こうしてお披露目会と並行した、キヨツグの花嫁を巡る諸問題はひとまずの決着を見た。
　三日目の午前中から午後にかけて、お披露目会に参集していたリリスの各氏族は自身の領地や親族たちのいる幕営地へと戻っていった。残ったのはごく一部、最終日の祝い事をする身内と、調査対象となったアラヤ長老夫妻とヨルム、捕縛中のシハンだ。
　シハン・ジイの犯行理由はこういうものだった――彼は実家を出奔した後、友人知人を頼って各地を放浪していた。そうしてたどり着いたのがアラヤ長老夫人の出身であるゴン家だったという。
　食客となった彼だがそこでも以前と同じような色恋沙汰による騒ぎを起こし、また借金もあった。そろそろ首が回らなくなるという段階で、これを帳消しにする代わりに言う通りに動くよう、顔を隠したどこかの高貴な女性に依頼されたのだそうだ。
　もちろん危険な依頼だとはわかっていた。最初は無理だと断ったが、減刑するなり揉み消すなり手段はいくらでもあると囁かれた。実際、事件の一つの訴えが取り下げられたので、そのくらい力のある誰かなのだろうと信用するに至ったらしい。
　また彼自身、ヒト族の女性と関係を持つことにも興味があり、アマーリエが女性としてそれなりに好ましいと感じたこともあって、依頼を実行に移したそうだ。
　それを受けて「……腹立たしい」というのがキヨツグの感想だった。
「……族長位など誰にでもくれてやるゆえ、あの愚か者に死ぬ以上の苦痛を味わわせてやりたい」
「やるなよ？　絶対やるなよ！？」
（それだと『やってくれ』という意味になってしまいます、ヨシヒト様……）
　身内だけで祝う日は、夜に食事会を予定しているだけだ。客人たちが王宮を後にするまで夕刻までかかるため、アマーリエたちは表に出ず、コウセツの子ども部屋の隣室に集い、時々彼の遊ぶ様を眺めながら、これまでの出来事の総まとめについて話している。
　その結果、気が抜けたのかわからないがキヨツグとヨシヒトの凶暴性を伴ったボケとツッコミが先ほどから止まらない。
「お前が仕事をしているところをちゃんと見たのは初めてだったんだが、もしかしなくてもいつもあんな感じか？　完膚なきまでに叩きのめしてるのか？」
「……人聞きが悪い。相応の報いを受けさせているだけだ」
「そんなお前にこの言葉を贈ろう。――『怖い』」
　そうした光景を、少し離れたところでいつも通り男装に戻ったリオンが不可解そうに眺めている。キヨツグに対して思うところが多々あった彼女だから、気安い会話をしているところが珍しいのだろう。
「あなたの夫は面白い人だな」
「あら、そうですか？　いたって普通の人ですよ」
　アマーリエの隣にいたウヅキに、いつの間にかアシュが座って話しかけている。
「こればかりは『普通』とは言わんと、俺でもわかる。あれは達人だ。正統派に見せかけて異端の技も身に付けている。ただの傭兵じゃない、特殊な役割を持つ、影とか呼ばれているものだ」
「…………」
　にこやかに恐ろしいことを話すアシュに、ウヅキは微笑んでいる。
　アマーリエは初めて聞く話に驚いて、割り込むべきか判断しかねていた。だがなおもアシュが話しかけようとしたそこに「ちょっと失礼」とヨシヒトが割り込んで、どかりと腰を下ろす。
「ヨシヒト、狭いんだけれど」
「俺が悪いの！？」
「ええと、皆様、この度はご協力ありがとうございました。おかげさまでコウセツのお披露目会を無事に終えることができそうです」
　収集がつかなくなりそうだったのでアマーリエはそう言って頭を下げた。それほどでもといった様子で各々笑みを返してくれる中、リオンがキヨツグに視線を投げる。
「もう一つの目的は無事果たせそうなのか？」
　キヨツグの第二第三の妻を迎えるべきだという主張する者とそれを企む者たちの心を折る、というのがヨルムとアラヤ長老夫人との対決の際の目的だった。
　キヨツグは頷いた。
「ああ。それよりも次期族長に誰がふさわしいかということで頭がいっぱいのようだ」
　キヨツグの血よりもリリス族の歴史の重みよりも、族長という権力の魅力に抗えない。俗物め、と吐き捨てるリオンは敵を見つけたようで嬉しそうだ。
「アラヤ家は代替わり、放蕩息子は処罰を受けてジイ家は無事縁切りを果たし、姫君よと担ごうとした娘の不品行が明らかとなって金魚の糞どもは解散。なるほど、『完膚なきまでに叩きのめして』の大勝利だな」
　妻の暴走を止められなかったアラヤ長老は責任を取って夫婦共々隠居を促され、息子夫妻に跡目を譲ることとなった。この後継ぎは母親の影響を強く受けず、母方のゴン家と距離を取りたがっているようで、今回の件がいいきっかけになったようだ。
　シハンは後日裁判を受ける予定で、財産などすべて没収されて放逐される目算だ。彼の実家であるジイ家は、これ以上息子と関わり合いになっては親類縁者に被害が及ぶと判断し、縁切りを申し出た。また罪を重ねるようであればさらに重い刑に処されるだろう。
　ヨルム側についた女性たちは、あの日のことがなかったかのようにアマーリエたちに優雅な挨拶をして王宮を後にした。キヨツグが言うように、どうすれば次の族長になる子どもを産めるのか、なんてことを考えているのかもしれない。
（そしてヨルム様は……）
　あの日医官を呼んで診察させた結果、本当に身篭っていることが判明した。あのときのやり合いが彼女の心身に大きな衝撃を与えたのは間違いないため、王宮側としても手厚く彼女を送り届けるよう、人手を割くことが決まった。
「ヨルムの相手が誰なのか、わかっているのか」
「身辺警護をする幼馴染みの可能性が高いそうだ」
「ふん、可能性、な」
　リオンは唇を歪める。若い頃からたくさんの恋をするのはリリス族の特徴だが、ヨルムもその例に漏れなかったのだろう。可能性の高い相手と低い相手がいるということだった。
　その上でキヨツグに言い寄っていたのだから、たとえリリス族の価値観だとしても、受け入れがたいと思ってしまったアマーリエだった。
「父親と思われる男と結婚することになるのか、しないにしても、まあそう簡単に事は運ばんだろうな。あの小娘も相応の報いを受けるというわけだ」
「……そうだとしても」
　アマーリエの呟きに全員の視線が集まる。
　ヨルムのしたことが厚顔な振る舞いだったとしてもこれだけは祈りたい。
「お子様が、無事に生まれてくれるといいですね」
　祝福される命が、どうか一つでも多くありますように。
　もしその子が不幸な境遇になったなら手を差し伸べられるように、その後の動向を把握するようにしよう、とアマーリエは思った。人の手を借りて折々に様子を窺わせるのだ。それが彼女の企みを潰した自分の責任だった。
　もちろんそんな考えはそれぞれの立場の様々な視点を持つ歴戦の人々には見透かされているので、「お人好しなことだ」とか「無慈悲な夫と対照的な優しさだなあ」などと言われてしまった。
　でもそれが許されるだけのものが自分にはあることを喜ばしくも思うのだ。慈しみや、優しさや、助けを差し伸べることが、ときには許されないのがアマーリエが背負うものでもあるのだから。
　そうして夜になって、無礼講の食事会となった。食べるものに気を付けなければならないコウセツも同席し、ウヅキとヨシヒトはセノオにいる子どもに会いたくなってしまったらしい。お土産は何がいいか、次に仕立てるのはあんな衣装、こんな髪飾り、なんてことをずっと話していた。リオンとアシュは美酒に舌鼓を打ち、膳を空にして、隠していた肴があるはずだと人を呼び、自分たちだけ二次会三次会に雪崩れ込む勢いで杯を重ねている。
　そこに仕事を終えた医局のリュウ夫妻と息子のシキ、カリヤ、装いを護衛官のそれに改めたユメが改めてお祝いにやってきてくれ、説き伏せて一杯だけ飲んでもらった。女官をまとめるアイと補佐のセリに、急な仕事を頼みながら完遂してくれたココたちにも改めてお礼を言って祝酒を振る舞った。他の場所でも、仕事から解放された者たちから順に祝いの肴と酒と菓子で大小の宴が開かれているはずだ。
　大人たちが好き勝手にし始めたので、一通り構われ、笑い、遊び遊ばれたコウセツが疲れ切って丸くなってしまったのを機に、アマーリエとキヨツグは身内や側近たちに先んじて自室に下がった。
　寝支度をして子ども部屋に行くと、乳母たちのおかげで柔らかな寝巻き姿になったコウセツは、楽しい夢でも見ているのかふにゃりと笑ったような顔で可愛い寝息を立てている。
（やっとひと段落、というところかな……？）
　次の大きな行事は元服だ。それまで大きな病気をすることなく元気いっぱいに育ってほしいと願うばかりだった。
　乳母たちには「これまでありがとうございました」という感謝と「これからもコウセツの力になってやってください」と頼み事をし、祝い返しの菓子を渡して、アマーリエも長い三日間を終えるために寝殿へと向かった。
　肌寒い春の夜、少しだけ暖かくしようと香炉に火を入れ、ついでに香りを炊く。少し悩んで、霞みがかった春の宵を思わせる梅の花によく似た爽やかな甘酸っぱいものにした。
　そうするうちにキヨツグが来た。
「……コウセツの様子を見に行ったが、よく眠っていた。あれは本当に大物だ」
「私もさっき見てきました。本当に、意思疎通が難しい年齢とは思えないくらいよくできた子ですよね」
　そしてその力も、とアマーリエは思い出す。
　食事会のときに耳に入ってしまった。リオンとアシュのやり取り。
　よくわかったな、とリオンはアシュに言った。それにアシュは、いや、と頭を振って。
『俺じゃない』
　そうして、集まってきた顔馴染みの父母の側近たちに愛想を振りまくコウセツを見ていた。
　話題はヨルムの懐妊とそれに気付いたときの話で、それに我が子が関わっていたのだと、それで知った。後から乳母たちに聞いて、二日目の謁見の後、アシュがキヨツグとコウセツを交えてしばらく話していたことも確認した。大広間に集合した人々の前に立つまでの準備中、リオンが隣室を気にする素振りを見せたときだ。
　だが不安がっていても仕方がない。これからきっと予想外に驚かされることばかり起こるに違いないのだから、いちいち怯えていては身が保たないだろう。
「でも強面のお年寄りの方々に笑って手を振ったときなんて、もうどきどきでした……幸い、皆さん喜んで構ってくださったからよかったものの、行儀がなっていないと叱責されたらどうしようかと……」
　出生率が低いリリス族だからか子ども好きの人が多いが、それでも母親としては緊張していたのだ。分別がつくようになって礼儀作法の時間が設けられるようになったとき、ふさわしい立ち居振る舞いができていなければ親の責任にもなるのだということを今回初めて自覚できたように思う。
「……素行不良の青少年ならともかく、幼子に声を荒げるような狭量な者はおるまい」
「……心当たりがあるような言い方ですね？」
　キヨツグは目を細めた。遠く淡い景色を見るような目は、ヨシヒトとウヅキとの再会で思い出すことがあったのかもしれない。
「……私が決して、物分かりの良い、清廉潔白な人間ではないことを、お前はよく知っているだろう。成人してこうなのだから、子ども時代は推して知るべし、だ」
　涼しい顔で素行が悪い、少年のキヨツグ。怒るに怒れない、怒っても効果のないことに戦慄く大人たち。
　いったいどんな悪さをしたのか、想像するアマーリエの胸は何故か、ぎゅんっ、とときめいた。
「……その話……めちゃくちゃ聞きたい、って言ったら、怒ります……？」
「……明日が休息日でよかったな」
　夜通し他愛ない話をしようという誘いに、アマーリエはくすくす笑いながら、キヨツグと手を繋いで寝間に入った。
　そうして、夜を越えていく。
　温かな微睡と胸を満たす幸福と、二人分の熱に包まれて迎えた朝にあるものすべては、きっと、未来と呼ばれるものだった。