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 魔女の森は、今日も穏やかな木漏れ日に満ちていた。
「魔女という人に初めて会う。どんな人物だ?」
「アザレアという。優しい女性だ。子どもの頃、不思議な力があることで森に捨てられて、たまたま私が拾った。ちょうどこの森に知り合いの魔女が住んでいて彼女に預けたんだが、先代の魔女が死んで、今はアザレアが一人で住んでいる。可愛らしい小物や動物が好きで、彼女自身も可愛らしい人だ……」
 説明してから、グレイと目が合った。
 思いきり、顔を背けてしまった。
(我ながら……恥ずかしいことを言ったよな……)
 正直な気持ちだっただけに気恥ずかしさが尋常でない。思わず不自然な行動をとってしまう。それを、くっと笑う声がした。睨みつけると、グレイはいつものように笑い首を傾げて問う。
「いくつなんだ、その魔女アザレアは。家族は?」
「……七十は過ぎていた、と思う。家族は、どうだろう。最近会いにいくまで顔を見てなかったからな……」
 答えながら、自分は薄情だと気付く。親友の年齢も、彼女が恋をしたのかも知らない。この前会った時も訊かなかった。これはアザレアに限ったことではなく、アイサイトたち銀青傭兵団の仲間たちにも言えることだ。大体の年齢と仕事の経歴しか、知らない。
「どうした?」
「……自分がひどい人間じゃないかと疑っているところだ」
 以前レシュノルティアの姿勢を注意したグレイは、そのことは蒸し返さずに「そうか」と言った。
「不老不死になれるくらいだ、魔術という力は大したものだったのだなあ。お前が使えないのが残念だな。アザレアは見せてくれるだろうか」
「かもしれないな。占いで見たお前に興味を持っていた」
 その魔術も、アザレアは魔術師ほどには扱えない。魔術は廃れてきている。きっと彼女が最後の魔女だろう。否応なく時は流れる。時の遺物であるレシュノルティアと魔術師は、やはりこの世の理を歪めているのだ。
 家が見えてきた。グレイが興味深そうに辺りを眺めていたので、レシュノルティアは先にアザレアに会ってくると告げ、扉を叩いた。
 しかし、返事がない。出掛けているのだろうかと思ったが、気配に聡いレシュノルティアははっとして家に押し入った。扉には鍵がかかっておらず、部屋はしんとしている。凍える、影のにおいがする。
「アザレア……アザレア!」
 扉という扉を開けた。どこにも姿はない。最後に彼女の仕事部屋に飛び込んだ。
「っ!」
 中には、何もなかった。あれほどたくさんあった道具は、すべて綺麗に片付けられている。棚には何もない。水晶玉もない。小さな机だけが残っており、封筒と、古い本が一冊置かれていた。
 封筒には、「レシュへ」と書かれていた。
「レシュ」
 呼びかけられ、構えた。心が固くなる。グレイが眉間に皺を寄せて立っていた。
 こちらを、見ない。
「……裏で、この辺りを縄張りにしている狩人に会った。ここに来た理由を尋ねられたから、人に会いにきたと答えると、この家に住んでいた老女は……」
「分かってる」
 レシュノルティアは答えた。
「分かっている……」
 感情が表れないように押さえつけたのに、できなかった。顔を覆い、唇を噛み締めた。涙は出ない代わりに、身体が震えた。
「知っている。人とはこういうものだ。魔女でも、寿命がくれば死ぬ」
 善行を積んだ者は永遠の星に。罪を抱いた者は空から落ちる。身体は朽ちて土に返り、その人には二度と出会うことはない。そうして私はいつも残されてきた。これは、当然の理なのだ。
「……村人が、墓を作ったそうだ。行こう」
 グレイに告げられ、びくりとした。
 次に会うときに銀青花の花束を望んだアザレアは、知っていたのだ。レシュノルティアが持ってくる花束が、自身の墓前に手向けられることに。

 アザレアの遺言は短いものだった。
 形見分けはしたから残った家や物はレシュノルティアに委ねること。今までの感謝。何も言わなかったことを怒らないでほしいということ。

「あんたの心は変わり始めている。もう気付いているだろう?
 その思いを信じてごらん。
 きっと素晴らしいことが起こるから。
 どうか、幸せに。
 また、いつか会おう」

 封筒には手紙以外のものが入っていた。彼女が使った占いの札が一枚。――『愛』の札。
 彼女の占いを思い出した。……三者はお互いに結びついている。その関係性は『愛』の札で表現される……。
 三角の一方であるアウエン・グレイは、レシュノルティアが隅で手紙を読んでいる間、残された古書を真剣な顔でめくっていた。
「もういいのか?」
 手紙から目を離して見つめていたことに気付いて、グレイが目を上げた。剣に似た硬質な横顔にわずかに見入っていたことに気付いたレシュノルティアは、重い悲しみをため息にして、霞む視界を振り払った。
「ああ。……その本は?」
「各地の伝承を集めた本らしい。キルタ公爵が言っていた、呪いと青い色の話が書かれていた。多分公爵はこの本を見たのだろう。希少本らしいな。複製本であることが刻印されている」
 レシュノルティアは考えた。どういう意味でアザレアがこれを残したのかが分からなかったからだ。
 民話収集本なら、明確な著者はいないだろう。念のため執筆者や聞き取り手の名前を探し、呪いと青色の話の語り手を探したが、語り手は『とある一族に伝わる伝承』とだけあって、はっきりとした手がかりは本の中には見つけられなかった。複製本の数字の刻印は、これが二冊目であることを示している。その程度だ。
「……エルディアの国立図書館に行けば、原本の行方くらいは分かるだろうか」
「いや、そういうことに詳しい人物がいる。本の執筆者くらいは分かるかもしれない」
「そういう人材も育成しているのか」
 素直に感心してみせると、いや、とグレイは首を振った。
「あれは道楽だな。――母だ。女王がこういうものに詳しい」
 レシュノルティアはきょとんとし、まあこれの母親だからなあ、とすんなり納得した。
 扉を閉ざしただけで、レシュノルティアはアザレアの家を後にした。最後にもう一度墓へ行き、ありがとうと伝えた。
 アザレアは植えられた若木の下に眠っている。土は木を育み、彼女は愛した森の一部に、魂はきっと木漏れ日になる。
 小鳥が遠巻きにして、枝の上で首を傾げていた。彼らにも感謝を告げ、レシュノルティアは最後の友人との別れを終えた。

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