<<  |    |  >>

 離宮に戻ったユイコはアマーリエが何を確認したのか推理を始めた。ちらりと見えたのは、最初の状態から何かを作動させた画面。背景の色と項目の数からこれだろうかというものを思いつく限り表示させてみる。彼女はいったい何を見て「やっぱり」と笑ったのか。
(見ていたのは、端末の設定だったと思ったのだけれど……特に何かされた様子はない……?)
 弄り回して、気付けば夜半過ぎ。これも試しの一種だろうか、と悩ましいため息をついたときだった。
 ぴるっ、ぴるるるるるる、とけたたましく鋭い笛の音が静寂を裂き、ユイコはきゃあっと飛び上がった。
「な、何、何っ、え、あっ、ああこれっ!?」
 音の発生源はここ数日ユイコを煩わせている携帯端末だ。
 覚えたつもりが、実際に遭遇すると何をどうすればいいのかすべて吹き飛んでしまった。耳障りな大音と羽虫のような振動もあってわたわたあわあわと狼狽えて彷徨っていた手が、自分でもよくわからないうちに携帯端末のどこかに触れたらしい。ぴたりと音が止まると同時に画面が変わり、痛いくらいの静寂が返ってきた。
「……と、止まった? 止まったのよね……? ええと……」
 恐る恐る携帯端末を伺うが、どうも様子がおかしい。いつものように最初の画面に戻っていない。しかもその見知らぬ表示は数字を数えている。この機械を操作するようになってから当たり前に目にするようになった、数字を並べた時計ではなかった。
 だが触っていいものか、初期の状態にするにはどうすればいいのか、まったくわからない。
「どうすれば……あっ、せ、説明書!」
 操作方法が記された冊子の存在を思い出し、その在り処を探したとき「おーい」と遠くから呼ぶ声に、ユイコはぎょっと息を飲んで周囲を見回した。
 だが、本宮から離れたこの場所に滞在するのはユイコと世話役の者だけで、この時間帯はしいんと静まり返っている。気のせいかと忙しない鼓動を打つ胸を押さえながらようやく冊子を手にして開く。
『おーい! おーい!?』
「っ!?」
 何者の声がはっきり耳に届き、びくっとしたユイコの手から冊子が落ちた。
「誰か、そこにいますの!?」
 素早く周囲に目を走らせるが、それらしい人影はない。世話役を呼ぼうにも、機械を触るからと遠ざけていて、先に休んでいいと言ってしまっている。宮中のことなのだから滅多なことでは危険な目に遭わないと過信したことが裏目に出た。
 だがユイコも伊達にリリスの女ではない。達人でこそないが、最低限の護身術は学び、優秀だと指導者に褒められたこともある。不届き者の隙をついて逃げ出せれば何とかなるはず。
 そう思って構えの姿勢を取って、しばらく。
『――…………っく、くく、ぶ、わああぁっはっはっはっはっ!』
「……は?」
 不埒者は割れ鐘のような声で大笑いをし始めた。
 さらに言えば、その場違いな笑い声は何故だかユイコの知る人によく似ている気がする。
「まさか……」
『こっちこっち! 携帯端末! 手に取って耳に当ててみな』
 恐る恐る指示に従って、ゆっくり息を吸ってからその名を口にする。
「……マサキ様?」
『おっ、ちゃんとできたな? これが通話。覚えとけよー?』
 絶対不審者だと思って構えの姿勢だったろ、目に浮かぶわー、と小馬鹿にするような声は、確かにマサキだった。
 機能は知っていた。だがこんな小さなものからずっと聞きたかった声がするなんて、不思議で仕方がない。目に見えないだけで糸のようなものが繋がっているのではないかと中空で手を振ってみるが、ただ空気を混ぜるだけだ。
『元気かー?』
「ええまあ。けれどどうして、マサキ様が……」
『都市に行くって天様に直接交渉したのはお前だろ?』
「それはそうですけれど、何故そのことをご存知なのですか? こうしてお声を届けてくださったのも……」
 ふっとマサキが自嘲の笑みを浮かべた気配が伝わってくる。
『そりゃあ俺は一応こっち側の責任者ですし? 天様から連絡があるのは当然デショ。新入りが来るかもっていうならなおさらね。本当に本人の希望なのか確かめとかないと』
「わたくしの意思ですわ。わたくし自身が、マサキ様と同じお役目をいただきたいとお伝えしました」
 覚悟を持って行動をし、いままでとは違った世界に向けて大きく踏み出そうとしている自分がいることを、誰よりもマサキに知ってもらいたかった。はっきり告げることができて胸がいっぱいになる。
『ふーん? 家族は? 二度と帰れないってわかって言ってんの?』
「もちろん、存じております。家族には『もし天様のご命令となれば背くわけにはいかない』と言われています」
『許可が出るはずないって思ってるワケね。侮ってくれるじゃん』
 本当に、とユイコはくすっと笑った。
「天様のお許しが出たら、両親や一族の説得は天様にお任せするつもりです。ご安心くださいませ」
『ああそれな、気にしなくていいから』
「え?」
『ミン卿と夫人の説得。二人に話はついてるから』
 ユイコは目を瞬かせ、ぎゅっと眉を顰めた。
「いったいどんなあくどい手を使われましたの?」
『……………………お前さあ……』
 まあ不思議、がっくりするマサキ様が見えるわ。
 などと考えるユイコの満面の笑みも、きっと先ほどのようにしっかり伝わっているだろう。
「わたくしの両親ですわ。ごく一般的な、普通の、リリスの貴人の価値観を持ったあの父母が、そう簡単に頷くとは思えません。どのような取引をなさったのです?」
『それは天様のご命令が下って、こっちに来たら直接話す。いいか、絶対に聞くなよ。従兄上は答えないと思うけど、絶対、絶対に聞くなよ!』
「ますます聞きたくなりますわ。どなたにお尋ねしましょう……カリヤ長老かしら?」
 一瞬詰まったマサキが『マジで! 止めろ!!』と絶叫するのにユイコは声を上げて笑った。よほど知られては困るやり取りがあったらしい。是が非でも探り出してやりたいと思ったものの、ユイコの胸に先ほどのマサキの言葉が蘇る。
(『こっちに来たら直接』……)
 顔を見て、声を聞いて、表情と視線と気配で、マサキ・リィという人と言葉を交わすことができるのだとしたら、それが一番だ。仕方がない、諦めてあげようとユイコは頬を緩ませた。
「マサキ様」
『何だよ』
「真様は大変お元気でいらっしゃいますわ。御子様とお健やかにお暮らしです」
 きっとそのために連絡してきたのだと思って、話す。
 彼の最愛にはなれないだろうけれど、こうして繋がることを許されるなら、それでも構わない。もっと欲しい気持ちは確かにあるけれど、近くにいて言葉を交わせる方がいい。不毛だと言われても、振り向いてもらえなくても、ユイコにとってマサキはいつまでも恋しくて大切な人だから。
『……そっか』
「はい」
 ならいいよ、と静かな声が言った。
「では、何とお伝えしておきましょう?」
『伝える、って、何を?』
「真様のご様子を知りたかったのでしょう? ですからご伝言を承りますと申し上げております」
『いや別に何も……っていうか、アマーリエの様子が知りたくて連絡したわけじゃないからな? さっき言ったろ、責任者として、お前の意思を確認するためだって。それにな、ユイコ』
 真様のことではない? 本当のことを言っているのだろうかと探りながら「はい」と応答する。
『俺、アマーリエにフラれたから。だからもう余計な気ィ回すんじゃねーぞ』
 ユイコは目を見張って息を飲み、そうして、笑った。
 世界は、人は、すべては、劇的でなくても少しずつであっても、こうしてゆっくりと変わっていくのだと思った。
「まあ、それはお可哀想に……なんて、言って差し上げませんわ。ご失恋、おめでとうございます」
『ほんっとお前って』
「お顔を見て、覚えていたら、お慰めして差し上げます」
『ハイハイ楽シミダナー』
 同時に吹き出して、ふと、少しだけ寂しくなった。
 いま顔を見て触れられたらどんなに。
『……まあ、そういうことだから』
「はい。ご連絡、ありがとうございました。期待してお待ちくださいませ」
『うん。待ってる』
 マサキが笑って『じゃあな』と告げた途端、ぷつっと音が弾けて何も聞こえなくなった。耳を澄ませるようにしばらくそうしていて、何も聞こえないことを確かめて、真っ黒になった携帯端末を見つめる。
 そこにはいまにも泣き出しそうで、笑ってしまいそうなユイコがうっすらと映っている。
 それを胸に抱いて、目を閉じる。
 そうして窓を開けて身を乗り出し、空を仰いだ。この月をきっと、遥かな都市でマサキも見ている。
「……必ず、参ります。だから」
 うん。待ってる。
 恋心を伴った遥かなる旅が始まる。響くその声はいまも、ユイコの道標だ。

<<  |    |  >>



|  HOME  |