思考を巡らす日々が続き、エルザリートは、自身を見定める者たちの前に立った。
 西の端、騎士領国とそこに暮らす者が自称している土地の者、傭兵ともされる騎士の長は、目つきの険しい男で、マーシャルと名乗った。
 そして、幾人かの貴族。ある程度の立場を持つものの、そこから動かなかった中立派と呼ばれる者たちだが、その中心にいる人物を見て納得した。
 西方公フェスティアだった。彼が、他の貴族たちを取り込んだのだ。
 マイセン公国に拠点を置く商人カステルが援助を行うことが決まっているという。商人は、エルザリート戴冠の暁には、マイセンを商人たちの自治領にすることを早速請うた。
「気が早いこと。今のわたしは何の力も持たないというのに」
「姫様に足りぬのは後ろ盾です。現龍王陛下は、竜たちの存在によって畏怖されているものの、疲弊した国をさらに消費する戦の推進に、民人の不満は高まりつつあります。姫様を女王にいただくのは、我々が平和を望んでいることの象徴となるでしょう」
 つまり、国内外では、オーギュストが竜の威を借りているのだと思い、その力を持って圧政を敷いていると感じている者が多数現れているのだった。彼よりも人気が出る者を立てれば、逆転もあり得るのではないか。そして、エルザリートは、今のところ、オーギュストが決して手放そうとしない唯一の存在であるため、真っ向から敵対しても彼が積極的に処罰を下すことはないのでは、と考えられているらしい。
 そして、今ここに集う彼らもまた、エルザリートが飾りの人形であることを望んでいるようだった。
「わたしは何の力も持たない」と、エルザリートは繰り返した。
「あなたたちは、それを与えられるというのか」
 男たちが、首肯した。
「具体は?」
 声を発したのは、騎士領国のマーシャルだった。
「領国の騎士を組織し、騎士団を設立する。――女王騎士団だ」
 騎士とは、長らく個人としての称号であり、所有物の名称だった。騎士たちはそれぞれが敵対しあい、同じ主人に召抱えられていても、相手を蹴落とし、自らが上の立場に登ることを望んできた。マーシャルは、それを組織として、一つの意思で統一するという。
「エルザリート嬢。あなたが、騎士の解放、剣闘による昇格制度の廃止を目指すというなら、騎士領国の騎士たちはすべて、あなたに膝を折るだろう。あなたが、守るべき主たる資格を持つ限り」
 エルザリートは、エジェの姿を探した。影に控えている彼は、憎らしいくらいしれっとしていて、最初からこの話を知っていたのだと分かった。
 マーシャルに頷き、一同を見渡す。
「しかしわたしは、まずわたし自身を守らねばならない。オーギュストはわたしに結婚を命じられる立場です。彼の妃になることだけは避けねばなりません」
「教会が、容易に龍王の言いなりになるとは思えませんが、結婚許可を求められれば、相応の理由がなければ拒否するのは難しいでしょうね……」
「結婚と引き換えに、直轄地を与えていただく、というも手だと思いますが」
 貴族たちが言葉を交わす合間に、言ったのはカステルだ。そういう意見を率直に口にできるのは、職業ならではのしたたかさか。しかし、エルザリートは首を振った。
「そうなれば、彼を殺すことでしか逃れられなくなる。彼のわたしへの執着の不審を、各々方、抱いたことがおありでしょう。わたしが他に目を向けることを、今の彼は決して許さない。閉じ込められて、終わりです」
 言いながら、そう、きっとそうなる、と予感があった。
 今こうしている間にも、オーギュストは包囲の幅を狭めている。だからこうして主要な人物が集まっているこの場を、早々と解散させてしまいたい。ようやく立ち上がろうというこの時に、協力者が反逆者として捕らえられてしまうことを、エルザリートは恐れていた。
「なら、姫様へ注意を向けさせながら、かつ囚われることを阻止しなければならない、と」
 そこで、まったく違う話をしたのは、それまで黙って聞いていたフェスティア公だった。
「ルイス。あなたのところは、アリスがいましたね。彼女に婿を取ってもらうんですか」
 呼びかけられたマーシャルは、一瞬面食らった様子だったが、こういう会話は慣れているのだろう、周囲よりも早く我に返り、答えを返していた。
「見どころのあるやつをあてがうつもりでいるが、アリスは自分で選ぶって聞きゃしねえな。まあ、それでいいんだが。どうしてそんなことを?」
「私とあなた、どちらがいいだろうかと思ったんです。こうなるとアリスが可哀想なので、私にしておきましょうか」
 エルザリート様、とフェスティア公は仕方がなさそうに微笑んだ。
「オーギュスト陛下との結婚を強制された場合、無効にする方法がいくつかあります。一つは、夫婦関係が認められなかった場合。もう一つは、それが神に背くものだった場合です。そしてこの状況で、あなたに当てはまるのは、神に背くものだという理由でしょう」
 エルザリートの背を冷や汗が伝う。まさか、という思いで喉が渇く。
 しかし、それは杞憂だった。フェスティア公が告げたのは、エルザリートの想像とは別のものだったが、しかしぎょっとする話だった。
「神に背く……もっとも簡単なのは、重婚、だと思うのですが、いかがですか」
 一同は、沈黙した。
「…………えっ?」
「それは、結婚するということですか!?」
「いくら竜すらも従える王であっても、重婚は認められないでしょう。あのアレイアール公爵夫人の時でさえ、当時の王は最終的には彼女を寡婦にしてから愛妾にしたんですからね」
「だ、だれと……」
「相手はご本人に決めていただきましょう。エルザリート様が選んだ方を、私の養子にいたします」
 エルザリートは目を見開いた。
 フェスティア公は特殊な例で西方公を名乗っている一代限りの貴族だ。彼の養子になった人物には西方公を名乗ることはできない。だが、彼の築いた財産等は相続される。そして、彼の持つ伝手、権威も。
 貴族ではないが貴族に近い、有力者。――王侯貴族と、民衆のあいだ。絶妙な位置に、その養子は据えられる。
「けれど、それではあなたが狙われるでしょう、フェスティア公。あなたがいなくなれば、養子になった人物は力を失って、……――すぐに殺される」
「そうならないように私は国外へ逃げます。ご心配なく。伝手はありますので」
 笑うものの、こちらを見る目は、冷えている。
「そ、そうなると相応の身分を持つ者と結婚するのがいいと思いますが……」
「有力な後ろ盾となってくれそうな者、あるいは、国民の支持を受ける者……大きく喧伝できる相手……」
 皆が考え込んでしまうのは、エルザリート自身が元は公爵令嬢で、身分が高いというと王家か、王家側についている貴族しかいないからだ。味方になってくれそうな相手はいない。
 オーギュストの所有物、とみなされてからは、近付いてくる男はほとんどいなかった。いたとしても、オーギュストに上手く排除されていたのだろうと思う。夜会に出るのが嫌になったのは、男たちの代わりに、王太子に近付きたい女やエルザリートに嫌味を言いたい娘たちの相手ばかりしていたせいもあった。
「どなたか心当たりはありますか?」
「え……ええと……いえ、これまで異性との接触は遠ざけられていましたから、思いつくのは、わたしの騎士だった者たちくらいで……」
 直接尋ねられてしどろもどろになってしまったのは、問われた瞬間、エジェの姿が視界に入ってしまったからだ。
「あなたには、自分のために犠牲となる存在を選んでいただかねばなりません。自分の一生を捧げろと命じる相手です」
 確かに、フェスティア公の養子を名乗れば、彼の庇護を受けることが不思議でなくなる。彼に味方している他の中立派の貴族たちも、従えやすくなるだろう。また、彼が一代限りの貴族だということが大きい。例えエルザリートが王位につき、養子が王配となっても、その男はその立場と公から継いだ遺産以外に持っているものがないからだ。
 エルザリートを守るのはその男であり、男を守るのはエルザリート自身なのだ。
(守れと言っているのか。その男を守ることで、わたし自身の弱さを忘れるなと……)
「他の方法があるかもしれませんから、これは一例です。ですが、結婚は政略の一つだということを心に留め置いてください。我々はこの先のために戦略を練りますが、オーギュスト王のことを一番よくご存知なのはあなたのはずです。彼にとってどんな手段が有効なのか……時間はありませんが、考えてみてください」

 時間がない。オーギュストが理由をつけて、エルザリートを取り戻し、今こうして庇護してくれている者を処罰する可能性は十分にある。
 結婚は、確かに有効な手段だ。エルザリートは、長年自分が約者候補として、オーギュストの所有物であると認識されていた。だが本当に彼のものにならないようにするためには、その前に自分が誰かのものになればいい。道連れにすればいい。
 呪われているこの道を、共に歩めと命じればいい。
 エルザリートが選ばなければ、適当な相手が見繕われるだろう。マーシャルは有能な騎士を大勢従えているだろうし、商人の誰かの息子でも市民の支持を得るという意味では有効だ。そういう話し合いが彼らの間では行われているが、胸の中にはつかえがある。
 使われたくない。
(けれど、わたしに、そんな相手は……)
 扉が叩かれ、返事をすると、エジェが食事の盆を持って姿を現した。
「失礼すんぞ。お前、今日ろくに食ってないんだって? 気が重くなるのは分かるけど、飯は……、…………なんで遠ざかるんだよ」
「きっ、気のせいよ!」
 しまった。失敗した。食事をしていなければ、この男がこうしてやってくるのは予測できたはずなのに、よりにもよってこんな時に、エジェが一人で部屋に来るなんて。
「…………」
 まともに顔が見れない。先程から考えていたことと彼の顔が、重なったり揺れたりする。表情を見られないように顔を背け、窓に目をやった。
 夜の帳が、以前よりも重く首都の空を覆っている。星は見えない。月すらも。雲の向こうに隠れて、ぬるい闇が広がっている。
 ふと、ため息をつきながらエジェががしがしと頭を掻いた。
「……そこまで意識されるとむかつくんだけど、昼間の話、俺が最有力ってか」
「そんなことはひとことも言っていない」
 ただ、命じやすい相手ではあった。自分の元騎士で、反龍王派の使い捨ての駒。暗殺を企んだことで処刑されるところだったが、命を拾った男だ。
「あなたをそんな風に使いたくない。あなたは騎士。剣に殉じて生きて死ぬ。わたしなどのために飼い殺しにしたいとは思わない」
 声を荒げることがなくなったのは、自分が変わったからだろうか。
 誰かに命を投げ出される、その重さを知ったからか。
「誰かを守ることは尊いことだわ。けれど、わたしに守られる資格があるかどうかは、いまだに分からないでいる……」
 生きろ、とエジェは言った。生きる資格はあるのか。墓を作り、弔った気がして、過去を清算しようと必死になった。結局はこうして暖かい部屋と衣服を得て、勝てるかどうか分からない賭けをしようとしている。自分だけではなく、大勢を道連れにする。
 寒気が来た。生き残れるか分からない戦いに身を投じたキサラギは、こんな風にして身が竦むことがあったはずなのに、恐怖をおくびにも出さなかった。そうしなければ戦えなかったかもしれない。けれど、エルザリートには、それが彼女の優しさと強さであったように思う。
 生きる、信じる、戦う、という光を、自分だけではなく、エルザリートたち周囲の者にも信じられるように、前を向き続けた。
 ここにはいない彼女のことが、あまりにも眩しすぎて、吐き出す闇が止まらない。
「わたしのこれからの道行きに、いったい誰が来てくれるだろう。わたしは何も持っていなくて、ずっと自分自身を守ることに精一杯だった。これから何かを得られるとも思えない。そんなわたしに、皆が期待をかけている。玉座へ行き、冠を載せて、国を新しい場所に導けと。そんなこと……わたしが教えてほしいくらいなのに」
「けどお前、この国をどう作り替えるかって話をしてたじゃないか」
「あんなもの」と自嘲する。
「絵空事にすぎない。現実を知らないわたしの妄想の産物だわ。理想論を振りかざして立て直せるほど、この国は明るくない……いっそ、滅ぼしてもらえた方がいいのではないかとすら思う」
 焦土となって均された大地には、新しい国が興るだろう。
 けれど。
「――それでも、例え、利用され使われたとしても、未だこの国に希望を抱く者たちに報いることが、わたしの最後の償いだとも、思う……」
 生かされてきた。これからもきっと、そうだろう。
 ならば、国と人にこの身を捧げて尽くすことが、自分に与えられた使命ではないのか――そう思えた。
 ただ、それと結婚相手のことは別の話なのだ。一緒に来てくれ、と言える人物がエルザリートにはいない。共倒れする覚悟ならオーギュストだが、ここに至って、彼が考えを変える可能性は低い。
 オーギュストは幼い頃から世界を呪っていた。いつかそれを壊して捨てるために力を蓄えていたといってもいい。穏やかな微笑の裏で多くを蔑んで、エルザリートだけを側に置こうとしたのは、エルザリートが、彼の唯一の味方になるからだ。
(そう、わたしは知っている。オーギュスト……)
 あなたがわたしに信を置く理由を、知っている。
 執着とも呼ばれるそれは。
 青白い手首を見つめるエルザリートは、ずっと黙っているエジェのことを思い出して振り返った。
 灯りの側に、寂しい影を伴って、彼は立っている。そして、目を光らせて真っ直ぐにエルザリートを見ている。
 エルザリートは、笑った。
 仕方のない女でしょう、と自嘲しつつも彼に同意を求めるように。
 剣で戦い命を賭けてきた彼のような者にとって、こんなやり方はきっと快いものではないだろう。自分は剣を持たない。だからこそ、身を削り、心を削っていくしか、方法はないのだ。
 これがわたしの戦い方だ。
「言えよ」と、不意にエジェが言った。
「命令しろよ。お前の命を救ってやったんだから、最後まで使わせろって。自分のために生きて死ねって、言えばいい」
「言えないわ」
 わたしはもう、その言葉の重さを知っている。
「言えないのよ……だって、わたしはあなたに生きていてほしいもの」

    



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