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 剣が重なる。刃が生み出す風が鋭い。その音も、光も、強く美しい。
 最高にして最大の敵と向かい合っている確信があった。
 殺し合いと呼ぶには優雅で、心を確かめるには荒々しい対峙。傷を負い、血が流れる。レシュノルティアには治癒の力が働くが、グレイは少しずつ傷ついていく。しかし体格にも、体力にも差がある。長引いてはレシュノルティアに勝機がなくなる。
 魔術師はまだ術を発動させていない。今は無表情に対決を見守っているが、苦痛を与えるような時機で行動を起こすのは、あの男の性格を考えると間違いなかった。
「っ!」
 よそ見をしていた隙に鋭い斬り込みが頬を掠める。
 グレイの瞳は氷漬けにした月よりも冷たい。キルタ公爵のように操られている気配がないから、彼は意識して感情を切り替えている。
 それでいい。レシュノルティアは息を吐く。それでいい。私は魔物。女王を殺す。欠片も残さぬように。
 血を浴びた。幾度も死んだ。死の苦しみを百五十六回味わい、その度にこの世に戻ってきて、人を殺してきた。青い髪を振り乱し、獣と同じ目をぎらつかせて。魔物だと呼ばれた。誰かが女神だと言い、別のものは死神だと恐れた。
 孤独で魂を磨いた。血で剣を洗った。
 ――私はこの世ならざるもの。人の喜びはいらない。だから運命よ、あの魂を滅する力をこの手に。
 グレイの大剣を受け止める。刃が砕けるかという衝撃にレシュノルティアは傾いだが、狼が駆けるように横に跳躍する。その低い位置から足下を狙うが、グレイもまた身を低くし、懐に飛び込ませない。
「っ……!」
 灰色の瞳は、綺麗だ。感情に現れ、決意に形作られた、グレイの瞳。その目が、いたずらに笑い、翻弄するように細められ、誰かを思って切と輝くのを知っている。この世のどんなものよりも美しい宝石が、自分だけを映している。
 私が殺されるのならお前がいい。
 その冷たい瞳で見下ろし、ためらいなく心臓を貫けばいい。叛徒として処分すればいい。記憶のすべてを疑い、思い出がすべて偽りだったのだと思い、忘れ去ってくれ。
 でも、復讐を果たさずに死ぬつもりはない。
「は――!」
 腕が上がらなくなってきた。息が苦しく、肺が痛くて喘ぐ。
 長く重ねる想いもあるが、私たちは違う。
「はっ!」
 想いを込めた言葉を囁き、抱きしめ合うだけが愛ではない。触れ合うことがすべてではない。お互いを見守り、解き放ち、幸せを願う。出会えたことを祈りに変える。何も生み出せないレシュノルティアにはそれだけが、グレイにできるたったひとつのこと。
「は、ああっ!!」
 渾身の力を込めた攻撃で、レシュノルティアはついにグレイの懐に飛び込んだ。
 彼の想いが伝わってくる。これで終わりかという後悔、死にたくないという葛藤。救いたいという、レシュノルティアに向ける苦悩、無念……そして、愛情。
 そのすべてがこの剣で終わる時、溢れたのは愛おしさだった。
 だからレシュノルティアは誰よりも強く剣を薙ぎ、祈る。微笑み、告げる。
「あいしてた――」
 どうかこの剣が、あなたにやさしい死を与えますように。

「――面白く、ないな」

 レシュノルティアの剣は止まった。止めざるを得なかった。
 浴びたものに呆然とする。赤い色が視界を覆い、すべての感覚を掻き消して目を焼いた。頬を流れていくのは涙ではない。
 いつかのときと同じ、紅の。
 剣を抜き取られ、グレイの重い身体は崩れ落ちた。
「面白くない。全然、面白くない!」
「ルガン、貴様――!!」
 途端、女王の近衛騎士たちが塵となって消える。金の肩章も剣も何もかも、魔術師の手で捏ねられた人形だったのだ。血糊のついた剣をドレスで拭った女王は、暗い瞳で二人を睥睨した。その目には、息子を刺したというのに何の感情もない。目の前が暗くなるほどの怒りを前に、狂った歪な笑顔を向けた。
「どうしてそんな男と踊るの? 確かに以前よりはうまくなっているけど。……気に入らないな!」
 仮面が剥がれていく。笑顔の仮面の下は、何もない。ただの闇が広がっている。笑みを失い、多くの命を奪ってきた慈悲のない顔が露になる。
 魔術師は腕を一薙ぎする。
「術式、発動」
「……!」
 ごうっ、と不吉な音を立てて、黄金の広間が罪人を焼く業火の海と化す。熱風に翻弄され、その煙が喉を焼き、肺を蝕む感触に、レシュノルティアの中で昔の自分が叫んだ。やめて――やめて。
 炎に包まれる王城。失われていく命。消えていく思い出たち。滅んでいく。黒く染められていく。消えていく。これは五百年前の再現か。視界が赤く染まり、なのに身体が冷えていく。動けない。動け、立ち上がれと命じるのに、全身がすべてを拒否する。
(だれか、たすけて)
 訴える泣き声がレシュノルティアを呆然とさせた。五百年前と何も変わらない自分がそこにいた。
 ジェシカ姫の、戦線で命を落とした兵士たちの、善良な村人たちの、血と肉でもって術を開始した魔術師は、首を振り続けるレシュノルティアに、縋りたくなるような優しい微笑みを向けてくる。
「あのときは完全じゃなかった。今度こそ、私たちは永遠を手に入れる。永遠の命と、永遠の楽土を……」
 魔術師が、手を伸べる。
 このために死を繰り返し、生き返ってきたのか。喜びや望みを捨てて、罪に手を染めて、戦場を駆けてきたのか。永遠の空虚さをレシュノルティアは思い知ってきた。永遠は、孤独だ。辛く、長い、終わりのない旅だ。この世は失われていくものばかりで、過去だけが美しい。手を伸ばすのに、呼吸をするたびに思い出はきらめいて遠ざかる。戻りたい、でも、戻れない。

(このために、何度死んだと思っている?)

 身体の奥底で囁いた魔物の声。

(これが、五百年の旅の答えだというのか?)

 レシュノルティアの瞳に光が戻る。
 剣を取り、足を踏みしめる。何度もそうしてきた。人と戦い、人を殺す術を身につけ、どうすれば的確に息の根を止められるかを学んできた。その力を発揮するのが、今でなくていつだというのだろう。
 苦しみ痛み絶望を味わった、その答えが、こんな形で手を取ることにあるはずがない。
 ――殺す。
 余分な感情のない、純粋な殺意が剣に宿った。それは光になった。光を越える、魔術を凌ぐ奇跡のひとつに変わった。魔術よりも光よりも速い動きに、魔術師が逃げられないことを悟り、それでも逃れようと身体を退く。
 哀れで、醜い。お前もまた死にたくないというのか。
 彼を殺したお前が!
(逃がさない)

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