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 ミリアの予約していた店は、大通りを一つ中に入った、隠れ家的な場所だった。順番を待つ女性グループを横目に、扉を開け、店員に先ほど電話したことを伝えると、スムーズに席に通された。こういうとき、予約って最高だ、と思う。
 広いフロアに点在するテーブルを通りすぎ、奥にある半個室に案内される。通路を挟んだ隣の席には先客がいて、こちらに気付いて目を上げた。
「……は?」
「……あ」
 しまった、見つかった。
 そんな子どもじみた狼狽え方を見せた彼女は、視線をさまよわせた挙げ句、へらり、と誤魔化し笑いをした。
 呆然としていたオリガのこめかみは、その瞬間、胡桃を握りつぶす筋肉男も負けるほど、びきっ、とひきつる。お愛想で張り付けた笑顔は、口角がぴくぴくと震えて、ひどい不出来だった。
「ちょっとオリガぁ、後ろ使えてるんだけどぉ」
 そこへミリアがひょっこり顔を覗かせ、みるみる目を丸くする。何故なら、そこにいるのは「絶対にここにいてはいけない人」で、続く彼女の行動も予測がついた。オリガが手を伸ばすも、どうやら間に合わない。店中の注目を集める大声が響き渡り。
「ああぁっ!? アマーリもごっ」
 ミリアの後ろにいたキャロルによって、その名が叫ばれるのはなんとか防ぎきることができた。ナイス、キャロル。

「…………」
「…………」
 気まずい。
 とりあえず注文したものが出てくるまで、なんとも言いがたい間ができる。キャロルはにこにこし、リュナは頼んだばかりだというのにメニューをじっくり眺め、ミリアはちらちらと隣席に隠せない好奇の視線をやり、オリガは逆に、あえてそちらを見ずに指でこつこつ机を叩いていた。
 隣の席に座るのは、アマーリエ。リリス族と結婚した元同級生で、いまもなお人々の話題となる「運命の恋」の当事者だ。
 別に、里帰りは構わない。都市は彼女の故郷だし、戻って来なければならない理由があるのだろうと思う。だが、生クリームとフルーツが山ほど乗ったケーキにかぶりつかんとする瞬間に会いたくはなかった。
「……ここで何をしてるわけ?」
「ええと……甘いものを食べようかと思って……」
「お抱えの料理人に作らせれば?」
 嫌味な言い方に、アマーリエは苦笑する。
「いつかこういうものも作ってもらえたらと思うけれど、いまはこのお店のケーキが食べたかったの」
 困ったように笑うだけでなく、柔らかに受け流す、大人びた術をいったいいつの間に身につけたのか。
 小作りの顔、長く伸ばした髪。少女のような澄んだ気配は変わらないのに、匂い立つような「女」の気配を鼻先に感じる。香水をつけているわけではなく、全身から滲み出るのだ。彼女は、オリガたちの知らないものを経て、別の人間になるように花開いている。
 そうしているうちに料理が来た。食べるという気でいたので、多少勢いは削がれたものの、ハンバーガーやパンケーキといった重めのメニューが並ぶ。膠着していた状況もフォークやスプーンを手にしたことでやっと動き出した。
 予約しなければなかなか入れないという店は、値段通りのちゃんとした味だった。リュナが「美味しーい」とにこにこしているので、多分美味しい方なのだろう。なんでも食べる彼女だが、馬鹿舌というわけではない。
 そんなリュナが、フォークをくわえながら、ちらちらと隣席に視線を投げる。
「なんかー……変わったよねえ、アマーリエ」
 言うのかそれを。
 なんでもない顔をしながらコーヒーをすすり、アマーリエの返答に耳をそばだてる。
「そうかな? 自分ではそんな気はしないんだけれど」
 いや、変わった。本人は気付かないかもしれないが、小首の傾げ方も、食事をする動作も、並みの大学生とは思えないほど洗練されている。元々行儀のいい子だったが、いまは目に見えてお上品というか、優雅そのもので、別の世界の人のようだ。
「変わったよ。ねー、ミリア?」
「え? あ、うん……」
 オリガたちもアマーリエも、その歯切れの悪い返答を訝しく思った。アマーリエと再会して、わあわあと興奮するかと思ったら、借りてきた猫のように身を小さくして気配を消そうとしている。視線を集めて、居心地悪そうに身じろぎする姿は、まるで恥ずかしがりの子どものようだ。
「こうしていると、大学帰りにお茶したことを思い出すわね」
 キャロルがゆったりと話題を変えた。アマーリエの表情も懐かしさに緩められる。そうして微笑んでいると、あの日から一年も経っていないのだ、ということを、驚きとともに実感する。
 今日の彼女は、オフホワイトの上品なワンピースに、踵のあるシルバーの靴を履いている。以前のように颯爽としたジーンズ姿でもなければ、新聞に出ていたような時代錯誤的な豪勢な衣装でもない。だから、あれらの出来事が映画かドラマか、もしかしたら夢だったのではないかと思えてしまう――もしかしたら、彼女はもうヒトではないのかもしれない、だなんて。
「でも、今日は一体どうしたの? アマーリエ、いまはそんな自由の身ではないのではない?」
 キャロルはいつも、相手の立場を尊重した巧い言い方をする。オリガの初手に怯んでしまったアマーリエも、この好奇心控えめな言葉には、正直な苦笑を浮かべた。
「そうなんだけど……色々とやらなくちゃいけないことがあって」
 政治絡みだな、とぴんと来たが、オリガも、もちろんキャロルも口にしなかった。おっとりと「身分があると大変ね」といたわっただけだが、空気に聡いアマーリエは彼女の気遣いに気付いたことだろう。
「具合はもういいの? ちゃんと食べてる? なんかすごい痩せたよねー?」
 一つ目のハンバーガーを平らげ、二つ目に取り掛かりながら、リュナが首を傾げると、アマーリエは眩しそうに目を細めた。
「ああ……うん、授乳のせいだと思う。これでも食べるようにしてるんだよ」
 そういえば、彼女はすでに一児の母なのだった。不思議な空気感はそのせいもあるのだろう。
「子育て、大変?」
「いまは、そんなに。一人で育てているわけじゃないから、ちゃんと休めてるし、一人の時間も作ってもらえてるよ」
「ご主人も協力してくれているのね」
 途端に、アマーリエは噎せた。
 キャロルがさっと差し出したナフキンで口を押さえて、苦しそうに咳き込む。
「ご、ごめん、ちょっとびっくりしちゃって……けほっ」
「いま驚くようなところあった?」
「いやあの、みんなの口から『ご主人』って単語が出たのが……」
 キャロルは不思議そうにしていたが、オリガにはなんとなくわかった。
 リュナが無邪気に笑う。
「あはは! なるほど、あの王子様みたいな人が自分の旦那さんなのかって、まだ戸惑っちゃうんだ!」
 まだ軽く噎せていたアマーリエは、次に真っ赤になった。忙しい。
 微笑ましいような、呆れたような目で見守っていると、リュナがうきうきと身を乗り出す。
「ねえねえ、旦那さん、優しい?」
「え?」
 オリガは、リュナから黒い尻尾が生えるのを見た。
「優しい?」
「え、ええと、……うん」
「どんな風に?」
「『どんな風に』!? その、えっと、……いつも気遣ってくれる……」
「好きだなあってどんなときに思う?」
「ええっ……!?」
 オリガは止めなかった。キャロルもそうだった。ミリアは耳をそばだてている。
 だって他人の恋バナほど面白いものはないからだ。
 こんなに赤面して狼狽えられると、突っつきがいがあるというものだ。
「どういうところが好きなの?」
「それは、あの……上手く言えない、けど……ほ、包容力、かな」
「愛されてるなあって思う?」
「それは、もちろん」
「嬉しい? 重いなあって思ったりしない?」
「それは……時々……本当に、ごく稀に、ちょっとだけ」
「そうなんだ! どんなときに?」
 リュナの相槌に同調して、オリガも「へえ?」と視線を向ける。
 それまで動揺していたアマーリエは、そのときのことを思い出したのか、悩ましげにため息をついた。
「普段政務の邪魔はしないように気を付けてるんだけど、そもそもちょっと部屋に近付いた時点でいきなりさらわれることが多くて……」
「さらわれる?」
「たまに私が直接話をしなくちゃならない案件が出てくるときなんて、もう」
 アマーリエは、疲れた様子で肩を落とした。
「執務を放り出して、私を抱っこするのにこだわって、部屋から出してくれなくなる」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 重症だ。
(これはバカップルというやつだわ)
 くらくらと目眩を覚えながら、つい口をつきそうなそれを飲み込む。いくつもの週刊誌やスポーツ新聞で面白おかしく書きたてられていたけれど、この方向は予想外だった。冷静沈着で、表情を滅多に変えない、美貌の異種族の長にまさか溺愛願望があったとは。あの顔で「理想の超旦那様」を地でいくのは、ちょっと、いやかなり、反則ではないだろうか。
 ふと気付くと、細い通路に人影があった。はっとオリガが腰を浮かした瞬間。
「……それは」
 とてつもない美声に、引き寄せられるようにアマーリエが顔を上げる。
「――こういうことを言うのか?」

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