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 スノーラ聖堂に連行されたレシュノルティアは、そこで花嫁衣装と対峙することになった。王女、傭兵の他、人に言えないこともやってきたが、まさか花嫁を偽装することになるとは思わなかった。
 他人の花嫁衣装ながら、ドレスは夢の淡さを思わせる美しいものだった。触れるのが怖いとさえ感じる。刃を素手で掴むことはもう怖くないのに、こういう繊細なものに触れるときはいつも躊躇する。十七の時なら喜んで手にしただろうが、例えこの手が白さと細さを失っていなくとも、こびりついた紅の色をレシュノルティア自身が誰よりも知っていた。
 しかし、あのまま生きていたなら、数年も経たずに結婚していただろう、とレシュノルティアは思った。花嫁衣装を身に着け、王妃の冠をいただき、隣にはきっと従兄がいた。
 もう幻でしか見れない夢だ。
「身丈はそれほど変わらないようですわね。腹部を多少詰めればいいでしょう」
「見て分かるのか」
「髪を染めるのは時間が足りないから、あなたたち、何でもいいから花を持ってきなさい。なければその辺りで摘んでくるのよ。頭に飾って髪を隠しましょう。華やかではないかもしれないけれど、急ごしらえの花嫁ならばそのくらいで構わないでしょう」
 嫌われているようだ。当然だと思い、レシュノルティアは口を閉ざした。
 情報を制限するため、花嫁の準備に当たる者はグレイの息のかかった者に限定された。髪に白いものが混じるユリアという年かさの女性が先導し、数少ない女性たちを走り回らせている。
「あら、これは……」
 ユリアが表情をふと和らげた。
 下着一枚になることを命じられたレシュノルティアが身につけているのは、アザレアからもらった銀青花染めの護符しかない。彼女は、これに目を留めていた。
「何か」
「めずらしいものをお持ちですね。銀青花染めなんて、今はとても高価なものですのに。懐かしい。わたくしの祖母が持っておりました。一族で受け継いできたものだと言って」
 突然現れた身代わりの娘に敵意を抱き、必要最低限、口もきかなかった女性が、たった一枚の護符で警戒を緩めた。すると、部下である女性たちにもそれが伝わり、レシュノルティアへの眼差しは多少好意的なものに変わった。
 すると会話がうまれるもので、好奇心旺盛な様子に若干気圧されたものの、育ちのいい女性たちの華やかな会話を楽しんでいたが、その結果、レシュノルティアはグレイの素性を知るはめになったのだった。



「二度とごめんだ」
 結婚式で花嫁の身代わりとなった上、死人の名を署名する、という苦痛の時間を過ごし、レシュノルティアはドレスから解放された。矯正下着や踵の高い華奢な靴など、長らく身に付けていなかったものに身体を締め付けられたこともあって、疲労がどっしりとのしかかっていた。
「綺麗だったぞ」
「黙れ。舌を切り落とすぞ」
 かつて自分がああいうものを当然とした生き物だったのが嘘みたいだ。その姿を強要したのがエルディアの王子とは。
(因縁、か……)
 しかし今度こそこれで最後だ。エルディア、ファルム、ディピアといった国がある西方は広い。アザレアの占いが何かあるという北を指したとしても、約束もしていない人間がもう一度出会うのは稀だ。こんなところで再び会うなどとは思いもしなかったが、これはただの偶然に過ぎない。後は、別れるだけ。
「殿下」
 ミランがグレイに何か耳打ちする。と、グレイが凶悪な笑みを浮かべた。
 警戒して姿勢を正す。
「レシュ、ちょっといいか。見せたいものがある」
 そう言うなり立ち上がる。有無を言わさぬ態度に、レシュノルティアは重い身体を引きずって後に続いた。
 夜も更けた聖堂は静まり返り、熱心な信者たちが唱える低い祈りの言葉が回廊まで響いてきていた。聖堂に染み付いた響きに、わずかに寒気を覚える。灯火に揺れる影は、いつもならば味方をするはずなのに、ここの闇は寒気がするほどよそよそしい。
「どこに行く。こっちは……」
 公爵令嬢の眠る棺がある。誰も近付かないようにと厳命し、見張りを立たせている部屋だ。グレイの姿を認めた騎士たちは頷き、続くレシュノルティアを通した。
 闇の中に安置される棺をいぶかしく見下ろし、これがどうしたとグレイに目を向けると、彼は表情のうかがえない目をして、決意を固めるように短く祈りの言葉を呟き、蓋に手をかけた。
「!」
 中身は、空っぽだった。
「……どういうことだ。私を担いだのか」
「まさか。あれは死体だった。人形でもない」
「だが死体は歩かない」
「そうだ。だが、式に欠席者は一人もいなかった。式の最中、席を外れた者もいない」
「いつ空だと気付いた」
「ついさきほど、見張りの者が。部屋が光ったように思えて部屋を覗いたが何もない。だが妙な感じがして、棺を見た。釘を打って完全に蓋をしてあったが、気になって触ってみると軽い気がする。ミランに許可をもらって開けてみたら空だった、と」
「出来過ぎだ」
 レシュノルティアは端的に述べた。グレイは苦笑する。
「俺もそう思う。だが誓って、お前を謀ってはいない」
 注意深く棺を観察する。金臭いのは血だろう。外傷はなかったし、死体は綺麗なものだったが、どうしてここまでにおうのか、疑問に思った時。
「……」
「どうした?」
「何か書いてある……」
 ほとんど無意識に呟いていた。答えを求めない、自身に対する確認の言葉だったが、そんなことに気付いていないグレイは律儀にレシュノルティアの視線を辿った。
 赤い文字で、こう書かれていた。



 もうすぐ、会えるよ。



 ――誰の言葉なのかは明白だった。
 棺の文字を拳で叩き付け、レシュノルティアは唸った。
 魔術師は、待っている。
 そうして、やってきたのだ。再びレシュノルティアに会うために。
 追っておいで、と笑う声を聞く。目の前に揺れる手を見る。嘲笑し揶揄する魔術師の姿。
 もう無様な舞踏は踊らない。今度こそ、あの魂を滅ぼす。
「……心当たりがあるのか」
 第三者の声にレシュノルティアは我に返った。灰色の光る目は射抜くような力を持ち、いたわりの柔らかさを含んでいる。
 忙しない心臓を落ち着かせるために息を吐き、拒絶の言葉を口にした。
「お前には関係ない」
「いいや、ある」
 グレイはレシュノルティアを押さえつけた。立ち上がりかけたところに力を加えられたものだから、尻餅をつき、迫られるままになってしまう。棺に背中がぶつかった。
「公爵令嬢の死体が消えたとあっては、何故だと公爵家がうるさいし、俺は誰と結婚したのかという話になってしまう。亡霊と結婚したならそれはそれで面白い怪談ではあるが」
「だったら」いいではないか、と言おうとし。
 悪い顔に、でくわした。
「王国に牙を剥く相手を野放しにはできん。犯人を見つけ出し、裁く。ついては、お前には引き続き身代わりをやってもらう」
「なっ!? 馬鹿言うな!」
「このままだと、お前はエルディアに永久に追われる凶悪犯だぞ?」
「ぐっ……」
「青髪の戦女神の伝説に傷がつかないか?」
「…………」
 これが他の国なら、構うものかと嘲笑してグレイを突き飛ばしただろう。
 だが、エルディアだけは。
 かつてエニア王国であった場所だけには。
 反応ができなくなったレシュノルティアに、獲物を押さえ込んだ獣は麗しくも凶暴な顔で笑った。
「いいな? 我が花嫁殿」

 不老不死の青い戦女神が、数百年ぶりに敗北を喫した瞬間だった。

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