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 ようやく話が届き、ロイシアに何らかの変事があったらしいと聞いてフレイはすぐに飛んできた。彼らの話を聞く場には、イムレの視界に入らないところにプロセルフィナが控えることが許された。「君に関わることかもしれない」というのが理由だった。
 他国の王太子が教育係の翁だけを連れてヴァルヒルムまでやってきたことを、フレイは親のように深い安堵の眼差しで受け止めていた。戦う力を持たないふたりでは困難な道だっただろう。イムレが真にロイシア王国の王太子であることは、彼の持ち物や身につけているものに付けられた紋章が証明していると、紋章官が報告したそうだ。
「よくいらした。御身に大事なくてよかった」
「白き王国ヴァルヒルムの陛下にこのような形で拝謁すること、無礼とは存じますが、何卒お許しを……」
 ゲレールトの前口上にフレイは頷き、説明を促した。
「実は……我がロイシアの女王ギシェーラ陛下が行方知れずとなっております」
「なんと」
 思わずと言った様子でフレイは呟いた。
「では現在政に当たっているのは、ご夫君のレスボス公爵か」
「いいえ……レスボス公爵オルフ様は城にはいらっしゃいません。どうやら伏せっておられるようで別邸に篭っておられます」
「あの魔女に呪われたんだ」
 涙目になってイムレが言った。
「あの女のせいだ。あの女のせいで、母上も……」
「殿下、その話は後ほど。フレイ陛下、順を追って説明いたしますので、どうかわたくしどもの話をお聞きください」
 ゲレールトはロイシアに起こった数々の異変について語り始めた。
「まずロイシアの東海上に紫の雲が現れました。その頃沿岸地域の病人や死者が爆発的に増え、ギシェーラ陛下ならびに公爵閣下が対応に当たられておりました。公爵閣下は東地域の調査に赴かれ、冥魔による被害が深刻になっているのを確認しておられたそうです」
「《死の庭》の異変と思しき呪いの影響は、私も聞き及んでいる」
「救援隊を派遣してくださったことをギシェーラ陛下は感謝しておりました。そのようにして対応に当たっていた陛下なのですが、調査より帰還した公爵閣下が城に戻らず別邸に籠ってしまわれたのです」
「《死の庭》の影響を受けてご病気を?」
 プロセルフィナも同じことを考えたが、ゲレールトはちらりとイムレを気にし、首を振った。
「いいえ。原因ははっきりとしませんが周囲の者が言うには――調査先から女性を連れ帰り、その者と過ごしているというのです」
 女王夫妻の醜聞とも言えるもののせいか、ゲレールトは顔を強張らせている。
「どうやらギシェーラ陛下はその追及のために公爵閣下の別邸を訪れたようです。ですがその後行方が知れなくなりました。方々を探させましたがどうやら城仕えの神法司と東に向かったようで、今どこにおられるのか……」
 東に向かったギシェーラ女王。
 別邸に籠るレスボス公爵。
 そして《死の庭》の呪いが強くなっているロイシア王国――その状況の中で際立つのは、オルフが連れ帰ったという女性だ。その状況でプロセルフィナに憎悪を向けるイムレがいる。それが意味するのは。
「レスボス公爵のそばにいる女性とは何者か?」
 ゲレールトは首を振ったが、イムレが顔を上げた。
「僕は見ました。邸に行って、父上に会いに行きました。父上と一緒にいたのは――」
 そこで悔しげに唇を噛んだ。
「あの女性――ノーヴス公爵令嬢プロセルフィナと同じ顔をした女です」
 フレイが青ざめたプロセルフィナを見る。
 イムレ王子が見たのは、あの冥魔の女王にちがいなかった。
「フレイ陛下、どうか助けてください! 王子のくせに恥知らずとののしられてもかまいません。どうかロイシアを……父と母を助けてください……!」
 椅子から崩れ落ちるようにしてイムレは跪いた。フレイが慌てて起こそうとするが華奢な身体をふらつかせて倒れこんでしまう。ここまでの道のりは彼の身体と精神に多大な負担をかけたのだろう。侍従に運ばれていく彼を痛ましげに見送った後、フレイはさらなる状況をゲレールトから聞くために話を続けた。その内容は失踪したギシェーラの人となりについてのものになった。
「ギシェーラ陛下は幼少の頃よりたいへん優秀な方でいらっしゃいました。先王陛下がご存命なら国政を学ぶ十分な時間があっただろうにと惜しまれる才覚の持ち主でした」
 イムレがいなくなり昔話を始めたゲレールトは、それまでとは一転して疲れて小さくなった老爺のように見えた。
「そのギシェーラ様を支えていたのがジゼル様です。お二方ともお若くはありましたが、ギシェーラ様は厳しく正しい政を司り、ジゼル様は優しく国民を守る政を司った。その程よい均衡でロイシアはうまく回っておりました。しかしジゼル様がいなくなると天秤は傾いた。批判が陛下に集中したのは言うまでもありません」
 フレイは目を細めている。年若い女王にかかった重圧を想像したのか、小さく頷いた。そのことに慰められたようにゲレールトは声を詰まらせる。
「天秤が傾いていることにお気づきになったというのに、陛下はどうすればいいのかわからないでいらっしゃる。お小さい頃から絶対的に正しくあろうとする方でした。張り詰めた糸を緩める術をご存じないのです。ジゼル様が……ジゼル様がいらっしゃれば……」
 フレイの視線を受けてプロセルフィナは静かに退出した。フレイもジークと同じことを思ったのだろう。ジゼルを背負う必要はないと声を発せられるなら告げたはずだ。
 その後アルから聞いたところによると、すぐさまに会議がもたれ、ロイシア王国には正式な使者を立てることになったらしい。またロイシアに潜ませている内偵にオルフの動向を探るよう命じたそうだ。
 プロセルフィナはノーヴス公爵に宛てて手紙を書いた。返事は一日と経たずに来た。プロセルフィナの頼みごとに苦言を呈しながら、やむなしと協力を了承してくれた。支度も整えてくれるそうだ。
(これでロイシアに行ける)
 ジゼルをシェオルディアとして送り出した人々がいる国。そこにはあの冥魔の女王が巣食っている。
 予感がする――彼女は私を待っている。
 オルフに取り憑いたのはジゼルであるプロセルフィナを誘うためだということは、イムレに目撃されながら彼を逃したことから推測できる。彼女は自分の存在を知られたがっている。見つけられたがっている。
(私に成り代わろうとしているのかもしれない)
 だとしたら負けるわけにはいかない。彼女は冥魔で生きているのは私。この場所を譲れるわけがないのだから。
 出発のその夜、フレイやシェーラザードには勝手を詫びる手紙を置き、密かに城を出ようとしたところで、密かに動いていることを黙認していたギュリに呼び止められた。
「プロセルフィナ様。フレイ陛下がお呼びでございます」
 知られないはずはないと思っていたがだめだったか。逃げることは到底できるはずはなく、旅装のまま指定された部屋に向かった。
 部屋にはフレイ、アルとレギンがいた。フレイはプロセルフィナの姿を見てため息をついた。その仕草はここにはいないジークとそっくりだった。
「ロイシアへ行くのだね」
「お許しください、陛下。どうしても行かなければならないのです」
 フレイはロイシア王国の内政に干渉する可能性や、プロセルフィナがジゼルとして代わりに即位させられる可能性などの憂いを長々と口にしたりはしなかった。悲しげなその目に対するのは苦しかったが、プロセルフィナが目を背けないことを知ると仕方ないといった様子で微笑んだ。
 するとアルが言った。
「陛下にお願いしたきことがございます。どうか私にお与えくださったジークハルト殿下の騎士の任をお解きくださいますよう」
 跪いたアルを静かに見やり、フレイはレギンを見た。その視線を受けてレギンもアルの隣で跪く。
「お前も同じかな、レギン」
「はい、陛下。愚かなことを申し上げているとお思いでしょうが、自暴自棄になったわけでもこの国を見限ったわけでもありません。ジークハルト殿下が、プロセルフィナ姫を守るようお命じになったからです」
 レギンはプロセルフィナを振り返り、片目をつぶって見せた。
「王子の騎士の任を解かれれば、俺たちはフィナと一緒に行けるからね」
「私たちはジークの運命をともに歩むことはできません。肩代わりすることもわけてもらうことも。そのジークが私たちに『プロセルフィナを頼む』と願った……だからどうか一緒に行かせてください」
 胸を突かれ泣きそうになった。彼らにとってジークの騎士であることはこれまでの人生を意味するものだ。どんな思いでジークの望みに従おうと決心し、そばを離れることを願い出たかを想像すると、とても感謝の言葉だけでは足りなかった。
 ふっとフレイは息を吐き、かすかに笑った。呆れたようなひそやかな哀切があった。彼にとってもまた、長く息子を守っていた騎士たちに感じるものがあったのだ。
「実はノーヴス公爵から手紙を受け取っている。プロセルフィナ、あなたに財産の一部を相続させるための許可がほしいという内容だった。その金を使って信頼できる傭兵を雇わせろと書いてあったから、王妃に頼んで彼女の実家が使っている傭兵団を手配させた」
 プロセルフィナは目を丸くした。
 そしてこみ上げる感謝のままに深く頭を垂れた。
「運命の流れは今、あなたを導いているのかもしれない。だが決してその力に屈することのないように行きなさい。必ず戻ってくるのだよ。あなたのように我が息子のために命を賭けられる娘は、この先二度と現れないかもしれないのだから」
 そしてフレイはアルとレギンから王太子の騎士の任を剥奪し、プロセルフィナたちを送り出した。
 そして出発を待つ馬車には思いがけない人の姿があった。
「キュロ」
「わたしもお伴します。わたしはプロセルフィナ様をお助けするためにここまで来たんですから、待っているなんてできません」
 戻りなさいと言うべきか迷っていると彼女は真摯に言葉を重ねた。
「子どもの頃のわたしは何もできなかったけれど、今ならきっと運命を変えられる、そう信じたいんです。連れて行ってください、きっとお役に立ちますから」
 そこでだめだと言えるわけがなかった。無力な自分を払拭したいという思いを否定できるほど、プロセルフィナは自分が力を持っていると思ったことはなかったからだ。
 プロセルフィナは傭兵たちを護衛として闇に身を投じた。
 ロイシアへ。
 東に向かう馬車に揺られながら、今頃ジークはどこにいるのだろうと考えた。

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