第1話

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 出会ったときのエスメは骸骨みたいだった。
 男の子なのか女の子なのか、そもそも人間なのかすらわからない、ぼさぼさの黒い頭で青い目をぎらぎらさせた、悪魔の眷属である魔物と間違えてしまいそうながりがりの子どもだ。だから聖女アシュレイ様がやってきたというのに、私も含めた子どもたちは誰も駆け寄ることができず、その小鬼めいた子どもを見つめて立ち尽くしていた。
「今日からみんなと一緒に暮らす、エスメです。みんな、エスメと友人になってくれたら嬉しいわ」
 アシュレイ様がそうやって新しい住人を連れて来ることは珍しくない。
 ここは聖女アシュレイ様が設立した養護院。この街に拠点を置いていた騎士団の営舎を聖教会が買い取り、昔から修道士が身寄りのない子どもたちを養育していたところだった。営舎だっただけあって敷地は広く、建物は煉瓦造りの頑丈なもので、外はしっかりと頑丈な外壁と柵に守られていた。夏は暑く冬は底冷えすること以外は、大勢の子どもが集団で共同生活を送るのに適していたと思う。私がやってきたとき、そこはアシュレイ様が運営代表になって養護院と名を改めていて、壁には落書きが、机には無意味な彫り跡があり、庭の木には『登るな』と注意書きがぶら下がる悪童一歩手前の子どもたちの楽園と化していた。
 そこに暮らすのは、私のように住んでいた村を魔物に襲われて身内を失った子ども、病気になったけれど医者にかかれず倒れていた浮浪児、盗みなど罪を犯して捕まったものの行き場のない若者。ときには大人もいた。庭木の手入れをしたり、屋根を直したりといった大工仕事、ときには私たちのために木材で玩具を作ってくれる用務員のジョンや、美味しい料理を作ってくれる台所番のマリア、大怪我を負ったのでしばらく療養した後出て行ったけれどふらりと現れて大量のお土産をくれる片目の傷と口の悪さが特徴のクロウたちは、その代表だ。
 エスメもそうやってやって来たのだけれど、誰もその子に駆け寄ることができなかった。怖いくらいに醜い見た目も、汚らしく伸びた髪もそうだけれど、なんというか、すごく「嫌だな」と思ったのだ。絵の具でべたべたになった手とか、土に塗れた溶けかけの雪とか、木から落ちてぐちゃぐちゃになって蟻にたかられている石榴の実とか。綺麗だったり楽しかったりするものが持つ別の面のような。
 そんな私は六歳になるかならないかという年齢で、その複雑な感情を表現する方法を知らなかったせいで大多数と同じ行動を取った。すなわち相手のことがわかるまで遠巻きに観察することを選んだのだ。

 エスメを託す手続きのために養護院長の部屋で話し合っていたアシュレイ様は、出て来た途端、あっという間に子どもたちに取り囲まれた。
「アシュレイ様、ご本を読んで!」
「お歌を歌ってほしいの。お願い、お願ぁい」
 アシュレイ様の朗読はとても素敵だし、本に載っていない不思議なお話をしてくれることもあるし、歌も楽器もお上手なのだ。だからアシュレイ様がやってくるとみんなが近くに寄って、こうしてほしい、ああしてほしいとお願いする。そうして、ふとしたときに頭を撫でたり、いい子だと言って笑ってくれたり、抱きしめたりしてくれるのを期待する。
 アシュレイ様は聖なる教会に認められた、浄化の力を持つ聖女だ。その力で悪魔や魔物に汚された土地を浄め、呪いや穢れた傷を癒やすことができた。太陽のような金の髪を長く伸ばし、同じ色の睫毛に縁取られた緑色の瞳は宝石みたいにきらきらしている。女神様にそっくりな顔を祈りを捧げる像と同じにいつも微笑ませ、花と石鹸の甘くて優しい香りがするのだ。
 悪魔にとって恐怖の対象であるところのアシュレイ様は、私の知る限りでは聖剣を手に魔王と戦った剣の君アーサー様に聞こえる勇敢さとは異なり、すべてを包み込む慈愛の化身だ。そんな聖女様に抱きしめてもらえないかと、アシュレイ様の裾を引く他の子たちから少し離れたところで一人様子を伺っていた。
 けれど後ろから出てきた院長が手を打って子どもたちの願いを遮る。
「みんな、アシュレイ様を困らせてはいけません。アシュレイ様は大変お忙しいのですよ。剣の君とともに魔王を封じたことは知っているでしょう? その後もみんなが平和に暮らせるように頑張っていらっしゃるのですから、いってらっしゃいとお見送りしましょうね」
「はぁーい……」と不満そうながらも返事をするのは、そうしなければ後で叱られるからだ。殴られるよりも蹴られるよりも、悲しそうな顔で柔らかに責められる方が悪いことをしている気がする、と院の子が言っていた。
「じゃあ、じゃあ……次に来たとき、お歌を歌ってくれる? ご本も読んでくれる?」
「私、剣の君のお話をしてほしい!」
「俺は絶対、魔王との戦いの話! アシュレイ様、魔王ってどんなだった? どのくらいの強さ? 竜(ドラゴン)くらい?」
 再び勢いを取り戻した子どもたちに院長は苦笑し、アシュレイ様は微笑んで身を屈め、子どもたちの視線に位置を合わせた。
「そのお話はまた今度にしましょう。……私のお話は、もしかしたらあなたが望むものではないかもしれないけれど、ちゃんと聞いてくれたら嬉しいわ」
 魔王と、剣の君と聖女の戦いの逸話は、私たちが希望を持って語り継いできた勇者の物語だ。
 約束だよと声を弾ませる彼らは、それが小さな弁明だったのに誰も気付いていなかった。私もまた、そうだった。
 けれどこのときアシュレイ様と院長の後ろに隠れるように立っていたエスメが、まるで呪い殺すような目つきで彼らを睨んでいたのはずっと忘れられなかった。忘れないでよかった、と思うのだ。

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