9. 王宮
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 オル城は要塞というよりも西方建築を取り入れている美しい建築物として芸術的評価の方が高かった。過去にはたった一人の正妃の為にその王妃だけの宮殿を一つ作り上げた長がいて、そこは最も神秘的で美しい場所とされてきた。今日まで長く閉鎖されてきたが今度こそ開かれるのではと民衆の噂話に囁かれた。
 そんな宮殿を抱く王城にリワム・リラは息も絶え絶えに踏み込んだ。自宅から城までの道のりが、お祭り騒ぎのごとく民衆によってまるで成婚が決まったかのような行進に発展し、馬車の中で身を縮こまらせて震えていたのだ。もし姿を見られたら非難の目を浴びるだろう。やっぱり受けなければ良かったと後悔した。
 城に着いた馬車から降りると侍従によって奥へ奥へと導かれた。ふらふらしながら城の美しい装飾を目にし、美術書で見た名のある彫刻家の作品を間近に見ることが出来て、ぱっと心が明るくなったのも束の間、立ち止まりもしない目を合わせもしない侍従のことを考えると気が重くなった。これからこういう、全く知らない人々ばかりと暮らさなければならないのだ。
 通された部屋は広かった。自宅の自室が四つくらい集まっており、扉はなく薄布で仕切ってある。これがただ一人の部屋だというのだ。荷物が運び込まれて雑然としていたが、リワム・リラは爽やかな風が吹き込んでくる窓に走り寄った。そこからは緑の庭が望め、椰子の木の木陰が室内にまでも落ちていた。瑞々しい香りもする。心が弾んだ。
(あとで散歩してみよう)
「リワム・リラ様」
 呼ぶ声があって振り返る。初老の女性が頭を下げていた。
「他の候補の方々がお集まりのようです。部屋がご用意できるまでご挨拶なさったら如何でしょうか。ご案内致します」
 他の候補の存在をすっかり忘れていた。これからの為にもそうした方が良いだろうと、リワム・リラはお願いしますと言って女官の後に付いた。
 通されたのは風の良く通るテラスで、やはり扉の代わりに薄布が揺れていた。
 候補らしい女性たちはその場に四人。中でも目立つのは背の高い、黒髪を高く結い上げ目の周りを黒く塗った美しい女性だった。その化粧は恐らくシュン族の出身者だからだろう。一番年長らしい。鈴の鳴るような笑い声が聞こえてきた。もう一人目立つのは、フィルライン風のレースをふんだんに使った淡い色のドレスの娘だ。彼女は一番年下に見えた。
「……あら?」
 その娘が気付いた。立ち尽くしていたリワム・リラは目を向けられてぴくっと硬直した。
「また新しい人が来たのね」
 シュン族の娘が言った。
「ごきげんよう」
 にっこりと異国のドレスの娘が笑う。リワム・リラはあたふたとその輪に近付いていった。
「ご、ご機嫌よう。リワム・リラと申します」
「あたくしはキール・シェム」
 とシュン族の娘。
「私はアン・ヤー」
「ナラ・ルーよ」
 ナリアエルカ人らしい娘たちが口々に名乗る。二人は良く似ていた。その視線に気付いた二人は「私たちは」「従姉妹なの」と二人で一言口にして顔を見合わせた。
 最後は異国のドレスの娘だ。
「わたしはオルハ・サイ。あなたはどこの方?」
「え、この都の者ですが……」
 娘たちは一斉に噴き出した。
「そういうことじゃなくってよ。あなたの部族を聞いているの」
 リワム・リラは真っ赤になった。早速失敗が一つ。この先が思いやられた。
「す、すみません……マージです、マージ族のリワム・リラです」
「あら、マージ、ねえ……」
 シュン族のキール・シェムは皮肉な笑みを刻んだ。
「あたくしはシュン王国の人間なの」
「王女さまだったんですって。わたしはサイ族、族長の娘なの」
「シュン王国に、サイ族!」
 シュン王国はナリアエルカ統一前に最も大きかった国だ。サイ族は最も規模が大きい部族。それだけでも眩暈がするのに、アン・ヤーは沿岸地方を掌握していたヤー族の娘、ナラ・ルーは狩猟民族ルー族の娘だった。リワム・リラのマージは商人の一族と呼ばれ、たくさんの小部族が集まって巨大だが、元々の自国は小さく、長く純粋な血統としてはどこにも敵わない。
「あら、あなた異国人?」
 オルハ・サイが不意に声を上げた。
「まあ、本当。金色の目をしているわ。混血なのね」
 慌てて目を落としたが、娘たちが黙り込んで様子を窺っているのでおずおずと目を上げた。するとキール・シェムの嘲笑が目に飛び込んできた。
「ふうん、混血。なるほどねえ」
 口元を隠してくすりと笑う。
「魔神の目ね。不吉なこと」
「ねえ、あなたも?」
「誰かを呪い殺したりするの?」
 さっと血の気が引いた。無邪気を装った悪意の質問。アン・ヤーとナラ・ルーはくすくす笑いが止まらない。言葉を失ったリワム・リラを前に、キール・シェムは喉を逸らして愉快そうに笑いながら長い衣装の裾をさばいた。
「それでは失礼するわ。なかなか面白いのを集めたようね、カリス・ルーク様は」
 ほほほ……と美しい声を響かせて彼女は行き、それに二人の娘が続いた。
 リワム・リラは目を落としたきりで、固く、拳を握って震えていた。
 分かっていた。そういう反応が普通だった。今までも、これからも。
(大丈夫。慣れてる。そう、思い出して……)
 ウィリアムの微笑み。笑いかけてくれたあの青い瞳。きらきら光る金色の髪。
 思い浮かぶのは太陽だ。
 息を吸い込む。温かい日射しを受ける自分を想像する。その思い出があれば大丈夫だと心が言う。
 握り締めていた手にそっと別の手が触れた。顔を上げるとオルハ・サイが彼女たちが去っていた方角を見つめていた。
「自分がカリス・ルーク様と結婚すると思い込んでいるのよ。かわいそうな人」
 オルハ・サイは向こうにやっていた目をこちらに向け、明るく笑いかけてくれた。
「わたしたちは仲良くしましょうね、リワム・リラ?」
 そうしてリワム・リラはようやくほっと笑うことが出来た。

 部屋に戻ってくるとまだ若干片づいていないもののずいぶんときちんとした部屋になっていた。リワム・リラの姿を認めると、さきほどの初老の女官が現れる。ぱんぱんと手を打ち鳴らし、全員がリワム・リラの前に揃って平伏した。
「これからリワム・リラ様のお世話をさせて頂きます、ナーノ・シイでございます」
 ずらりと並んだ人々がリワム・リラにいっそう深く頭を下げた。
「お越しが急だった為、まだお世話する者の人数を揃えられておりません。ご容赦下さいませ」
「い、いいえ! 十分です」
 ここにいるだけで二十人近く。側に付いているだけなら余るほどの数だ。
「何か分からないことがございましたら遠慮なくお聞き下さい」
 ナーノ・シイには城勤めを何年もやってきたという貫禄があって、リワム・リラの背も伸びた。
「はい。これからお世話になります。よろしくお願いします」
 頭を下げたリワム・リラにナーノ・シイたち女官は面食らったようだった。若い女官など戸惑っている。しかしすぐナーノ・シイは笑顔になると、はいと頷いた。自分に向けられたその笑顔で、リワム・リラは何とかやっていけるかもしれないと思うことができた。
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