身を伏せ背後の奴の足を払い、相手が怯んだ隙に地を蹴って走り抜き様に中央の奴の中段に一発。奥の奴の上段に剣を寸前で止めれば、それが鞘に収まって寸留めであることに安堵した無作法者はぺたりと座り込んだ。そこから逃がさぬように剣を突きつけ続け、降参と手が挙がれば、キサラギは剣を帯に収める。
「それで? あんたらは、誰だって?」
だが彼は口も聞けないようだったので、キサラギは用はないとくるりと踵を返し、倒れた男を跨ぎ越して歩き始めた。路地を出て、大通りに戻る。すると胃が震えたので、街に出た目的の一つ、美味しい昼食を求めに歩く。
マミヤでのお気に入りは鶏粥である。すでに馴染みになった粥屋が一番美味いと思っているので通い詰めている。少し傾きかけた店内に入ると、一斉に目が向けられた。この二日で慣れたものなので、いつもの女の子に鶏粥を頼んだ。薬味の香味といい、ここの粥はいい。
やって来た粥を啜っていると、ぼそぼそと交わされる会話が洩れ聞こえてくる。
「あいつか? 噂の……」
「どうせ爺婆どものほら話だろ……」
「噂の竜狩り? ガキじゃねえか」
「ほら吹いてるに決まってる」
「……言いふらして回ってるんだってさ」
「……なら本物か?」
「ごちそうさま!」
大きい声で支払いを頼むと、店員の少女、確かユミと教えてくれた彼女は少しだけ薬味を分けてくれる。何故かこちらを気に入ってくれているようで、厨房の料理人もキサラギに笑いかけてくれる。ユミとも目が合うとにっこりした。
その彼女の胸に造花が飾られているのに気付く。黄色い、笑顔で立ち働く彼女のような大輪の花だ。
「それ、綺麗だね。どうしたの?」
ユミはぱっと頬を染めた。
「もうすぐお祭りがあるから、もらったの」
それで合点がいった。いい人ももらったのだということと、どこか街が騒がしいことに。祭り、確かこの季節の祭りは。
「ミヤ祭り、だっけ。どういうお祭りなの?」
ユミは快く教えてくれた。
この祭りはかつてミヤと呼ばれた人物の、慰霊祭なのだそうだ。その献花として人は花束を塔の周辺から順に供えていく。胸元に花を飾るのは未婚の者たちで、生花ではなく造花なのは、この花や飾っている人間はミヤへの献花ではなく、枯れない命の花、これからも続く命を表している、のだそうだ。
「へえ、枯れない花」
永遠性とかそういうものだろうか。言い方がなかなか気に入った。面白そうな祭りだし、そうなればもっと人が増えて色んな話が聞けるかもしれない。
ユミに礼を言って店を出ると、キサラギはそのまま市場を歩き始めた。こちらを窺っている視線に気付きながら物ともせずにふらついていると、ぐっと腕を掴まれた。
反射的に肘を挙げたのを、手のひらで受け止められる。
「!」
気配を感じなかった、そして止めた、出来る、と思ったが、振り返った先にいた馴染みの男に、顔をしかめた。
「なんだ。あんたか」
竜人の男はため息をついた。
「物騒な奴らを引き連れて、面倒な奴だな」
まあねという答えの代わりに肩をすくめる。
「噂が広まっているぞ。『竜の宝』を持っているとか」
「いい撒き餌だろ」
「別のに襲われていれば世話はない」
冷たい嘲笑に、キサラギはむっと眉を寄せる。どうやら見られていたらしい。見ていたなら助けろよと思ったのだが、助けないことも分かっているので黙ることを選ぶ。だがふんと鼻を鳴らした。
誰だと問うた返答がこちらを問答無用で拘束しようとする意思だったので、適当に一発くれてやったのだ。というのは、マミヤ守護団を引き寄せるため「自分は竜の宝を持っている」と吹いて回ったのが、目標がかかる以前に守護団の地位を狙っているあちこちの組織がキサラギを襲ってきているのだった。
そして、ふと眉が違う意味で寄った。いつもより五割増しの冷たい気が感じられるが。
「……もしかしてあんたも襲われてる?」
「ようやく気付いたか、馬鹿者」
いい迷惑だと吐き捨てられる。そこまで思い当たらなかったキサラギは。
「……ごめん」
肩を落とした。噂を流し始めて二日、キサラギが襲われているということは連れのセンも狙われるということ。男という分でキサラギより多少少ないだろうが、しかしいい迷惑だろうと思う。本当に。
センは黙っていた。黙った末に、やはりうんざりした息を吐いた。
「竜人に謝るのか」
「あ……謝るに決まってるだろ! 迷惑かけてるんだし。っていうか常識くらい身に付いてるに決まってるだろ!」
謝罪したのに、と顔を上げて噛み付いた。が、ふっと勢いが奪われる。
奪ったのは奇妙な顔だった。唇を曲げ、何かを堪えているかのよう。閉じた唇が動いているのは、やはり堪えているのだ。そして何より、目が変に透き通っていた。まるで――笑おうとしているかのような。そしてそれはとても綺麗で。
「街が騒がしいが、祭りがあるらしいな」
「え? ……あ、ああ、うん、みたいだな。ミヤ祭りだって」
何事か口にする前に言われたので、言おうとした言葉を掴み損ねる。
「ミヤか。懐かしい音だな」
「ん? 知り合いの名前か?」
するとセンは嘲笑った。
「ミヤというのは草原地帯の、王位につかない王族の称号だ。この地のミヤはマの号をもらい、マミヤと名乗った。俺が懐かしいと言ったのはそういうことだ」
キサラギはむかっとした末に知らなくて悪うございましたと顔を背けた。
だって、懐かしそうだったのだ。その表情も声も。いつも悪感情に近いものしか向けられない自分が、先程の奇妙な顔を見た時のようなものを感じたから、気になっただけだ。
「気をつけておけ。祭りというのは現世と異界とを繋ぐものだからな。よからぬことを企む輩も入り込む。さて……どれだけ狙われるのやら」
ああ面倒ああうざったい。そう呟くように言うと、センは外套を翻して去っていく。同時に、いくつかの気配が移動していくのが感じられたが、多分センは楽に追い払ってしまうのだろう。
(祭りね……マミヤ守護団は参加するのかな)
だとしたら泥棒的な意味合いで潜り込みやすいのだが。
マミヤの祭り、ミヤ慰霊祭。そこでキサラギは気付く。センの消えた人混みを見やるが、目立つ白銀の髪も影のような黒衣ももう見えない。
懐かしいと言ったのは、本当だったのかもしれない。彼は竜人だ。寿命は人間と違うはず。だから、まだミヤのいた時代に生きていた可能性もあるのだ。
気付かないうちに、センを、人間として見ていた。
(センは竜人だ。狩らなければならない竜。それ以外のものじゃない)
竜狩りは人間を狩れない。センは竜人だ。『悲劇』を生む呪われた血の者。いつか子どもに言った言葉を思い出す。竜の血に触れるな。そして、竜人の血に触れるな。
自ら引いた境界線を取り払ってはならない。踏み越してはならない。向こう側に行っては『悲劇』を生む。竜人と近しくなってはならない。だからキサラギは、もうセンの姿を探さなかった。
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