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「仲間外れにするなって怒るんじゃない?」
 祭りに賑わう街を歩き回りながら、シャルルが言った。
「誰が」
「ノアだよ。分かってるくせに」
 エリックはため息をついた。この前職場で言い合いをしてからノアと話していない。ノアではなく、エリック自身が彼を避けていた。
 ノアは眩しすぎるのだ。真っ直ぐで、正直で、信じたものに突き進んでいける。真っ当な生まれ育ちではないくせに、この世が善でできているという考えを捨てきれないところがある。
「ノアは、自分がしていたことが分かってない。ヴォーノの悪虐の証拠を集めるのに、俺たちがは正当じゃない手段を使った。実行に至ったのは主にノアとティナだ。雁首そろえて訴え出たら、共謀したことがばれて、特に二人が実行犯として追求される。あいつら、それがまったく分かってない」
「自分のやったことだから責任とる、って気持ちなんじゃないの」
「もし失敗して共倒れになったら、誰が復讐を果たすんだ。仲良しこよしでやってられることじゃないって、あいつ本当に分かってるのか」
 苛立ちを吐き出しながら、エリックも、そしてそれを聞いているシャルルも、その答えを知っていた。ノアが絶対に認めたがらない、彼の本心。
「ノアはもう未来を選んでるのに、本人が気付いてないってどうなんだろうね」
「俺たちが区切りをつけてやらなきゃならないなんて面倒くさいやつだ」
 そんなことを言っている間に、人の流れが変わった。ティナからの連絡の通り、神官の乗った馬車列が、ようやく街に入ったのだ。
(これを神官に渡して審理を求める。おれたちだけじゃなく、協力者の証言もとったし、帳簿の不正や悪質な地上げの証拠も揃えた。神官はヴォーノとは協力関係がないから、訴えを退けたりはしないはずだ。審理を始めるにあたっての賄賂も念のために用意してある……)
 子どもの訴えなど、と拒絶されることがないことを、後は祈るしかない。究極は、自分が宗教都市に出向いていく。そこまでエリックは決めていた。
「書類の写しは隠したな?」
「もちろん。でも、写しは効力が薄いんじゃない? ヴォーノに言いくるめられるかも」
「その時はその時だ」
 通りをゆっくり走ってくる馬車に、ちょうど集まっていた人々が驚き、足を止めている。聖皇都から来たらしいよ、と誰かが言ったのがさあっと広がり、口々に交わされるのが聞こえてきた。
 同時に嫌な気配も集まってくる。目つきの悪い男たちが、何かを警戒するように周囲を見回している。
 少し離れることにして、エリックはシャルルを連れて表通りの人混みに紛れた。恐らくティナも近くにいるはずだ。合流した後、リトスに護衛に回れと言おう。そうすれば彼女もこの件から外すことができる。
 ――ノア、ティナ、ルース、そしてリトス。お前たちは、この復讐を知らなかった。
 それを告げるのはシャルルの役目で、さらに彼らを口止めするように説得する使命を持っている。
 心臓の音が、急に大きくなってきたように感じた。口の中が乾いて、手が冷たく震える。だが、ずっとこの瞬間を待っていた。ルリアが死んだあの時から。
 エリックは、誰よりもルリアを思っていると自負していた。彼女の心配にはもちろんその日の寝床と食事のこともあったが、何よりも行き場のない子どもたちの将来のことを案じていたのだ。字が書けなければ仕事ができない。計算ができなければ雇ってもらえない。知識はあればあるだけいい。誰に教えられたでもなくそのことを知っていた彼女は、エリックにそれを語り聞かせた。
 だからルリアは、エリックにとって救い主だった。未来の指針を与えてくれた。勉強も読書も、他人と話すことも、復讐ですら、彼女のためにと思ってやってきた。
 復讐が終われば先に進まなければならない。ルリアの与えてくれた針が示すのは、それだった。
(これでようやく、俺たちの時間が進むんだ)
 馬車が教会に入っていくのを、少し離れたところから見届ける。
 目的の神官らしき老爺が下車して、案内に導かれて中に入っていった。エリックはシャルルと目を見交わし、頷くと、二手に分かれて行動を開始した。
 シャルルが教会の前の広い場所に出る。途端、路地裏に溜まっていた男たちがふらふらと姿を現した。シャルルはそれを気にしていないふりをしていたが、次の瞬間、うさぎのように駆け出した。
「追え!」
「逃がすな!」
 短い恫喝の声とともにシャルルを追っていく。それを離れたところから見ていたエリックは、馬車や人の影に身を隠しながら素早く教会に入り込んだ。
(ヴォーノの愚かなところは、雇い賃を安く上げるせいで、馬鹿ばかり集めていることだな)
 必要なところに金をかけない。そんなところから足元をすくわれるのだと、そろそろ思い知ればいい。
 ヴォーノのことを考えていたからだろうか。がっはっは、という笑い声が聞こえた気がして、エリックは息を止めた。気のせいだと思いたかったのに、その声はどんどん近付いてくる。
 奥の扉が開き、太鼓腹を突き出した男が現れた。
「役に立たないかと思ったら、意外なものだな、バートンさん! あんたが神官殿と顔見知りだったとは。いい顔つなぎができたわ。結構結構!」
「そういうつもりじゃ、なかったんですけどねえ……」
 ヴォーノの後ろで、気弱な声が言う。聞いたことがある声にエリックが棒立ちになっていると、こちらを見つけたヴォーノが思いきり顔をしかめた。
「んんん? なんだ、お前は……」
「あれ……エリックくん?」
 どこかしら疲れた表情をしていたクレスが嬉しそうに呼びかけてきた。そんな顔をして呼ばないでほしかった。
「っ!?」
「ヴォーノさん!?」
 クレスに気を取られていたエリックは、後ろから近付いてきていた用心棒に後ろ手を掴みあげられた。
「何をするんですか!? 彼を離してください! あの子が何をしたっていうんです」
「何をしたってわけじゃないが、反抗的な目つきが気に入らない。こういう手合いが、わしの足元を掬おうとちょろちょろしているのは知っているんでね。何か危険なものを持っていないか確認させてもらおう」
「ご主人様。こんなものが」
 エリックから奪った書類袋の中身を確認したヴォーノが、にまあっと嬉しそうに笑った。そしてそのぶくぶく太った両手を使って、その書類を破り捨てていく。細かく、執拗に。その上で、床に散らしたその紙片を汚すように踏みつけていく。
「まったく……せせこましいことを考えつくものだな、どぶねずみは。こんなものを集めて、わしに立てつこうとは。何がそんなに気に入らないのか」
「『何が』……? ――お前は、自分が何をしたのか覚えていないのか」
 不愉快そうに顔をしかめる表情は、言いがかりをつけられた、と言わんばかりで、この男に罪の意識どころかルリアの記憶すらないのだと思い知らされた。唸り声をあげて飛びかかろうとするも、押さえつけられる。
「お前が、お前がルリアを殺したくせに!」
「言いがかりはやめてもらおう。誰だ、それは。わしが気に入らんからといって、嘘ばかり並べ立てて。だから卑しい生まれ育ちのやつは……」
「お前が――!」
「騒がしいですね。何をしているのです」
 その時、奥から現れた老爺が厳しい声で問うた。
 白い服に壮麗な襷をかけている。険しい顔つきに気難しさが表れている。
 老爺はヴォーノを見、次に床に押し付けられているエリックを見て、眉をひそめた。その視線の先を隠すようにしてヴォーノが前に出て、猫なで声で言う。
「神官様。これはこれは。お騒がせいたしまして」
「ここは聖域。暴力的な振る舞いは禁じられている。早く彼を離しなさい」
 ヴォーノの追従の声をまったく聞かない様子で、神官はそう命じた。そして、一同を強い目で見回した。
「聖域にふさわしくない振る舞いをする者は、早々に立ち去れ」
 それだけを告げて背を向ける。奥へと消えた神官に、ヴォーノがちっと舌打ちをした。
 押さえつける手が緩んだ瞬間、エリックは教会を飛び出した。クレスから何か言われる気配がしたからだ。
 頭の中では次にどう動くか考えるべきだと言っているのに、うまく頭が働かない。驚きと失望と怒りがごちゃまぜになって走ることしかできない。
(バートンさんはヴォーノ側。そうだよな。俺みたいなのにあんなに親切にいろいろ教えてくれる大人なんて、そういるわけがない。情報を聞き出して、さっさと切るつもりだったんだろう)
 調子に乗ってしゃべりすぎた。自分のことや仲間のこと。学びたいという意欲。これから何をしたいか。
『聖皇都で勉強しないかい? 君ならきっと大丈夫。学ぶことが楽しいっていうんだから』
(真に受けて喜んで。――馬鹿みたいだ)
 これじゃノアを笑えない。小さな親切に裏を読め、警戒しろと言いながら、その実、自分が罠にはまっている。悔しいし恥ずかしかった。そして何より、悲しかった。
 真昼を過ぎた祭りは盛況で、疲れを知らない子どもたちの高い笑い声が響いている。
 ルリアがもし生きていたら、自分たちはああやって祭りを楽しんでいたのだろうか。
 その時、うわっ、とあちこちで小さな悲鳴が上がった。遅れて気付く。揺れている。
「揺れてるよね?」
「地震? こんな日に」
 ずずず、と地響きがしている。あまり遠くはなさそうだ。そこまで考えて廃工場地区の崩落のことが頭に浮かぶ。
 そして違和感を覚えて空を見上げた。
 視線の先には〈動かない時計塔〉がある。
 その、決して微動だにしなかった長針が、がきん、と音を立ててわずかに進んだのだ。
「時計が、動いてる……!?」
 金属音を聞き取った何人かも時計塔に気付いた。
「エリック!」
 その広場の方から走ってきたのはティナだ。彼女とともに走ってきたシャルルは、いつもの小生意気な表情などかけらもなく、必死な形相で叫んだ。
「ノアが――!」

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