2. 覇王と大臣
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 カリス・ルークは不機嫌だった。あまりにも膨大な、恐らく偽物がほとんどであろう肖像画を次々に見せられて。
 ナリアエルカ特有の強い日射し、乾いた風に庭園の緑が揺れている。風は開かれた窓から吹き込んで室内で大きな肖像画を捧げ持つ文官の冷や汗を拭おうとした。
 主たるカリス・ルークは眉間にきつく皺を寄せ、質素でありながら金をあしらった机をこつこつとしつこく指先で叩いている。文官の目にも、主が仕事を中断されて不機嫌なのは目に見えて明らかだった。
 そのカリス・ルークはため息をつく。ウィリアムを筆頭とした大臣たちの懸念は分かる。ようやくひとつにまとまろうとしているナリアエルカをこの先もそうであり続けさせる為には次の王は必要不可欠だ。自分には妻がないしそれに値するような恋人もいない。影も形もない。【覇王】と呼ばれる者の血が流れる者を頂点に立て続けねばならないのに、だ。
「ウィリアム……何とかならないか」
「ならない」とカリス・ルークが剣を振るうよりも鮮やかに彼は斬り捨てた。
「これも政務だ。そもそもお前が後宮を作らないのが悪い」
 同じように肖像画を眺めていた彼、異国人の親友でもある大臣ウィリアム・リークッドにきっぱりと否定された上に冷たい碧眼を向けられながら更に責められもして、カリス・ルークは歯軋りする。
 恋愛の駆け引き? 王として国の損得を考えた駆け引きなら上手くやってみせよう。どの人間をどこに配置すれば上手く事が進むか考えるのは特異だ。だがその知恵と判断力が恋愛に使われたことは一度もなく、使おうと思ったことすらなかった。
 女嫌いというわけではない。ただ『王』にすり寄ってくる輩がおぞましいだけだ。
「カリス・ルーク。唸ってもどうにもならない」
「……分かっている」
 ふんと大臣は鼻で笑った。【覇王】も大変だなと完全に他人事の様子である。
 いくつもの部族が存在して乱立する小国、部族が争いを続けていたナリアエルカ大陸において、オル一族のナリク・ルークとその息子カリス・ルークと言えば統一の英雄だった。ナリク・ルークはある時は自ら一族を率いて戦い、時にはそこに滞在して王と対話し、またある時は国を操る者の悪事を暴いて、その人間的魅力と行動力で人々を惹き付けた。ナリク・ルークが没した後、カリス・ルークは父と同じ魅力を受け継ぎながら異大陸の国家観を持って、人々に『ナリアエルカ』というひとつの国の在り方を提示した、と言われている。そうして急速にまとまり始めたナリアエルカがひとつの国となった頃、いつの間にかカリス・ルークは【覇王】の称号を付けて呼ばれるようになっていた。
【英雄】と【覇王】。二つの称号を持つ者には当然ながらその祝福のおこぼれに預かろうとする輩と遭遇することは宿命付けられていると言っていいだろう。そういう輩は権力や財力にしか目を向けず、人となりをきちんと見ることはしない、求めるものが人ではないからだ、というのがカリス・ルークの持論だった。
 そんなカリス・ルークは、幸か不幸か、自身にとってはある意味不幸だったが、ナリアエルカを統一した覇王の血を欲しがる人間は多い。元々国々や部族――小国から現在領地となった場所を治める領主たちは、我が娘をと次々に見合いの肖像画を送ってきている。彼らだけでなく貴族たち、有力な商家、富豪たちからも例外ではなく、今山となって積み上げられ、順にカリス・ルークの前に披露されていた。
 文官たちが汗を掻きながら持ってきた巨大な額縁の肖像画にカリス・ルークは苛立たしく、どいつもこいつも変わり映えのしない、と心の中で悪態をついた。
 これまでに見た肖像画の娘たちは誰も彼も、ナリアエルカ人特有の黒い肌を偽って白っぽい肌色を使い、黒いはずの瞳に青やら緑やら鮮やかな色を塗り、民族衣装ではなくフィルライン大陸辺りの流行りらしい腰や胸を締め上げ裾を何段重ねにもしたドレスを身に纏っていた。人物としては背は低く、少しぽっちゃり目に描いている。
 本物は恐らく色が黒く黒髪に黒っぽい瞳で、多くにはすでに婚約者がいるに違いない。愛した相手でないとと子どものようなことは言わない。だが出来れば嘘を吐かぬ者が良い。
 下げろと顎で示すと新しい文官と共に次の肖像画が現れる。同じような肖像画にカリス・ルークは本物の鮮やかな碧眼を剣呑に細めて呟いた。
「私が混血でナリアエルカ人の特徴を持っていないからと言って、これは一体何なんだ?」
 カリス・ルークは他大陸の人間のように白っぽい肌に薄い青の瞳。ただ掻きむしる短い頭髪だけがナリアエルカ人の特徴として黒い。その物珍しさが忌まれることもあれば人を惹き付けることもあったので今となっては気にしていないが、かと言ってなんだかんだと思い込まれるのも腹が立つ。肌の色を気にしてどうするのだ。
「誰だ。私が異国人風が好きだと噂を広めた奴は」
「ふむ。ここまでこうだと見事だな。最近の流行りじゃないか? ……俺を見るな、何にもしてない」
 次の肖像画を見るとウィリアムはこれはだめだと先に却下を付けた。小部族で利益がないということらしい。カリス・ルークの疑惑の目を口元の微笑で受け流した大臣は、そんな肖像画の山を適当に突き返せばいいものを全部見なければならないと強く言ったのだ。親友に頭の上がらないカリス・ルークは、仕事を退けて、ウィリアムに言わせればこれも仕事だという肖像画を次々に検分している。だがそれが何時間も続くとそろそろ限界だった。
 机に手をつき立ち上がった瞬間、文官たちがびくっと跳ねて肖像画が滑り落ちる。床にぶつかる鈍い音がした。彼らを見ながら遂に言った。
「ありのままを掻いている肖像画だけを見せろ。それ以外は見ん!」
 文官たちを追いやるとカリス・ルークは深く椅子に腰を沈めた。そしてちらりと親友を見る。何も言わないところを見ると言い出すのを予期していたようだった。
 ようやく一息をつけて額を押さえた。頭痛がする。
「まったく、よくもまあぬけぬけと」
 以前反乱を起こして国を興した時に領地を没収されたある部族、さきほどウィリアムが却下した小部族の娘の肖像画があったことを思い出して、カリス・ルークは重く呟いた。
 すでに反乱があった。すぐに鎮圧したがカリス・ルークは領地を没収、規模を縮小させて家名の没収ということで部族の名を取り上げた。その名の一切が残ること許さぬとし、新たな名を与えて歴史を奪った。以前の名は国内部族一覧からは消されている。
 王などいらないという声が、絡め取るようにまとわりついている。引っ立てられた反乱部族の長は言った。ナリアエルカはお前の物ではないと叫び、では誰の物であるのだという問いにナリアエルカ人の物だと笑った壮年の長。お前は誰でもない、ナリアエルカに生まれた混血はどこにも行けぬと嘲笑っていった。
 その時も考えた。ずっと考えている。あの時――統一を目指すと決めた時に聞こえていた声は自分の征服欲によるものではなかったか。恨みからではなかったか。
(分からない)
 いつも答えに辿り着けない。
 ふっと息を吐き思考を切り替えて書類を取り上げた時、ウィリアムが言った。
「提案があるんだが。うるさい蠅を追い払い、結婚相手も選べる、かもしれない」
「かもしれないとはなんだ」
 親友を信頼しているカリス・ルークはその考えを聞かずとも最初から同意するつもりだったが、それでも格好をつける為に王らしくふんぞり返って言った。
「よし、話してみよ」
 普段から椅子に座っている時は王らしく、と小言を言っているウィリアムは、その様子を満足げに笑って話し始めた。
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