体、たくさんの友達、大人たちの愛……そして、愛する人まで」
「私はあなたを愛してるわ」
大切なキャサリン。年下の従妹。病弱で、か弱く、可愛くて綺麗な自慢の。
「本当に?」暗い光を放つ目をキャサリンはかっと見開いた。「あなたは自分より弱いものを守ることで、自立していると思い込んでいるだけではないの? 自分がたくさんのものを持っているから、哀れな私の庇護欲に駆られただけでしょう?」
彼女の言葉の持つ魔力は強く、アンをぎくりと凍り付かせた。『愛の裏に欲を持っている』。私は、キャサリンに自慢したいだけだったの? もしかして、昔からずっと? 優越感に浸って、彼女を護っていたつもりなのか……。
「それでも……」
キャサリンが震えると、彼女の瞳から涙が零れ落ちた。やがてそれは、闇を洗い流し、次第に彼女の青を透き通らせていく。
「それでも私はあなたが好きだわ……」
彼女自身もどうすればいいのか分からないようだった。今彼女のすべては自分に対する後悔と悲しみだった。
「あなたが私にしてくれたことが忘れられない。手を繋いでパーティ会場を駆け回ったわ。緊張している私にあなたは笑ってと言った。『笑えば、胸を張ることができる』と。あなたが泊まりにきたとき、風の強い夜、怖いからとベッドに潜り込んできて一緒眠ったわね。あなたは私の手を朝まで離さなかった。怖かったのは私の方だったのに。いつだって先頭に立って、そのさきの道が恐ろしいものでないか見極めてから、私の手を引いてくれた。あなたの心に何があっても構わない。二十二になるまで、ずっとあなたは、私の弱いところを守っていてくれたもの」
アンはキャサリンの前で膝をつき、涙を拭って濡れた手をそっと握った。
「覚えている、あなたが笑うことで、どんな不安な道も先頭を立って歩いていけたこと。自分だけが不安じゃないということを知って、握りあった手が嬉しかったこと」
二度目の言葉は、今度こそ真実だった。「私は、あなたを愛してる」アンは、そんな風にイビル・スピリットの囁く悪の感情に飲まれながらも、従姉を好きだと言える、彼女の清らかさが好きだったのだ、昔から。
キャサリンは仕方ない人ねという顔をした。
「それは、ルーカス殿下に言ってさしあげて」
さあ、と立ち上がる。「耳飾りを取りにいくわ。あれは、鐘楼の天辺に隠してあるの。その後で、きちんと陛下や殿下たちの前で告白します」
「私も行くわ。ここで待ってるなんてできないもの」
キャサリンは微笑んだ。「ええ、アン。あなたはきっと、そうでしょうとも」
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