8. 歯車の速さ
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 どうやらお忍びらしきものだったらしくウィリアムと部下に守られながら徒歩での帰宅だったが、それよりもリワム・リラに重要なのはウィリアムが姉妹の自宅の場所を把握しているということだった。顔を覚えられていることに他ならないと思い、淡い温かさで少し幸せだった。もう少しお話しできたらいいのに、なんて短く夢見るくらい。
 自宅の前まで来ると、ウィリアムは二人に向き直った。リワム・リラが礼を言おうと頭を下げた時、ウィリアムの言葉が降ってきた。
「ありがとうござい、」
「城へ来ないか」
 リワム・リラの言葉が尻すぼみに消える。ぱちくりと目を見開いたまま顔を上げると、ウィリアムはこちらを見ていた。姉に向けられたのかと姉を見ると、姉もまた、わずかに真剣な目をこちらに向けている。
「お前が与えられるものを王に見せてみるつもりはないか」
 リワム・リラは二度驚いた。ウィリアムの言葉は自分に向けられたもの。それに、与えられるもの。手紙でその内容に触れたつもりはない。ぼんやりしていると、ウィリアムは少し不思議そうに言い募った。
「月だ。月を与えられるのだろう?」
 意味が分からず頭の中で繰り返す。
(……月。月……?)
 月だって?
「え、えええっ!?」
 何故ご存じなのですか!? 絶叫する前にミル・シーが進み出た。
「承知致しました。お迎えはいつでございましょう?」
 絶叫はミル・シーを呼ぶ悲鳴に代わる。
「お姉様!?」
「もったいないくらい素敵なことよ、リワム・リラ。お行きなさい」
「だ、だって、でも!」
 正式な選抜ではない。自分が行くなんてあってはならない。与えられるものもなく金色の瞳を持つ自分など。
「そんなの! 誰も許しません!」
 リワム・リラは必死に声を上げた。本当にこの瞬間全身全霊をかけて言っていた。許されないと信じていた。
「誰が許さないんだ?」
 そうウィリアムが尋ねた時、全ての人がと答えようとした。けれどリワム・リラを待たず、ウィリアムはその答えを却下した。
「私が許している。それで十分だ」
 全ての人という答えが消えた瞬間、リワム・リラは思わずウィリアムを見つめた。当然と言い放つ自信に満ち溢れた口調と表情の彼を、初めてのものを見る目で見た。
 この人は、変だ。呆然としながらもそんな思いが生まれる。だって、他人なのにこんな真っ直ぐな目と言葉を私にくれるなんて。
 ひとときも青い瞳は逸らされない。
「……城はカリス・ルーク様の膝元、たくさんの兵士がいるでしょう」
 リワム・リラはぼんやり聞いていた。姉は何を言い出したのだろう。だがおかしなことにウィリアムも頷いたのだ。
「そうだな。城には兵も、私もいる」
 答えが出せずにいると、七日後に迎えを寄越すと宣言してウィリアムは去っていった。最後にひとつ、微笑んで。

   * * *

 上を下への大騒ぎな屋敷の中でリワム・リラは取り残されていた。あの日の内に正式な使者がやってきて、リワム・リラに登城の令を告げた。屋敷はひっくり返したような騒ぎに陥り、仕事であった父は呼び戻され、やれ衣装や装飾品、家具や調度品やらと用意されることになった。張り切る父を筆頭に女中頭から部屋を追い出され、リワム・リラはいつ姉の元に来ていたのかも分からなかった。
「お姉様……どうして私が喚ばれるんでしょう?」
「二十九回目」
 数を呟くとミル・シーは言う。
「どうしてどうしてと言うのはお止めなさい。あなたが選ばれたの。あなたが行くのよ」
 もっと嬉しそうな顔をなさいと、リワム・リラの頬に手を添えた顔を上げさせる。
「カリス・ルーク様にお会いできるのよ? あなたが愛してやまない英雄に!」
「…………」
 リワム・リラはどうしようもなくてため息をついた。この憂鬱な気持ちは何なのだろう。ずっとウィリアムの顔ばかり浮かぶ。抱えた膝に顔を埋めた。
「お姉様こそ、どうなんですか?」
 ミル・シーは「わたくし?」と首を傾げた。
「そうねえ。わたくしもお会いしたいけれど、でもあなたのように恋い焦がれているわけではないから」
「こ、恋い焦がれてる……?」
 誰のことだろうと恐る恐る尋ねると、あら、とミル・シーは意外そうに目を見張る。
「違うの? 最近鏡を見てため息をついているのはそうではなかったの?」
 わたくしてっきり物思いに耽っているのだと。自分の頬に手を当てて困ったように。
「ち、違います、鏡を見て、いたのは……」
 ウィリアム・リークッド様が。あの方が、金の瞳を美しいと言ったものだから。自然と、優しい声で。その時を思い出すと、胸はじんと痺れて全部が真っ白になって、心臓が踊るように跳ねる。
 恋。恋。その鼓動の速さは恋? だとすれば、この恋はカリス・ルーク様ではなくて……。
 かっ、と熱。
「見ていたのは?」
「な、なんでもないです!」
 ぶんぶんと頭を振る。そう、と呟き追求してこなかった姉にこっそりほっとした。真っ赤な顔を隠す為に両手で頬を包んでおく。
 ミル・シーは深く息を吐くと、じっとリワム・リラを見た。
「王宮は安全だと思うけれど……」
 少し熱が落ち着く。そういう時の姉はまるで心配しすぎる母親のように真剣だからだ。そして本当に心から心配している。
「自分の身は自分で守るようにして。わたくしも、自分の身は自分で守るから」
 けれどいつも以上に低い口調だった。気圧されて、恐る恐る頷きを返した。

   * * *

「それで城へ呼ぶことにしたのか? 『また何かやらかすつもりだ』と官吏たちが噂してるぞ」
 親友の言葉に金髪をいじりながら苦笑した。
「仕方ないだろう。全部手元に置いておいた方が監視もしやすい」
 それに、と彼は何やら物憂げなため息をつく。
「何やらあの娘が気になってな……」
「まあ、確かにお前の女性遍歴にはない性格のようだが?」
 思わず見つめると親友はにやりと意地悪い笑み。
「調べさせた」
 それくらい王妃候補を選ぶ者として当然だろうと青い目の親友は言う。彼は頷いて、この親友のおめがねに適うのはどんな女性なのだろうと想像した。するととんでもない人外が浮かんで慌てて振り払った。
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