「出しゃばり」
言われた瞬間身が竦んだ。胸の奥がずしりと重みを増し、意識がさあっと遠くなる。ひどく傷つくと恐ろしいような感じがするのだと、セレスレーナは初めて知った。
きっかけは、知人同士が諍いを起こしたことだった。ふたりの少女はセレスレーナの学友としてあてがわれており、それなりに気の置かないやりとりができる間柄だった。しかしセレスレーナのところへ来るよりも前に、元から仲が良かったというふたりはこちらから見ても羨むような親友ぶりだった。
けれど、ある日何かのきっかけで仲違いをしたふたりは顔を見るなり険悪な態度をとるようになった。周囲はいつ喧嘩が始まるかとひやひやして見ているようになっており、見かねたセレスレーナはふたりが関係を修復できるよう、それぞれの事情を聴きながら気持ちをなだめてやり、話し合いの機会を持つよう勧めたのだ。
そのおかげか、ふたりは仲違いをやめ、以前のように付き合うようになった。セレスレーナはほっとした。これでみんなひやひやすることもなくなる。そう思った矢先、ふたりがやってきてセレスレーナに言ったのだった。出しゃばり、と。
「私たちが仲直りしたのは自分のおかげだと思ってるんでしょ? そんなに点数稼ぎしたいの? 大人たちに褒められたいの?」
「そんなつもりは……私は、ふたりが仲違いをしたままなのを見ていられなかっただけで」
「私たちのため? 違うわね、自分のためよ。あなたは王女として、他の人間の不和を見過ごせなかっただけ。自分がそれを見るのが嫌だから。他の者をまとめる必要があるからそうしただけよ。私たちのためだなんて恩着せがましいことを言わないで!」
言うべき言葉が見つからないセレスレーナを置いて、ふたりは手を繋いでそこから立ち去った。
(私は……私が力になれるならと思っただけで……)
思いは形にならず胸に落ちた。
褒められたいの? 自分のためよ。恩着せがましい。――彼女たちの言葉が反響し、セレスレーナは何度も首を振った。
(違う。違う! 私は、みんなのために……)
みんなの喜ぶ顔がみたいから。みんなの期待に応えたいから。みんなの望み通りの自分になろうと努力してきたのに。立派な王太子に、賢い女性に、気高い人間に、優しい性格に、公平な思考を持つように。
『でもあなたはそうはなれなかった』
誰かのささやきが聞こえ、はっと息を飲んだ時、セレスレーナが立っていたのはジェマリア城の中にある聖堂だった。中央の道に立ち尽くしていたセレスレーナは、最奥の壇上に立つ人を見て息を飲んだ。
(父上……!)
死んだはずの父王がそこにいた。そしてそのすぐ近くにひざまずいているのは。
「――私……!?」
「――王女セレスレーナ、いま王の証を手に取り、正当なる継承者とならん」
幾分か幼いセレスレーナは王の宣言に顔を上げた。今ここにいるはずのセレスレーナの、聖堂に響くはずの声も道に立ち尽くす姿も、周囲の人々の目には届かない。
神官が捧げもった台座の前に立ったかつての自分は、決められた通りゆっくりとそれに両手を伸ばした。
だめだ、それは輝かない。私にそれを光らせることはできない。
「やめ――」
その手が石に触れた、その瞬間。
まばゆい光が聖堂を満たし、人々から感嘆の声が漏れた。まるで星が落ちてきたかのように、石造りの聖堂の壁を銀色に輝かせ、手にした王女の顔を誇らしげに照らす。信じられないものを目の当たりにしたセレスレーナは、光が消えても呆然とかつての自分の顔を見ていた。
「儀式は成った。私、セレスレーナ・ジェマリアンナは、ジェマリア王国の正統なる後継者としてここに立つ!」
声と、拍手。壇上のセレスレーナはわっと沸いた人々に力強い笑みを向けている。
「次期女王セレスレーナ殿下、万歳!」
「万歳!」
「セレスレーナ殿下!」
ずっと欲しかったその歓声。喜びと期待に満ちた眼差しと、自分の存在を喜んでくれる言葉をもらって、正しく王太子となったセレスレーナはふとこちらに視線を向けた。
「私はこうして望まれる。あなたはそうじゃない」
セレスレーナは震え、へたり込んだ。
その世界に必要とされ、望まれたのは――儀式に失敗した私ではない。
「だから、消えてしまいなさい」
微笑みとともに告げられたその声はセレスレーナの意識を閉ざし、覚めない眠りに導いた。最後に感じた思いが涙となって溢れ、滴り落ちる。
――悲しい。悔しい。苦しい。
もう、生きていたくない。
「レーナ!?」
真昼の城をディフリートは駆けていた。炎に包まれる城塞にセレスレーナとふたり戻った後、空船による攻撃を受けたのを獅子に庇われた。その直後セレスレーナが放ったと思われる謎の光に意識が真っ白になり、いつの間にか見知らぬ場所に立っていたのだ。
見知らぬといってもまったく知らないわけではない。ここは城塞世界ファルアルジェンナのジェマリア王国、ジェマリア城。この城の宝物庫にある《天空石》を探しに降り立ったことがあった。
セレスレーナも同じように巻き込まれたのかと思ったが姿が見えない。それどころか人ひとり見かけない。まるで作られた映像の中に閉じ込められたかのようだ。
(幻覚か、それとも……)
《半天石》や《天空石》を使った道具を用いたのかもしれないし、もっと超常的な何かかもしれない。どちらにせよここから早く抜け出すべきだ。どんな影響があるか分からない。
石を積み上げた城壁や厳しい彫刻を見ながら、ふとこういうところでセレスレーナは育ったのかと思った。空に浮かぶ白い城に住むディフリートにしてみれば、あまりのびのびとできなかっただろうと想像してしまう厳しい雰囲気の漂う建物だ。
(もしここにいるなら早く見つけてやらないと)
そう思ったとき、そのセレスレーナが姿を現した。
「……レーナ?」
彼女は翔空士が着る簡素な衣服ではなく、白く豪奢なドレスに身を包んでいた。
「ディー! よかった、ここにいたの」
ほっとしたようにそう言って笑顔になる。朗らかで凛とした笑みは、ディフリートが好ましいと思ってきたものだ。
「見つかってよかった。行きましょう、みんな待っているから」
「待っている? みんな? 誰のことだ」
セレスレーナは曖昧に微笑み、ディフリートの手を取った。その手に導かれるまま廊下を進んでいくと、中庭に出た。塔に囲まれた中庭は広々としているが、そこに大勢の人々が集まっており、こちらの姿が見えるなりわっと声を上げた。
「みんな、私が女王になることに賛同してくれた。こんな私でも王と認めてくれた。私は彼らに応えようと思う」
殿下! セレスレーナ殿下! と呼ぶ声に笑って手を振って、セレスレーナは言った。その横顔には確かな自信と希望、気高い強さが宿っている。
「でもその前にあなたに言わなくてはならないことがある。ディー」
セレスレーナがディフリートに向き直ると、声が止んだ。
固唾を飲んで見守る人々の中、彼女はわずかに頬を染めて告げる。
「私と結婚してほしい。誓ってほしいの、私と生きることを」
「レーナ……」
ごくりと息を飲みくだし、ディフリートは目を閉じた。
笑った顔も、泣いている顔も、怒った顔も驚いた顔も、近くで見てきた。一緒に過ごした時間は短かったが、思いを育てるには十分だったと思う。
目を開くと、照れながらもこちらを見つめる彼女がいる。
「ディー……」
声を掠れさせて目を伏せる彼女の額に――ディフリートは、銃を突きつけた。
セレスレーナは固まっている。
「悪いが、それはできない。だって俺はお前のことは何も知らないんだ」
「ディー? ど、どうしたの? 私たち、一緒に旅を」
「馬鹿だな」
そう言ってディフリートは獰猛に笑った。
「レーナは俺を呼ぶとき『ディフリート』っていうんだ。まだディーとは呼ばない」
大きく見開かれた彼女の目が憎悪に塗りつぶされた、その瞬間、観客たちが甲高い音を響かせて飛びかかってきた。
ディフリートの放った銃弾がそれらを撃ち抜くと塵となって消える。
しかし数が多い。応戦するのは不利だと悟ったディフリートは退路を確保すると一目散にそこを脱出した。だが廊下を駆けていくうちに前方から大きな黒い影が現れた。
「虚鳥か!?」
虚空域にしか現れないはずの影のものが襲いかかってくる。見れば、空は黒い鳥の影に覆い尽くされようとしていた。
(なんなんだ、いったい!?)
すると前方に淡い光が見えた、その途端、こちらに向かっていたはずの虚鳥たちが一斉に方向を変えてそれを目指すではないか。まるで守り火を失った船に襲いかかっていくかのように見えたせいだろう、ディフリートは逃亡するのを止め、銃を撃って影の鳥を追い払った。
影に襲われて小さくなっていた光はふわふわとディフリートの目の高さまで浮かんでくると、くるりと回り、小鳥のような速度ですうっと廊下を走り出した。驚いて目で追うと少し離れたところで上下に揺れている。
「……ついてこいって?」
心なしか動きが速くなった。
(……ここがどこかもわからないが、少なくともあれに敵意は感じない)
ついていくしかなさそうだと判断したディフリートは光を追った。途中虚鳥に襲われながら光を追っていると、やがてディフリートも気付いた。この道は、以前にも進んだことがある。
そしてそこにたどり着いた。城の深いところ、厳重な扉を持つ一つの塔。
「宝物庫……」
光は何かを確かめるように揺れていたが、扉など物ともせず、ふっと部屋の中へ入っていってしまった。
慌てて扉に手をかけた時、ディフリートは何かに弾き飛ばされた。うめき声を堪えて身体を起こすと、声が聞こえてきた。
『私は望まれない。私は、いらない人間……』
「……レーナの声?」
声がするのは宝物庫からだった。あの部屋の中にセレスレーナがいるらしい。ディフリートは急いで扉に手をかけるが、再び凄まじい電流のようなもので身体を吹き飛ばされた。ごろごろと地面を転がって起き上がろうとしたとき、虚鳥たちがまるで立ちはだかるかのように降り立った。
ぎゃあっ、ぎゃあっ。けえええ、けええええん。虚鳥の鳴き声が凄まじいように、その種類も今まで見たことのない数に膨れ上がっていた。鴉のようなものもいれば白鳥のようなものも、人を乗せられる馬のようなものもいて、ディフリートは背中に嫌な汗が流れるのを感じた。