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 扉を開き、クイールカント王妃マリアンヌが夫の私室に入ると、愛すべきクイールカントの国王セドリックは、苛々と新聞を捲っているところだった。彼は自らに課した義務として、すべての新聞に目を通している。社会派の紙面にも、他愛ないゴシップ紙にも。今、国中の話題を独占しているのは、新人作家がユースア国内で出版した、とあるロマンス小説だった。
 西洋のどこかの小国、女神を信仰する国で起こったとある事件と、隣国の王子とのロマンスを描いたもので、それは知る人が読めば、クイールカントとサラバイラについて書いたものだと思い当たることが可能なくらい、真に迫っているのだった。筆者は事件の黒幕を王家の人々にし、まるで、実際にあった事件の黒幕がそうであるかのようなリアルさで物語は幕を閉じる。もちろん、ロマンス小説なので、めでたしめでたし、だ。
 部屋にはやがて、疲れた顔の息子が現れ、夫の顔をにこにこ眺めていたマリアンヌの顔を見て苦々しい声で言った。
「アンに知恵をつけたのは、母上ですね? ご存知ですか。国民の、我が王家への不信感に!」息子は唸った。「あの小説のせいでめちゃくちゃだ。我々がどんな思いで政に関わってきたか、母上はご存知ない!」
「あら、よく書けていたから出版社に持ち込んでみたら、と言っただけよ? だって、とっても素敵なロマンスだったんですもの」
 マクシミリアンはうんざりした。「事実は小説よりも奇なり、ですね」そして吐き捨てる。「真実なんてくそくらえ!」
「まあ、だめよ。そんな汚い言葉」マリアンヌは大袈裟に眉をひそめ、くすくすと笑った。
 少しは困ればいいのだ。彼らは政に関わるため、少しずつ人の心を削っている。疑心と暗鬼。イビル・スピリットと呼ばれる感情によって。マリアンヌの大切な娘、彼らの娘であり妹であるアンを、ただの道具にするなんて許せなかった。王妃として、母として、マリアンヌだけが彼らに罰を与えることができる。娘だけが、彼女に逆らうことができるように。
「物語風に言うなら」と、それまで黙っていたセドリックが重々しい声で言った。「勧善懲悪、というやつか」
「まあ、それは素敵」
 とマリアンヌは両手を合わせ、マクシミリアンは降参の印に両手を挙げた。




 パソコンがメールの受信を知らせる。いかにも平和な音を、開きっぱなしの扉から聞きつけた彼は、書物の迷宮を探索中の婚約者を呼ばわった。
「アン、メールだよ」
 サラバイラにある、ルーカス・ジーク王子の公邸の一室。彼女専用となった部屋は、今や資料や彼女の愛する本たちがぎっしり詰まった書斎兼仕事場となって、彼女と彼の次の物語に満ちていた。
 資料本を片手に本棚から戻ってきたアンは、マウスを動かしてメールを開封する。一度の受信だけで、もう何十件と来ている。ジミーからのメールインタビューの依頼と、雑誌の連載の依頼。そして、読者からのメールが何通も。コラムは受けなかったのに、あの文体でロマンス小説が受けたというのは、なんだか色々複雑だけれど、喜びは、父と兄に対する小さな意趣返しだけでなく、自分たちの物語がどこかに届いたという嬉しさから来るものの方が大きい。メールを開いてにこにこしていたアンは、大声でルーカスを呼んだ。
「ルーカス、来て!」
 こんなものどうするの? という顔で、戦艦の資料をめくっていたルーカスが、本を置いて近付いてくる。
「どうしたの?」
「メール。誰からだと思う?」
 送信元を見て、ルーカスは笑った。相手は、ユースア国のマリッサ・リンドグレーン。

『初めまして。
 著作、楽しく拝読しました。
 生き生きとしていて、私の娘時代を思い出したわ。
 これが創作だなんて信じられない。
 そういう女性が近くに住んでいたものだから、彼女に当てはめて想像したの。
 彼女はアン・マジュレーンというのだけれど、心当たりはないかしら?』

 ルーカスがにやにやしている。アンの肩を抱き、髪に顔を埋めて、優しい笑い声をあげた。アンは顔を向けて彼の頬にキスをする。彼の腕の中は、どうしてこんなに安心するのだろう。一人きりではなく、毎日に怯えたり、気を張って生きるだけではなくなったのだ。不安になったときには叫ぶことができた。私はこの世界で、彼という人に愛されてる!
「なんて返信するの?」
 アンはにやりと笑った。
「そうね……こんなのはどう?」



『こんにちは。ミズ・リンドグレーン。
 読んでくださってありがとう。
 アンならきっとこう言うでしょう。
 「事実(ほんとう)の方がとてもロマンティックだった!」って!』

End

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