日々の眺め 二 ひびのながめ に
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 貴人に出される食事は、いつも綺麗で近寄り難い。とてつもなく美味しそうな匂いを発しているけれど、ジュゼットからしてみれば、王都のちょっといい店で眺める布地みたいなものだ。眺めるのも触れるのも楽しいけれど、それが自分の相応なものなのかと自問してみると、ちょっと違うなというものになる。
 ジュゼットが好きなのは、実家の母が焼いてくれる、お酒と干し果物がたっぷり入った、重たく味の濃いケーキ。香辛料の効いた、保ちのいい焼き菓子。小麦粉と牛酪と砂糖という、何の変哲もない材料を焼くだけでも美味しいおやつだった。季節ごとには旬の果実を煮詰めて、鍋にこびりついたそれを舐めとるのが楽しみだったり。
 品のいいお茶菓子が出るなあ、と、女官になったジュゼットはいつも思っていたのだが、ふと思ったのだ。ジュゼットの女主人は、それは美しい所作で食器を使うけれど、果たしてそうまでして食べるものは美味しいものなのかなあ、と。
 その人が行儀作法に四苦八苦していたのを、ジュゼットたちは知っている。教師と称して、国王とその従者を呼んでいた。その成果もあって素晴らしいお作法だったけれど、自分だったらもうちょっと気安いお菓子が食べたくなるなあと、実家の菓子を思い出したのだった。
 そこで、ある日、厨房に立ち寄って、よく試作品のお菓子をくれる料理人に、お酒と干し果物の重いケーキを作ってくれないか、と頼んでみた。理由は適当に、現地のおやつに姫が興味を持ってーなどと誤摩化した。多分誤摩化されてはくれなかっただろうけれど、ジュゼットの出身地の料理に興味を覚えたらしい料理人は、説明に忠実なケーキを用意してくれた。同じ調理法でも、中身は小麦粉もお酒も果物も名産の高級品だ。
 それをお茶の時間に供してみた。いつもの、一品しか用意されないお茶菓子ではなく、お皿の上に分厚く二枚切ってみた。濃い、北の山の酒が蜂蜜のように強く香り、いつもは食事は供されて当然という顔をしていた女主人も、書物から目を上げたのだった。
 ケーキが甘いので、お茶そのものは少し渋く感じられるものがいい。お茶は濃い目に、細かい葉で、長く淹れてみた。
 お酒の色と、干した果実の褪せた色を含んだケーキは、まるで夜の国からやってきたお菓子のようだ。南の国イバーマでは、こういう肌の人たちがいるのだという。さすがに郷土料理を出すのは気が引けたのか、料理人は乳脂を泡立てたものをつけていた。
(とってもすっごくしっかり美味しそう!)
 横で見ていて喉が鳴りそうだったけれど、何とか堪えた。一口運ばれていくケーキの旨味をたっぷり含んだ生地が、匙の上でしなるのが分かった。ふんわりとお酒の匂い。少し酔っぱらいそうなくらいだ。生地の間から綺麗な硝子のような果物がきらきらとして、小さな口の中にゆっくりと飲み込まれていった。
 そこで、声がかかった。ネイサが、アンバーシュ王の訪れを告げたのだ。ジュゼットももうここで慌てたりはしない。もう一揃えの茶器を用意している間に、訪れ人は女主人に挨拶をしていた。
「今日はまた、素朴で美味しそうなお茶菓子ですね」
「舌が痺れるほど甘い、が、素晴らしく香りがいい」
(きゃー!)
 ほんのり口元が笑っている。このお菓子を気に入ってくれたのを目の当たりにして、ジュゼットは内心で悲鳴と喝采を叫んだ。心なし胸も張ってしまう。
「蒸留酒の濃いものを使ってるんですね。確かに、あなたの好みそうだ」
「それだけではないと思う。琥珀酒のような深みもあるし、この色味はなかなか出まい。果実にも香辛料で漬けたものを使っているようだ。素朴に見えて、なかなか味わい深い。香りが変わり、味も変わる、不思議な旨味がある」
 出されたものを静かに賞味して、最後に感想をまとめる人だったので、そんな風に饒舌になられるとジュゼットは頬を真っ赤にさせて見守っているしかない。私もそのお菓子大好きなんです! と言いたい気持ちをぐっと堪え、時間通りに抽出したお茶を王に振る舞う。ケーキを切り分けると、彼も一口、そして口元を綻ばせた。
「美味しい」
「うん」
(喜んでいただけて何よりです!)
 美味しい食べ物は人を幸福にする。そんな考えが浮かび、ジュゼットは思った。後で、みんなにこの教えを広めなくっちゃあ。
 しかし、そこでふと気付いた。
 ケーキを切り分けたはいいものの、アンバーシュ王はあんまり手を付けていない。
(なのにその目は……おなか空いてる?)
 きらきらと目を輝かせて、何か一つを思っているかのような遠い目をしている。かつ落ち着かない様子で、茶碗を手にしてはお茶を飲み、じっと相手の食事を見ている。ケーキはまだたっぷりあるし、手を出してもいちるは怒らないと思うのだけれど、切った一切れを半分ほど残している。どうしてだろう。
 差し出がましいがケーキを勧めればいいのだろうか。しかしいちるに比べてそこまで親しくない御方にそんな気軽なことを言えるはずがない。黙って、空になった茶碗にお茶を注ぎつつ様子を見る。いちるは、特に何の反応もしない。アンバーシュの様子に気付いていないのだろうか……。
「ジュゼット」
 と呼ばれたとき、それが王その人の呼びかけだと気付かなかった。
 はっとすると、苦笑にぶつかった。
「しばらく外してもらえますか」
「か、かしこまりました」
 茶葉や刃物などの後始末だけをして、部屋を辞す。いちるの溜め息が聞こえたが、アンバーシュは笑顔でジュゼットを見送った。残っていた女官たちもそれぞれに控えの部屋に引っ込み、扉を閉ざして「あ」とジュゼットは声を上げた。
「…………」
 ごつ、と壁に頭をぶつけたのは、行き場がなかったからだ。
(あれは……お腹が空いてたのは……ケーキじゃなくって……)
 首からかっと熱が駆け上る。
「……姫様を、食、べ…………」
 ずるずるとその場にへたり込みかけ、ジュゼットは胸の中で、行き場のない怒りのような悲鳴を上げた。
(知ってた! そういう人たちだって知ってた! でも仲良すぎ! アンバーシュ陛下が欲望丸出しで恐すぎる!)
 己の想像をはしたないと激しく首を振り、そそくさと扉の前を立ち去った。その向こうで何が起こっているのか――きっと多分、ケーキよりもお酒よりも濃くて甘い、密度の高い触れ合いなのだった。

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