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 遊牧の民であったリリス族が王宮を構えたとき、当時の長に付き従う多数の氏族が宮官として取り立てられた。カリヤのフェオ家、ユーアンのシン家、ユメのイン家はそれらの流れを汲み、代々宮仕えをすることで家を守ってきた。
 イン家は長く続く武官の家柄で、ユメも軍に属していた。フェオ家は文官の家系だったのが、槍術が達者であったカリヤは、最初に武官として奉職していた。当時リリス内は同族同士の小競り合いが多く、モルグ族の攻勢が凄まじいこともあり、軍備に比重が傾いていたので、さもありなん、という印象だった。部署が異なるので同じ仕事することは滅多になかったが、相変わらずの毒舌で敵も味方も作っているのは噂に聞いた。
 ゆえに、モルグ族との戦いで足を負傷し、以前のように働くことが叶わなくなったことは、早々とユメの耳に入ってきた。
 カリヤは職を退き、すぐに文官に配置換えとなった。当初は武官からの転身ということで嫌がられたようだが、家族はみんな文人だ、すぐに馴染み、本に住み着く虫のごとく、文字と書に耽溺した。その能力は、いまでは将来有望と噂されるまでになっている。
 復帰前に職場に顔を出したところで、ユメは同僚たちにカリヤの話を聞いた。
「カリヤ殿か。不支持派の急先鋒という話だね。リリスのこの状況で、派閥争いなどしている場合ではないと個人的には思うのだが、どうにも譲れないものがあるらしい」
 ヨウ将軍は困ったように言った。
 これを説明したのは同じく武官で長老家の跡取りであるハルイだ。
「不支持派はどうも、公子様が族長になったときにどのように統治なさるかを気にしているようだ。公子様が正しいお血筋であるなら、彼が族長になったとき、逆らえる者は誰もいないということになる。命山がどのように動くかはわからないしな」
 ユメは考えた。つまりカリヤたちは、キヨツグの力が強いことを認めて、それを自分たちの思うように使いたいと考えている、ということか。
 それにしても、急先鋒とは。まだまだ若輩の部類に入るというのに、いったい何をしたのやら。
(あの言い方では、近付くのは得策ではないぞ、と警告しているようなものだったな)
 すなわちユメが立ち入ってくるのが迷惑だと思っている。その狙いを知られれば反対に合う、もしくは賛同された結果、目測が外れる事態になるのだろう。これでも幼馴染みをやって長いのだから、考えていることを推測するのはユメとて難しくない。だがその狙いがなんなのか、長く離れていたユメにはわからない。
 そんな頃、ユーアンが訪ねてきた。
 雪が世界を白く染めゆく中で、椿の赤だけが鮮烈だ。時折梢や屋根から雪が落ちる音が、火鉢に温められた部屋にまで届く。
 湯気の立つお茶を味わいながら、前説のような世間話をして、ふと会話が途切れたとき、一呼吸置いてユーアンが本題を切り出した。
「カリヤ様のことなのですが……不支持派から脱していただくにはどうすればいいと思いますか?」
 思わずお茶を吹き出しそうになったユメだった。
 どうやら彼女はカリヤの立場を知って、本人にそれはいけないと忠告に行ったらしい。結果は推して知るべし。
「公子様に反意を示すことは、命山に背を向けることと同じでしょう。支持、不支持よりも、命山に背くのは危険です。なのにカリヤ様は『命山が何をしてくれた』と仰って……よく考えたのですけれど、そういう問題ではないと思うのですわ」
「仰りたいことはよくわかります」とユメは頷いた。
 命山は神が住む。リリスの意思を決定する最終的な、最高機関であり、俗世と関わるようなものではないのだ、という意識が当たり前のものとしてユメやユーアンにある。何をしてくれた、と言っても、何もしてくれないのが当然なのに、と困惑するのだ。
 だがカリヤら不支持派は、それがおかしい、間違っていると叫ぶ。命山が持つ秘密を開示せよ、という声も上がっているようだ。
「わたくしは公子様が族長になられると思っています」
 別の問題に考えを取られそうになっていたのを、ユーアンのため息が引き戻す。
「少なくとも次いで有力なリオン様は、族長になる気がないご様子。リィ家のマサキ様は、セツエイ様の妹君であるシズカ様の後ろ盾があるけれど若すぎます。となれば、いずれどのようになるかはわかりませんが、順当に行けばキヨツグ公子が族長になられる。そうなったとき、カリヤ様は冷遇されるのではないかと心配で……」
 ユーアンは可愛らしく唇を曲げた。
「だって困りますでしょう? 今後のことを考えると。今日の食事を心配するようなことになったら、どうしましょう」
 確かに、政の中心から遠ざけられるのは覚悟せねばならない。そんな自覚がないカリヤではないと思うと同時に、もやもやとしたものを感じた。
「わたくしは、ユメ様のように士官したくとも才能がありません。得意と言えるのは、家を切り盛りして、お客様をおもてなしすることくらい。兄がいるからという母の言葉を鵜呑みにしたのが間違いでした。もう少し学んで、試験くらいは通っておくべきだったわ」
 どうやら、ユーアンは婚約者として、すでに夫と将来を見据えているらしい。
(私とは大違い……)
 話が進んでいる様子は見受けられないが、両家はすでにそういう雰囲気なのだろうか。ユメの父母はその話を聞いているのだろうか。
「なんとかなりませんか、ユメ様?」
 単なる愚痴聞きだと思っていたのに、予想外に問いかけられた。
「私……ですか?」
「ユメ様はわたくしよりもカリヤ様と過ごされた時間が長いでしょう? わたくしが言って聞いてもらえないのであれば、後はユメ様かご両親くらいしか思いつきません」
 とてつもない信頼を寄せられている気配を感じて、ユメは慌てて手を振った。
「待ってください、フェオ家のご両親はわかりますが、私にはとても」
「あら、だって、カリヤ様はユメ様の言葉は絶対に無視なさらないんですもの」
 意外そうにユーアンは言った。
「否定肯定は別として、耳を傾けてくださるでしょう? わたくしは『うるさい』と一言言われたらそれ以降無視です。でもユメ様はそんなこと一度も言われたことがないでしょう、わたくしの思い違いかしら?」
「……いや……どうでしょうか……」
 ユーアンにそんな仕打ちを、とか、カリヤの態度に差があったのか、とか、色々と衝撃が強すぎた。
 けれど言われてみれば、確かに無視はない、かもしれない。鼻で笑われたり否定されたりあしらわれたりはするが、反応がないことはなかったような。
(それはつまり……ええと、どういう意味だと思えばいいのか……)
「どちらにせよ、婚約者の言うことも聞いてくださらない殿方なんて、先行きが不安です。ユメ様にはカリヤ様をしっかり叱っていただいて、これからのことをよく考えるように伝えていただかなければ」
 たとえ身近な幼馴染みであってもそれは荷が重すぎる……と項垂れていたとき、声がした。
「状況が落ち着けばなんとかなるものですよ」
 衝立の向こうから滑り出た細い影に、二人してはっと息を飲んだ。
「母上」
「小母様」
 イン家の奥方、ユメの母親がにこやかな微笑みとともに姿を現した。
「ご機嫌よう、ユーアン。早速ですけれど、身勝手な殿方を御す方法を申しましょう。そういうときはね、既成事実を作って仕舞えばいいの。家族ができれば責任が生じるので無鉄砲は多少なりとも治りますよ。我が殿もそうでしたからね」
「小父様が?」というユーアンの驚きと、ユメの「父上……」という苦悩の呟きが入り混じった。
 だがこれにユーアンはいい考えを聞いたとばかりに手を打った。
「さすがですわ、小母様! 早速その手でいってみます!」
 嵐のように去りゆくユーアンを見送ると、母娘はなんとはなしに同じ部屋に戻り、温かいお茶を手に互いに向き合った。
 雪が、また降り始めていた。日も落ち、音と光がみるみる吸い込まれていく。
「どうしてあのようなことを……」
 焚きつけるようだった、とユメは非難めいた口調で呟いた。新しい茶の香りと温かさをひとしきり楽しみ、窓向こうに花を見て「綺麗に咲いたわねえ」と微笑んだ母は、やっと娘に向き直る。
「それはね、お前たちがもう三十を過ぎたからですよ」
「まだ結婚適齢期内ですが……」
「二十歳を過ぎれば現実が見えます。『いつまでも一緒に』なんて夢だったと気付くし、永遠がないこともわかる。次の世代へこの世を譲り渡す使命があるということも。……女の方が早く気付くでしょうね、なかなか子に恵まれないから」
 苦笑交じりの言葉は、自らの身勝手さを思い知らせる。
 あれは旅に出る前のこと。キヨツグの護衛官に、剣の師でもある年上の幼馴染み、オウギ・タカサが抜擢されたとき。
 タカサ家は、剣技や霊感めいた直感能力に長けた者が生まれることが多かった。タカサ家の当代当主とユメの祖父が師弟関係であったので、その繋がりでユメもタカサの剣術を学ぶ機会を得た。
 そのときの指導者がオウギだった。
 不思議な男だった。とんでもなく美しいのに、何にも執着しないような、風か影のような人物で、完全に気配を消していなくなることがあった。その上、美形だとわかるのに顔が思い出せない。思い出したところでぼんやりと淡いものになる。長らく付き合ってようやく、彼には何らかの特殊能力、あるいは神かそれに準じる者の加護があるのだと気付けた。
 しかしユメは、そう知りながら、オウギのことを好いていた。憧れだった。非の打ち所がない強さ。絶対で、揺るぎないもの。守りたいものを守り抜くことのできる意志。彼のようにありたい、と思っていた。
 そのオウギが、次期族長の護衛官になる。ならば私も、と思ったのは自然なことだったと思う。
『どうしてそんな虚しいことをするんです』
 なのに、カリヤはそう言って水を差した。
『あなたは決してオウギ・タカサにはなれないというのに、同じものを目指して、どうするつもりですか。模造品にでもなりたいんですか?』
 呆れたようなその言葉は、ユメに衝撃をもたらした。
 オウギのようになりたい、彼の道を後から追いかけていく、ずっとそういう人生を送ってきた。運命だとも思っていた。揺るぎない自己を手に入れられると思っていたのに、カリヤはそれを、馬鹿なことをしている、と断じたのだ。
『――あなたに何がわかるのですか?』
 あっさりと武官の道を捨てて。
 何を考えているかわからない顔でただ能率的に仕事をするだけの、あなたに。
 そう思ったことを、ユメは恥じた。怒りを灯したのは、カリヤの言葉がある種の真実であったからだ。オウギを目指してもオウギにはなれない。ならユメは、何になりたいか、何を手にしたいかを見つける必要がある。
『しばらく旅に出ます』
『逃げるのですね』
 顔を合わせづらいと思いながらも挨拶に立ち寄ったら、そんな風に言われて、思わず殴ってしまったのは仕方がないことだと思う。
『あなたは何をしたいんですか?』
 彼は最初から最後まで、ユメに厳しいことしか言わない。優しい嘘や慰めよりも、鋭く痛む真実ばかり。
 だからそれは、旅の空の下で、ユメの胸の中でずっと響いていたのだろう。
(私はずっと、強靭で揺るぎない、強くて気高い人間になりたかった)
 何故なら、それは――。
「夢を見られる年頃は過ぎたのよ、ユメ。お前たちはそろそろ、新たな自分を見つけなければね」

 ユメが出仕を再開する頃、リリスは本格的な冬に入っていた。シャド周辺は比較的温暖だが、雪雲が常に流れ、唸りを上げて巻き起こった風が天空を巡っていた。旅の最中では辛く感じたそれらも、屋根と寝床と食べ物がある思うだけで懐かしく思える。
 寒空の下、部下たちの稽古に立ち会っていると、ヨウ将軍が姿を現した。親しいと言っても彼の方が立場が上なので、稽古を止めさせ、粛々と迎える。
「そのままでいい。続けなさい」とヨウが言って、ユメに告げた。
「キヨツグ公子がお呼びだ」
 ここは任せろと送り出され、指定された部屋に行く。
 扉の向こうに声をかけると「入れ」と答えがあった。
 執務机についていた漆黒を持つ美丈夫が、座れ、と椅子を指す。静かに命令に従いながら、ぼんやりと、面変わりなさったな、と思った。上背が伸びたのもあるが、青年らしい若々しさよりも大人になり始めた尖りを感じる。平坦だったものが重みを増して威圧感を与えるようになった、という印象だ。
 キヨツグ・シェン。これでまだ二十代とは、とても信じられない。
 執務机を離れたキヨツグは、ユメの正面の椅子に腰を下ろし、間にある小卓に一枚の肖像画を置いた。描かれているのは男性だ。若木を思わせる線の細い青年だった。
「ルー家のファン。二十六歳。ルー家はわかるか」
 何の話か訝しく思いながら、染み付いた習性で答えていた。
「文人を排出する家系と聞き及んでおります。確かご子息が多く、長子は侍従次長を拝命していたと存じます」
「ファンはそのルー家の三男だ」
「左様でございましたか。不勉強ながら存じ上げませんでした」
「結婚する気はあるか」
 絶句した。
 何故、族長代理が一臣下の仲人を、と衝撃を受けていると、キヨツグはふっと力を抜いた。
「若輩者が、代理の分際で。謗りは如何様にも受ける」
 単刀直入すぎて困惑させたのを見て取ったようだ。ユメは焦って首を振る。
「い、いえ。そのようなことは、決して」
「味方を固めておきたい。一人でも多く信頼の置ける者が欲しい。このままではリリスは割れる」
 不支持派の声が大きい現状を変えるべく取った手段だということのようだ。
「恐れ多うございます。わたくし一人の力など、たかが知れておりますのに」
「一人を集めていけば多勢となる。ゆえに他にも斡旋している」
 命山の後ろ楯を持つ純血の人が、臣下たちの結婚相手を斡旋する。
 先ほどから驚かされてばかりいる。軽い目眩を起こしながら、ユメは恐る恐る問いかけた。
「た、たとえばどなたに……?」
「お前にわかりやすい例を挙げるなら、フェオ家とシン家」
 息を飲んだ。
「正しくは、いつ結婚してもよい、と許しを出した。シン家の希望だ」
 ユーアンと結婚させることでカリヤを引き込む。その策が有用なのは、シン家の方が格上だからだ。ああ、カリヤが笑って激怒する様が目に浮かぶ。キヨツグが族長代理でまだよかった、族長ならばそれは結婚しろという命令になるのだから。
 そしてキヨツグは淡々と結婚相手を勧める。
「ルー家はイン家との良き縁を望んでいる。お前はどうする?」
「ありがたいお話ではございますが、お断り申し上げてもよろしいでしょうか」
 深く考えるまでもなく答えたユメに返すキヨツグも冷静そのものだ。
「なにゆえに」
「わたくしは……」
 言いかけて、飲み込んだ。
 この思いを、まだ固めることができないでいた。変わることを恐れる自分がいた。そして、戻ってきたというのに自分がまだ何も成し得ていないことを、自覚した。
 新たな自分を見つけなくてはね、という母の言葉を思い出す。
 結婚が、そのきっかけになるやもしれない。けれど、ユメはまだ、未熟な殻を自ら脱ぎ捨てる機会を投げ捨てたくはない。
 まずは、己で動いてから。
「大変無礼なことは承知の上で、恐れながら、時間をいただきとうございます。わたくしには、勝負をしたい相手がおります。お返事は、その結果次第にしてはいただけぬでしょうか?」
「ほう」
 言葉とは裏腹に別段感心した様子もなく、キヨツグは「よかろう」と頷き、ユメの退出を許した。

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