今度は拘束無しに連れていかれようとしている。付き人の姿は見当たらずモリヤ一人だ。ここから彼を斬って逃亡することを考えたが、この遺跡を無事に抜けることができるかによる。ここに連れてこられた時点で、キサラギはモリヤの案内を必要としてしまうのだ。
センを窺った。センは竜の死骸の山を、見ている。つん、と何故かどこかが痛くなった。
「さあ」
靴音が響き始めて遠ざかっていく。キサラギは剣を振って血糊を落とすと、鞘に納めて部屋を出る。
そして振り返った。
「どうした」
センに首を振って、光の見える前へ進む。何故かセンが来ないような気がしたのだけれど気のせいだったらしい。気配が感じられる距離を意識して歩くのだが、センはその境界ぎりぎりを歩いていた。
モリヤの灯火はぼんやりと地下遺跡を照らしていた。それは異界へ誘う火に見えて、ここから戻れないという気がしてくる。だから、誰が側にいるか考えてしまうのだろう。自分を地上に連れ戻せるのは、センだけだという気がしてくるのだ。
「何故、あんた以外に人がいないんだ」
「この区画に立ち入ることが出来るのは、私と都ノ王、餌係です。マミヤ守護団の団長も入ることは許されていません。これから行く『宝物庫』は、私しか鍵を持っていませんしね」
扉は三枚。鍵が十はついていたのを、モリヤは慣れた様子で開けていく。扉の鍵を全て開け放つと、灯りと拾い上げて部屋に入り、入室を促した。
「どうぞ」
最後の扉の向こうが見えた時、キサラギは躊躇した。
「なんだ、これ……」
部屋だった。どこにでもある、普通の一室だ。壁には絵がかけられていて、子どもの頃の落書きに見えた。木の棚には本が何冊か立てかけられ、引き出しがついているのは衣装棚だろう。小さな机に椅子が一つ。鏡台まである。花瓶に生けられた花は色鮮やかで、部屋は、娘らしいもので満ちている。
足を踏み入れて、今度ははっきりとしたにおいに辺りを探る。鉄臭い。それと、腐った肉の。だがどこにもその臭気の元は見当たらない。今この場で確かでないのは、奥にある覆いの向こうだ。
「どうぞ、水です」
杯を受け取って口を付ける。センにも水を渡したモリヤが、周囲を油断なく探るキサラギに笑ったので、机に杯を置いた。求めるのは水などではないのだ。
「成功例って行ったな。……どういう意味だ」
「知っているでしょう、『宝』の保持者なら。『竜の宝』とは、本来何を指すべきなのか」
「あんたの口から答えを聞きたい」
モリヤはやはり笑い、覆いを取り払った。
現れたのは寝台などではない。それはれっきとした鉄製の檻だった。少女らしい部屋にはそぐわない、檻の中には骨まで転がっている。悪趣味だと眉をひそめたが、中にいるのが生きた少女だと分かって言葉を失った。
「な……」
長く乱れた髪が揺れる。少女はモリヤに気付いた。大きな瞳が見開かれ、細い声が上がる。
「……モリヤ。モリヤ……!」
久しく一人だったのだろう。そこにいるのが確かに彼だと知って、彼女は鉄格子に飛びついた。
「ねえ、ねえ! あの人はどこ! どこに行ったの!?」
「マリ」
がしゃんがしゃんと耳障りな音が響き渡る。
「返して! 返してあの人、どこ、どこに行ったの、あ、あな、あなたが!」
「そうだよ、マリ」
キサラギはぞっとする。その、笑みは。
「私があいつを殺した」
時が止まったような沈黙の後、響き渡ったのは哄笑だった。身をよじり、頭を振って髪を乱し、胸を掻きむしって笑う。聞く者の胸にまで傷をつけるように。
「彼女はマリ。先代の都ノ王の娘です。彼女は竜人に狂わされた……」
「違う、狂っているのはあなたよ」
冷徹ともいうような落ち着いた声が割って入る。笑っていたと思えば、彼女は責めるように無表情だ。
「私は、恋をしただけ。人種とか、竜人とか、そんなの関係なく恋をしたのよ。あなたは勝手な枠組みを作って、彼を私刑にしただけよ!」
再び、マリは笑う。今度は嘲りだ。
いつしか、その声の中に奇妙な音が混じり始めた。高い笑声が途切れがちになり、詰まったような、今にも吐き出しそうな苦しげな音。娘の声はやがて獣の声に。人間が獣に変わろうとしているそれは強烈な苦痛を呼ぶのか、彼女は首を掻きむしり始めた。指が血に染まる。衣服の首周りがぼろぼろなのはそのためだろう。
だが、血の滲む傷はすっと吸い込まれるように首の白さに消えていく。新たな傷が生まれても、傷が勝手にいつの間にかなくなっていくのだ。それでも新しい傷が作られ、その痛みは繰り返される。
「不死」
誰かが言い表した。
「これが『竜の宝』」
キサラギは口を押さえて後ずさる。後ずさってしまった。
「彼女のことを今の都ノ王に知られましてね、彼女を生かす代わりに、不老不死の研究をするように言われました。業が深いことですね、不死とは」
「ちがう」
不老不死。研究。実験台。最も醜悪なのは、彼女を入れているこの檻。
「不死なんかじゃない。あの声を聞いただろう! あの声……あれは、竜の声だ!」
娘が吠えた。まるで事実を告げるキサラギを邪魔するかのように。
「あの子を殺さなきゃならない。あの子は、いつか竜に変わって人を喰らう」
声の残響の後の、地下の静寂が痛い。
モリヤはすうっと研いだ刃物のような目で。
「殺す……?」
次の瞬間、檻を殴りつけていた。
「馬鹿を言うな! 彼女は人を越えた、最高種となった! 人間でも、竜でもない、最高の生き物に!」
ぐらりと視界が揺れて机に手をつく。センが杯を落とした。モリヤは愉快げに喉を鳴らしている。
「薬が効いてきたようですね。あなたが来てくれて助かりました。本当にありがとうございます。あなたと入れ替わりに、マリを檻から出してやれるんですから。さあ、あなたの血を抜いて『永遠』の研究をしましょうか」
「愚かだな。永遠を求めるとは、人種とは業が深い」
「同じ人間が言っても説得力がありませんね。それとも、あなたは自分が人間ではないと?」
「ではその娘はなんだ?」
示された娘は人でない声を上げている。
「最高種ですよ」
「ほう、お前も人間と認めていないんだな。そういえば、『成功例』という言葉を使ったな。『失敗例』を知っているわけだ」
かっと男の顔に朱が上った。怒りに任せた剣が振りかぶられる。
刃が弾かれる、ぎん、という音。続いて、それが足で蹴られて転がっていく音。
「!?」
センが剣を弾き飛ばし、キサラギが剣を蹴って遠くへやったのだ。
「飲まなかったんですか」
「あんなところに放り込んだ奴から渡されたものに、すんなり口を付けるもんか」
センも同じだったのだろう。杯を落としたのは持っているのも置きにいくのも面倒だったからに違いない。
「彼女は成功例じゃない。成功例なんていない」
一歩近付き間を取る。
(私は知っている……)
ずっと秘めてきた真実。竜人の血に触れた者の末路。お伽話などではない。キサラギは知っている。
竜狩りはキサラギ、竜に変じた者は――
「――竜人の血に触れた者は、竜になる」
それが真実だ。
しかしモリヤは認めない。攻撃の手を失ったことに目玉を忙しなく動かしながら、叫ぶ。
「ではあなたはなんです! 竜の血に触れたんじゃないんですか!」
「私は」
剣を抜く。手にした剣は魂だ。
魂の名は、キサラギという。
「竜狩りだ」
走り出す。
モリヤの獲物は向こうに飛ばした剣だけではなかった。今度のものは短剣が二本、両手で組み合わせた刃がキサラギの力を分散させて弾き返す。その次にモリヤは棚に飾ってあったものを掴むと投げつけてきた。
「っ!」
避けずに反射的に剣で払ってしまう。それが狙いだったと知ったのは躍りかかる相手の姿を見た時だった。
モリヤは踏み込んで左右で二度四度と剣を振る。受けるより避けることを選択し、後ろへ少しずつ飛ぶが、すぐ壁に背中が当たる。しゃがみ込んで走り抜け様、瞬発力を利用して脇と背後を狙いにいくが、左右の短剣が狙った二撃を弾き返す。
この部屋ではキサラギの方が小回りがききにくい。モリヤの長剣を奪ったのは失敗だったかと思いながら、彼の実力を測っていた。
かなり腕のいい竜狩りだったのだろう。暗部にいるということからも分かる通りだ。この場に入ることが出来るのは関係者だからで、彼は彼女に親しげに呼びかけていた。
例え竜狩りの誇りを取り上げられても、モリヤは、マリの側にいたかった。
「どうして……あんただって分かってるはずだ、『竜の血に触れてはならない』!」
「彼女は竜ではない! マリは最高種だ! 彼女の存在で、私たちは王国地方を超える国が創れる!」
剣を弾き返して間を取る。
「……国?」
「草原地帯は王制のない地域。各都市が領土を持ち、それぞれが協力し合っている。そして今はキズ山脈があることで、私たちは王が不在でも王国地方と対等でいられる。ですが、他の都市や王国と対等でいる必要がどこにあります?」
草原地帯に国が消えてもう長い。王の存在は竜狩りの都市に代われた。これまで協力し合って大きな争いごともなくやってこられたのは、竜と竜狩りという共通意識があったためだろう。竜を狩らねば、人は生きていけない。
だが、竜を超えた種族が現れたら。
拮抗が崩れる。上位種族に下位種族は呑み込まれる。
実験台という言葉が蘇った。あの子竜たち。あれは、ここで飼育されて。
「なんて……なんてことを……!」
モリヤは衝撃を与えられた歓喜に笑い、剣を振りかぶった。
だが、何かが倒れる音に二人は動きを止める。
どこかへ消えたと思っていたセンは、いつの間にか檻の中にいた。叩き切られた鉄格子の中に、彼は血塗れた剣を持って、見下ろしている。
事切れた、哀れな娘を。
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