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 戦場ならばどこにでもある素っ気ない棺に、青い髪の女が眠っていた。



第6章 別離の蒼



 驚くほどに肌は冷たく、あの苛烈な瞳が閉じられると、そこにいるのは絵画に描かれるようなとんでもなく綺麗なだけの娘にしかならなかった。あれほど自分は死なないと豪語していたくせに、生き返るそぶりはなく、彼女はつくりものめいた麗しさで棺に眠り、粛々と、だが密かに国境から王都に運ばれてきた。
 死体が消えるという怪異も収まっていない状況だから、もう少し時期を見た方がいいと判断し、葬儀は時間をあけてから密かに行われることになっていた。国民は結婚を知っているが、それを公に知らせる前の死だ。王子妃が臥せっているという嘘も、この時は裏付けとして作用するだろう。
 こんなことになるならそんな偽りを言うのではなかったと、後悔しても遅いことを考えた。
「殿下。少し休まれては」
 ミランが今日何度目かの言葉をかける。グレイは首を振った。
 動きを止めるとだめになりそうな気がした。
 レシュノルティアはこういう気持ちで走り続けていたのだろうか。彼女が何を理由に傭兵となり駆け抜けてきたのか。その意志も眼差しも、ただ先を目指していた。立ち止まらず、誰にも寄りかからず、駆け抜けるだけの思いを保つだけの決意とは、一体どういうものだったのだろう。
(もう、聞くことはないな……)
 聞くとすれば、捏造された詩歌や物語でか。
 いっそのこと、自分が書いてやろうかとも思った。自分が言葉を交わした、青い髪のレシュノルティアの、たった数ヶ月の出来事を。
 扉が叩かれ、ミランが応対に出る。ミランはレシュノルティアの側にいるはずのユリアの来訪を告げた。入室を許可すると、今にも卒倒しそうな白い顔をした女官が現れた。
「何をしている? 妃の仕度を整えるように命じたはずだが」
 らしくもない厳しい声にユリアは怯んだが、悲鳴のような声で訴えた。
「い、急いで地下聖堂へお越し下さい! 妃殿下が……!」
 地下聖堂と聞いた瞬間、グレイは椅子を蹴っていた。
 すれ違った官吏たちが息を詰めて道を譲る。顔を強ばらせ、今から敵を斬りにいくといっても不思議ではない表情をしているのは自覚していた。そんなわけはない、腕にも首にも胸にも触れた。熱も鼓動もなかった。だから。しかしレシュノルティアは軽々しい冗談を言う人間でもなかった。だが……。
 階段を下り、地下聖堂に踏み入ると、腰を抜かした者やお互いを支え合う女官たちがいた。恐怖のあまりかすすり泣く声がし、どの顔も青ざめている。
 聖堂の中央には、死体を収める棺があった。
 ――その中から、青い髪の女が起き上がる。
 死人装束を身につけた女の唇から、はあ、と息がこぼれ、聖堂に響く。甘いような、艶かしい、苦しそうな吐息だ。
 女の青い瞳は聖堂の星十字を見上げ、自分を見下ろし、皮肉な笑いに顔を歪めた。
 ……目の前の光景に理解が追いつかない。
 そこにいるのは一体なんなのか。
「レシュ、ノルティア……?」
 かすれた呼び声に彼女が反応した。すると、子どもが近しい者に見せるような透き通った目でグレイを捉え、安堵の吐息が響いた。――笑ったのだ。
 瞳は更に変じた。はっとする笑みを見せた無邪気さが消え、厳しさと老成さが宿り、挑戦的な捻くれた笑顔になると、自嘲する響きで返答があった。
「……グレイ」
 グレイは無言でそこに近付くと、たちまちレシュノルティアの身体を抱き上げた。
 女官たちが悲鳴を殺し、呆然と立ち尽くす。レシュノルティアは青い目を見張る。
 軽い身体だった。剣も鎧も身に着けていないからだ。柔らかく、温かで香しい肌だった。
 地上へ戻ると、死体を抱えてきたと思ったらしいミランの制止を無視し、絶句する騎士たちを振り切り、執務室の隣の休憩室の扉を蹴破ると、寝台の上にレシュノルティアを放り投げた。
「殿下! 一体何を……!?」
「誰もこの部屋に近付くな。お前もだ、ミラン。近付けば斬る」
 意味が分からないまでも気迫は通じた。ミランは棒立ちになった。激高した王子を見たことがなかったせいかもしれない。
「言う通りにしてやれ」
 疲れた声がして騎士はぎょっとした。
「れ、レシュノルティア!?」
 寝台に潜り込んだレシュノルティアは、まだぼんやりとした声でミランに言った。
「毒が全部抜けていないし、体力が回復していないから、静かに休めるなら歓迎する。しばらく眠らせてくれ」
 グレイはわずかに視線を投げた。毛布にくるまり目を閉じるレシュノルティアはすでに何も聞く気はない姿勢だ。ミランに出るよう命じてから、静かに扉を閉ざした。



 青い夜だった。月は夜の闇を通して、青銀色の光を投げかけている。剣のような三日月は、いつもより地上の近くにあって輝いているように見えた。
 音を殺して扉を開けたグレイは、立ち去ったときそのままに目を閉じるレシュノルティアを見て、小さく息をこぼした。
「気が済んだか」
 グレイが息を呑んだ。レシュノルティアは枕に横顔を押し付けたまま目を開き、驚きからゆっくりと力を抜くグレイを見つめた。
「……ああ」
「この百年ほどはこんなへまはしなかったんだが、毒も進化しているな。久しぶりによく効いた。死んだのはこれで百五十六回目だ。おかげでよく眠れた」
 グレイが不自然に黙っているので、言ってやった。
「お前、私が不老不死だっていうのを本気にしていなかっただろう」
「……すまない」
「責めてない。……いや、責めてるか。あれだけ私は死なないと言ったのに、お前もやっぱり信じてなかったのかと思うとがっかりだ。でも普通は信じられないか……私も初めて生き返った時に実感したから」
 一度目の死は、本当に無駄だった。
 剣を使えるようになろうと、手っ取り早く戦場に乗り込むという暴挙をしでかし、誰一人手にかけることなく呆気なく死んだのだ。それからしばらく、剣が身に付くまで死んでは生き返ることを繰り返してきた。なかなか死ななくなった頃には、青髪の傭兵のことが噂になるだけの時間が過ぎたようだった。
「公爵はどうした」
「……お前が死んだあの時に気がふれた。そのままだ。あの後、村の墓地からも死体が消えている」
 そうか、と目を伏せた。
「私にも責任がある……公爵は利用されただけだ。魔術で操られたんだろう。彼の周辺を探った方がいい。最近会った人物や、何か変わった品物を手に入れたりしていないか」
 魔術をかけるには、術者が対象に直接対面するか、媒介となる物品が必要だと聞いたことがある。公爵が不審な人物に会っているならそれが魔術師であるかもしれない。
「心に留めておく」
 そうしてくれ、とレシュノルティアは緩やかに息を吐いた。これで公爵家が理由もなくなぶられることはないだろう。

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