―― 真 白 い 君 の 未 来
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 その年、リリスの冬の訪れは、例年に比べてかなり遅かった。十一月には積もり始めるはずの雪が、ほとんど降らなかったのだった。
 例年と異なる天候は、春にかけて農作物や畜産関係、および水不足に影響を及ぼすと考えられたが、暖かい冬はそれなりに人々に受け入れられたようだった。久しぶりに街の医院を訪れたアマーリエは、ハナから、患者が少ないこと、特に子どもが担ぎ込まれることがいつもより減っていると聞き、ほっと息を吐いた。
「ああ、すみません。これから備えなければならないことを思うと、安心してはいけないんですけれど。病気の子どもが多くないと聞いて、やっぱりよかったと感じてしまって」
 夏と、冬。この二つの季節で体調を崩す者は多い。とりわけ冬は、年寄りと子ども。リリス族は、成人後の強靭さからは想像できないほど、幼児の死亡率が非常に高い。恐らく環境のせいだと思ってきたアマーリエだが、いまは、もしかして種としての性質ではないだろうか、と疑っている。
 ともかく、子どもの患者が少ないことは、儚い命が多くないことを意味する。アマーリエの微笑に、ハナは頷いた。
「はい、わかります。それに、真様は母親となられたのですから、他の子どもの状況に我が子を重ねて、胸を痛めてしまうのですよね」
 多くの親子を見てきたハナが言うのだから、きっと自然な心の動きなのだろう。リリスにいてもこうなのだから、情報が溢れている都市にいたなら、子どもが絡む事件の報道を目にする度に、情緒不安定になると想像できる。情報が入ってきにくい土地ではあるが、そう思うと、テレビがない生活を好む人のことを理解できる気がした。
 ふと、扉を叩く音がした。ハナの視線にアマーリエが頷くと、彼女が「どうぞ」と声をかける。顔を出したのは、街に降りるときに同行してくれる青年武官だ。
 近頃ユメは、後進の教育を始めていて、実力があり信頼のおける若い官によく仕事を任せている。護衛が力不足だと不安だろうから、と事前に相談を受け、必ず仕事に慣れている者と組ませるとも約束してくれたので了承した。ユメの他、別の管理職の武官に推薦を受けた者がこちらに回されてくれるので、いまのところ、不便はない。
 特に今日護衛に付いてくれている彼は、ヨウ将軍の秘蔵っ子だそうで、当たりは柔らかく勤勉で、何をしても品がよく、きびきび動くので見ていて気持ちがいい。このときも、「失礼致します」と言ってから、扉を開けた。
「ご歓談中のところ、お邪魔をして申し訳ありません。お戻りいただく時間が迫っておりますので、そろそろお支度をお願いしてもよろしいでしょうか?」
 アマーリエは時計を読み、まあ、と席を立った。
「もうそんな時間なのね。お邪魔いたしました、ハナ先生。これで失礼させていただきます」
「こちらこそ、アンナさんからのお手紙をわざわざお持ちくださってありがとうございました」
 都市との繋がりは弱くはなっているが、母アンナからは「返信不要」と書かれた報告のメールが届く。そのなかに、ハナ宛のものがあったので、書き写して持ってきたのだ。
 奇妙な巡り合わせで出会った二人の女医は、ともに過ごすうちに意気投合したらしく、アマーリエ伝手に連絡があり、内容を読んでしまったものの、手紙の形でアンナの言葉を受け取れたことを、ハナはとても喜んでくれた。しばらく時間を置いて、ハナからアンナに言伝てがないか、聞いてみるのがよさそうだ。母が異郷の友人からの言葉を読んで、心和ませる姿を思い描き、アマーリエは微笑んだ。
 診療所を出ようとすると、働いている女性たちに出会す。未だ患者が来ず、仕事が途切れたのでおしゃべりをしていたようだ。アマーリエが帰ることを知ると、見送りに来てくれた。
「真様、是非またいらしてくださいね!」
「御子様はお元気ですか? お風邪を召してはいらっしゃいませんか?」
「ありがとう。コウセツはとっても元気です。最近はすぐに外に行きたがるので困っているけれど」
 女性たちは嬉しそうに笑った。
「きっとお可愛らしい御子様なんでしょうね。お連れになっていただきたいけれど……」
 リリスの子どもの晴れ舞台は、いくつかあり、元服と裳着はどの家庭でも行う成人の儀式だ。しかし、裕福な一族では一般的な、満一歳のお披露目もまた、最初の行事だけあって豪勢に行われるものだった。だが逆に、一歳になるまでは、表に出さないというのが決まりなのだそうだ。この冬にやってくる一歳のお披露目が、コウセツにとって初めての公式行事となる。
 親しくしている人たちが、赤ん坊を見たがるのは、よくわかっているつもりだ。アマーリエが普通の母親なら、少しだけならと抱いて外出したと思う。しかしコウセツは現族長の、現在唯一の子どもで、まだ一歳になっていない。王宮内を歩くのは許されても、外に連れ出すのは不可能なのだった。
 それをわかっていて、彼女たちは残念そうにしている。
「自分で歩いて、お喋りも上手になったら、こちらにお邪魔することもあるかもしれません。そのときは、たくさん可愛がってくださいね」
 赤ん坊の可愛い盛りを目にすることはできないかもしれないが、自己意識が発達すれば、そのうち外出も認められ、リリスの人々と触れ合うこともできる。アマーリエが言えるのは、このくらいのことだけだ。
 だがそれでも、彼女たちには十分だったらしい。わあっとはしゃいで、「楽しみにしています」と言ってくれた。
 付き添いの者たちとともに王宮に戻ると、残りの予定を消化する。春の終わりから増えていたお見舞いの手紙や、その返信は、ようやく数を減らしていた。ごく一部の、筆まめな送り主や、真夫人との繋がりを絶対に絶えさせないと心に決めた人からの手紙が、定期的に届くくらいになっている。
 書簡を確認する他にも、アマーリエの元には、都市とのやりとりに関する書類が回ってくることがある。どう調べてもよくわからない、という事項に関する調査依頼や助言を求めるメモが添えられているので、返信を書くなり、担当者を呼んで口頭で説明を行ったりなどする。
 書類仕事を終えて、時間が空くと、サコやハナから与えられた課題をこなす。サコの課題は、手習いや、楽器や歌の練習といった実技と、風俗、歴史、行事などの暗記もの、各氏族の特徴などリリスに関する必要知識をまとめる調べ学習と、多岐に渡る。日常生活に必要な知識なので、当然といえば当然か。ハナから貰うのは、医学書や論文の読解と、それをもとにして正しく記憶しているかを問う記述式の提出課題が大半を占める。シキによると、医官を目指す学生が学ぶ内容なのだそうだ。ちょっと学生に戻った気分になる。
「失礼いたします。真様。乳母様が真様にお目通りを願いたいと申しております」
 そして時々、こうして誰かの訪問を受けることがある。
 コウセツには乳母が三人ついている。二人は、子どもを産んだばかりの若い母親で、王宮に出仕している夫がいる。それらをまとめるのが、リーファ・ヨウ。他の二人に比べて歳は上だが、二人の子育てを経験した女性で、ヨウ将軍が愛してやまない妻としてよく知られている。
 やってきたのは、そのリーファだった。リリス族には珍しい小柄な人物で、ふわふわくるくるの巻き毛に童顔なので、少女のように愛くるしい。しかし、そのいとけなさに反して、身体は砂時計型。胸元が平らになりがちな旧暦東洋の和装であっても、胸のふくよかさが見て取れる。そして、将軍の妻というだけあって、可憐な見た目とは裏腹に、非常にきっちりとした性格の女性だった。
「リーファ・ヨウでございます。突然のお願いにも関わらず、すぐにお目通りが叶いましたこと、御礼申し上げます。ご多忙にも関わらず、お時間をちょうだいいたしまして申し訳ございません」
「こちらこそ、いつもありがとうございます。かしこまらなくて大丈夫ですから、どうか楽にお話しになってください」
「ありがとうございます。それでは……」
 こほこほん、と咳払いをした彼女は、次の瞬間、淑女の仮面を放り投げた。
「……真様、大変です、大変なんですっ。他の乳母たちが辞めたいと言い始めたんです」
 顔を両手で包んで、はあーっ、とため息をつく。
 武官の妻らしく、普段はきりりとしているリーファは、アマーリエが許可を出さないとまったく距離を縮めてくれない。しかし、一度許しが出ると、途端に彼女の言動は幼くなる。きっと、自分の見た目のことを考えて、普段は表に出さないようにしているのだろう。
 だが、その報告は聞き捨てならない。
「辞めたい? 何か問題があったんですか?」
 乳母の採用にあたって、アマーリエの育児方針を巡って話し合いを行ったことは記憶に新しい。また常識はずれなことを支持してしまったのだろうか、とアマーリエが最近の出来事を思い出そうとしていると、リーファはふるふると首を振った。
「違うんです、違うんです。不満があるとか、問題があるとかではなく……」
 リーファが話し始めようとしたとき、アマーリエの視界の端に、近付いてくる人影が映った。静かに滑り寄ってきたアイが、口元を隠しつつ、耳打ちする。
「……僭越ながら、人を遣わしました。天様がお越しになるそうです」
 コウセツのことだから、と気を利かせてくれたのだ。果たして、しばらくもしないうちにキヨツグが姿を現す。平伏したリーファは、再び堅苦しい口調に戻ったが、ここは謁見の間ではないからとキヨツグが告げると、また若々しい口調に戻った。
「ええと、乳母たちに聞き取りをしましたが、待遇にはまったく問題がないそうなんです。実際、わたくしたちは御子様のお世話以外は何もしなくていいと、女官や侍従の皆様は理解してくださっているので、他の仕事を求められることもありませんし。むしろ、食事やお手水のために色々と便宜を図ってくださったり、様子を見にきてくださったり……まあ、御子様のお顔が見たいだけでしょうが」
「気持ちよく仕事ができているなら、いいんですけれど。それがどうして退職希望に繋がるんですか?」
 アマーリエの感覚では、本当は夫婦で子どもを育て、ときには周囲の手を借りるという子育てが一般的なので、公務があるとはいえ、育児のほとんどを他人に任せている状況は、申し訳ないながらもありがたい。体力面で回復しきっていない身としては、ゆっくり食事ができたり十分な睡眠時間を取れるのは、彼女たちにひたすら感謝だ。
「もし悩み事があるなら、力になります。知っていることを聞かせてください」
 いつもお世話になっているのだから、と強く言うと、リーファはさらに困った顔をした。
 そこでキヨツグが口を開いた。
「コウセツに、何か思うところがあるのか」
 アマーリエはびくっとし、キヨツグの顔を見た。ほろりと微笑んだリーファが言う。
「天様は何でもお見通しなのですね。……ええ、ええ。そうなんです。いくつか気になるところがあり……」
 そう言って、リーファは語った。

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