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「御子様が力をお持ちであった場合、わたくしが乳母ではとても荷が重すぎる。そのように申しておりました。もう一人も、事前に話を聞いていて、同じ答えに至ったようです。力の有無は関係なく、情操教育や教養の面であなた方の力が必要だと説得を試みたのですが、上手くいかず……申し訳ありません」
 アマーリエはキヨツグと顔を見合わせた。生まれた子どもが、不思議な能力を持っているなんて、思ってもみなかった。
 ただ、コウセツはいくつかの異質な出来事を経て誕生している。まず、妊娠が判明する時期からしばらく、成長が止まっていた。アマーリエが行った儀式のせいだと考えられているが、特殊な儀式とはいえ、胎児の成長が止まるのは普通ではない。出産も、アマーリエの不注意のせいで帝王切開となった。そしてそのとき、朦朧とした意識の中で、彼の声を聞き、触れられたような夢を見た。ただこれは、キヨツグには話していない。
(特別な子かもしれないと思ったことがないと言えば、嘘になるけれど)
 少なくとも、乳母たちに怯えられていないのは安心していいか。不思議な力に恐怖を覚え、敵意を向けられることほど恐ろしいことはない。もし本当に力を持っているなら、コウセツはまだ赤ん坊で、きっと能力を制御できない。それこそ、周りを傷付ける可能性がある。
「コウセツが力を使ったのはそのときだけか」
 アマーリエが目まぐるしく考えている間に、冷静なキヨツグがリーファに尋ねた。
「そうだと思います。周りの者が変化に気付いていないだけかもしれませんが、御子様が特別な力をお持ちなのかもしれないと感じたのは、今回が初めてです」
 キヨツグに視線を向けられ、それを意味するところを受け取って、アマーリエも口を開く。
「私は、特に変わったところがあるようには感じたことがありません。珍しいくらいずっとご機嫌な子だとは思っていましたが、あの子の性質だとばかり。だとすれば、どうすれば一番良いでしょうか……」
「成長するにつれて発現したのやもしれぬ。その道に明るい者を側に付けよう。いずれ能力が失われるとしても、いまの備えは必要だ。そして、この件は他者に漏らすことのないように。周りの者に不安を与えかねぬゆえ」
「そうしていただけるとありがたいです。お手を煩わせて申し訳ございません。ご命令は、他の者にも伝え、厳守いたします」
 深々と叩頭するリーファに、アマーリエも声をかけた。
「リーファ様、できれば少しの間、彼女たちを引き止めてください。対策をした上で、私からもお話をさせていただいて、お互いに納得のいく形にしたいのです。御三方のおかげで、息子を安心して任せられていますから、なるべく残っていただきたいんです」
「まあ、まあ、真様! ありがとうございます。そう言っていただけると、報われる思いですわ」
 リーファは嬉しそうに頬を染めて、小さな手のひらを合わせた。
「御子様のお世話をするうちに、乳母役に選ばれたのは本当に光栄で幸いなことだったと、わたくしたちは常々話をしていました。それだけに、御子様のまっさらな、いずれ輝かしいものとなる将来を、乳母役の力が足りないことで汚してしまったら……わたくしも含め、乳母たちはそれを恐れています。このようなことを申し上げるのは、大変差し出がましいのですが、天様ならびの真様のお力をどうぞ、お貸しくださいませ」
 そのように言い置いて、リーファは退出した。

 アマーリエとキヨツグは、一旦それぞれの仕事に戻り、夕食を摂った後、遅れていた諸々を片付けてから早々に話し合いを行った。アマーリエの方が早かったので、先触れを出し、しばらくキヨツグの自室がある紺桔梗殿で待っていると、彼はすぐにやってきた。
「……すまぬ、遅くなった」
「いいえ。いま来たところですから」
 ひとまずお茶を淹れ、隣り合って座る彼の前に器を置いたのをきっかけに、二人は早速本題に入った。
「……神殿に、巫女を派遣するよう伝えた。明日、鑑定を兼ねて巫女が来る。その結果次第で、巫女を新しい乳母役に採用するやもしれぬ」
「わかりました。人が来ることを伝えておきます」
 巫女であることをは伏せた方がいいか、と尋ねると、キヨツグは首肯した。
「……コウセツに力があると知る者は、少ない方がいい」
 アマーリエも同じ意見だった。畏怖の対象として恐怖され、迫害されるのは恐ろしい。だが、その力に救いを求め、人が集まってくるのは避けたい。利用したいと思う者がいるだろう。勝手な期待を抱かれ、助けてもらえなかったと憎悪されることもあるかもしれない。人の心の闇が、いまは赤子の、やがて少年、青年へと成長していくコウセツの未来を、黒く塗りつぶしてしまう、それだけは絶対に阻止しなければならなかった。
 静かに思考に沈むアマーリエは、ふと、伸ばされた手に顔を上げさせられた。
「……己を責めているのか」
 アマーリエはわずかに瞳を揺らし、苦笑した。
「どう、でしょう。うっすら感じている気はしますが、まだ、実感はあまりないです。コウセツは、私が産んだ子で、お腹にいるときにたくさん無茶をしましたから……いまはそれほどでなくとも、あの子が苦しむようなことがあれば、自責の念で泣き腫らすかもしれませんね」
「……私の子でもある」
 言外に滲ませた、誰の責任でもなく、万が一そうであっても二人で負う責だ、という思いを受け取ると、少し、心の重みが増した。二人の行いが、選択が、こうして少しずつ形を成していくのだと実感したせいだった。
 ただそれでも、一人ではないという安心感は、アマーリエを微笑ませる。アマーリエの手は短く、細く頼りないが、キヨツグがいれば守り通せると信じられた。
 お互いの手を絡め合いながら、しばらく、コウセツの今後について意見を交わした。こうだった場合、もしああなったとき、などと対応策を出していくと、不安は小さくなっていく。いま相談しているように上手く物事が運ぶわけがない、とわかっていても、備えていれば安心できる。思惑が外れて、咄嗟に反応できずとも、狼狽える時間が短ければ危険度は低くなる。
(こうして安心するために、相談するんだな……)
「……どうした」
 一通りの相談が終わり、アマーリエが意識をぼんやりと逸らしたのを察して、キヨツグが問う。だからアマーリエは、絡めていた手にぎゅっと力を込めて、「ふふ」と笑った。キヨツグはちょっとの間、じっと眼差しを注いだかと思うと、干菓子を啄むような気軽さでアマーリエにちゅっと口付けをした。
 アマーリエは目を丸くし、次の瞬間真っ赤になった顔を覆い、へにゃりと横に倒れ込んだ。
(違う、いや違わないかもしれないけれど。そういう意味じゃなかったんだけれども、そう感じられたのなら仕方がない……!)
 相変わらず羞恥を感じて奇行に走るアマーリエを、倒れた方とは反対側に座っているキヨツグは特に気にした風でもなく、アマーリエが淹れたお茶を味わっていた。

 鑑定の結果、コウセツは力を持っていることが判明した。どのような能力かはわからないが、この世ならざるものを見る目と、澱みを払う浄めの力を持っているのは間違いないらしい。このような赤子は悪鬼悪霊に狙われやすいが、どうやら、何らかの強い守護が彼にあるという。
 後日、巫女の資格を持つ新しい乳母がやってくるだろう。アマーリエはいまの乳母たちと面談し、引き続き勤めてもらえないか掛け合ってみるつもりだ。だって、息子の将来を案じて身を引こうとしてくれるような女性たちが乳母になるなんて、どれほどの確率なのか。彼女たちのような人にまた出会えるとは、とても思えない。
 話し合いの約束を取り付けたその日の午後、アマーリエはコウセツを抱いて庭に出た。守りの刺繍が施された布に綿がたっぷり詰められた防寒用の上着にくるまり、うさぎのような垂れ耳がついた帽子をかぶったコウセツは、全身がもこもこしていて、まるでぬいぐるみのようだ。短い手足がいつもよりも小さくなり、小動物がじたじたと動いているように見える。その姿はもう、頬がとろけてしまうくらいに可愛い。
 すると、ひゅうっと風が吹いて、ひとひらのそれを運んできた。
 雪だ。
「ああ、コウセツ。ほら、雪が降ってきたわ」
 それは、彼の未来のように無垢な白だった。じきに、世界は深い冬に覆われるだろう。もうすぐ、あの日から一年が経とうとしていた。

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