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1054年    星鍾教会成立
1149年    星鍾教会征服戦争
1187年    エニア王国成立
1212年    エニア王国滅亡  内乱時代始まる
1250年    選定会議 内乱収拾
1255年 4月 エルディア王国成立
1412年10月 ギエナー平原の戦い
1450年頃   活版印刷術が発明される
1555年 4月 西方三国同盟成立
1592年10月 西方三国同盟解散
1596年 9月 エルディア・ファルム国境戦争
1597年 7月 マルス一世崩御
1598年 4月 王太子アウエン誕生
1600年 4月 王妃ミシェル、女王即位
1612年 7月 王太子アウエン、ジェシカ・キルタ公爵令嬢と婚姻
      8月 エルディア・ディピア国境戦争
1613年 3月 アウエン一世即位
      6月 西方三国同盟再成立
1617年12月 アウエン一世、リコリス・オーレア公爵令嬢と婚姻
1620年 7月 王太子レイス、王女リアラ誕生
1645年 4月 エルディア国に自然保護区成立
1648年 9月 レイス一世即位
1650年 7月 アウエン一世崩御









 アウエン一世の二度目の結婚式は、一度目の慌ただしさに比べ(何せ婚礼の指輪すら間に合わなかった!)盛大に行われた。王が壮年になって迎えた王妃は同国の伯爵令嬢で、王が王太子時代に迎えた一度目の妃が不審な死に方をしていることから、すったもんだの末に嫁いだと、伯爵家の家宰の日記に記されている。どうやらこの王妃、相当な変わり者であったことは、成婚の後「私は第二夫人です」と公に発言したことからもうかがえる。それに対してアウエン王は咎めることなく「理解ある妃で助かる」と言ったというから、相当おかしな夫婦であっただろう。
 結婚の後、アウエン王は王妃の持ち物であった領地を自然保護区と定め、永久に誰にも侵されることはないと宣言した。王の結婚の理由は、このまだ開墾されきっていないこの地の保護にあったのだろう。彼は土地と結婚したのである。だが、前述のように王妃も風変わりな人物であったため、これに一族はともかく、自身は異論を唱えることはなかった。
 王妃は結婚後、親しい人間に「私はおまけなの」と言い、こう言ったという。
「運命の女はひとりでいい、そういう方なの、あの人」









 スノーラ聖堂は、雪深い土地にある最も権威のある聖堂です。現在も、王家や貴族の方々が結婚式を行うために訪れることがあります。
 聖堂に至るまでの道は険しいですが、やがて見えてくる大鐘楼は圧巻です。
 しかし厳しい環境であるため、己の旅の終着地にここを選ぶ方も多く、行方不明者も後をつきません。
 お探しの結婚証明書ですが、署名はこのようになっております。はい、相違がございます。手記には、陛下がご結婚なされたのはこの方ではないという記述がございますね。聖堂の当時の記録には、とても慌ただしく執り行われた式であったと残っております。
 何があったのか、ですか。……一聖職者である身、穿った発言をしてしまうことは教会の名折れでございます。申し訳ありませんが、お話しすることはできません。









 俺のひいじいさん、こいつがすげえ長生きでさ、九十になった時に数えるのを止めたから今いくつか分かんねえなんつってて。頑丈な人だったんだろう、ひいじいさんの話を信じりゃ戦争で首級を挙げて表彰されたらしいから、よほど身体も強かったんだろうな。
 このじいさんが、見たことがあるんだと。
 誰って? ……あいつをさ。
 同じやつか、なんて聞くなよ。分かるだろ。俺たちが見たのはそいつだよ。
 あれはそういうものなんだ。
 でもまあ、俺も驚いたね。だって、ひいじいさんもそのまたじいさんに話を聞いたっつってたんだから。
 どれくらい生きてるかなんて知らねえよ。そういうものが『在る』んだ。俺たちの知らないところ、知らない時間を生きてるやつが。
 怖がるなよ。あいつは優しく殺すだけなんだ。
 本当に怖いのは、生きている人間だけさ。









 国立博物館 展示担当様
 前略。ご丁寧な問い合わせのお手紙をいただき、ありがとうございました。
 今回、当時の女官が保管していたという衣装を公開したいとのご連絡をいただき、心躍るお申し出に、一同、湧いております。
 彼女は非常にまめな人物だったようで、目録を作成し、誰がどんな時に着用したものかという記録が残していました。こちらでは、その三百年前の息吹を感じる衣装の数々が国立女王博物館で展示されるとは、我々も楽しみにしております。
 さて、とりあえず目録の写しと写真をお送りいたします。名と品が合致していないものがございますが、間違いではございません。目録に忠実にいたしますと、その甲冑も手甲も、王子妃の品物ということになっております。
 この展示を通じて、見学者の方々に、我々研究者を長年悩ませている問題に触れていただければと思います。
 国史調査研究所 王宮服飾史担当 ユリア・クローディア










 青い髪、翻る。
 冴えた月の魔性。
 夜を駆け行く者の青。
 刃は光。
 慈悲ある死の口づけ。
 その死神は美しく、口づけられた者は幸運だ。
 この世の苦しみを味わう前に、優しい闇が迎えにくる。










 ……今の歌?
 ああ、俺が作った歌だよ。へえ、聞いてくれたんだ。ありがとな。
 へたくそだったろ。でも好きなんだよなあ、歌が。
 ははっ、盗賊の話が真に迫ってたって? そりゃあなあ。
 うん、俺は盗賊だったんだ。人は殺したことはないけど、盗みはやった。
 あとは歌の通りだよ。そいつが俺を吟遊詩人って呼んだから、俺は歌うようになったのさ。
 やばいなあ、そんなに褒めるようなものか? 嬉しくてくすぐったいよ。歌い出しそうな気になる。そうか、お前も剣を持ってるもんな、憧れるのは当然か。
 なら、この歌を継いでいってくれよ。どんどん大きくしていってくれ。そうしたらきっと、あいつが聞くこともあるだろうから。

 これは、あいつのための歌なんだ。





戦場に咲くレシュノルティア



愛を知らない者が さよならに臆病にならないように
月に泣く声が 獣の声に変わらないように





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