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黒く艶やかな髪を長く伸ばしているキヨツグは、普段、とかした髪をそのまま肩に流している。それが日に日に伸びてきているのを見ていたアマーリエは、何気なく「邪魔じゃありませんか?」と聞いてみた。
折しも、木陰にある東屋には温い風が吹き込み、じわりと汗が滲む陽気だ。長い髪は暑いし、邪魔に思える。
緩く波打つ髪は何もせずとも、キヨツグに妙な色っぽさをまとわせて、どうにも真っ直ぐ見ることができない。すると、未だ触れることすらどきどきしてままならないこちらに気付いていないのか、彼はさらりと言った。
「……邪魔に見えるか。では、まとめてくれるか」
「えっ、私が……!?」
くるりとこちらを向いたキヨツグが、戦くアマーリエに視線を絡める。
「……お前以外の者に触らせると思うのか」
なお、この場合侍従や女官は除外される。彼らは仕事でキヨツグの身なりを整えるので「触る」に枠に入らない。これはアマーリエも同じだ。
キヨツグが差し出した髪紐を受け取ったものの、もたついてしまうのは、使い慣れた髪ゴムとはまったく異なるせいだ。ただの紐で髪を縛るのが、とても難しい。しかもアマーリエはさほど器用に髪をまとめられるわけではない。ひとつ結び、二つ結び、三つ編み、ハーフアップ、くらいのレパートリーだ。
一人っ子で、早くに両親が離婚したアマーリエは、他人の髪をいじるという経験がほとんどない。そういう学校生活とも縁がなかった。焦っていると、小さく笑われてしまう。それがまた恥ずかしくて、なかなか上手くいかない。
だから他人の髪を結ぶのは、照れくさい。それに、キヨツグの太い首筋が露わになっていて、どきどきする。指先に感じられる熱はいつもより熱くて、いつも自分を包んでくれる温もりを否応無しに思い出させた。
(……色っぽいなあ……)
後ろから見ると髪の長さのせいで女性っぽいが、首はしっかりとして、男性らしい色気がある。冬の風と枯れた草の匂いが、急に全身を取り巻いた気がして、アマーリエは息を飲み込んだ。
「…………」
「……エリカ?」
手を止めて固まったアマーリエを、キヨツグが振り返る。すると、まともに視線がぶつかってしまい、アマーリエは思わず手で顔を覆って、熱で眩んでしまった視界を元どおりにしようと必死に瞬きを繰り返した。
でも、戻らない。
キヨツグが身体の向きを変え、アマーリエに手を伸ばす。
「……今度は、どんな想像をした?」
「こここ今度って! いつも変な想像をしているわけじゃありませんっ」
真っ赤な顔で反論するも、頻繁に恥ずかしい思いをしているのは事実だった。どうしてこうも、どきどきしてしまうのだろう。欲深いから。独占欲が強いから。それとも、彼に恥ずかしげがないから? こうしたやりとりが普通なのかもわからないが、あまり人には言いたくないし、言えない、と思う。
「き、キヨツグ様って……」
「……私が」
そう、あなただ。いま私の心を捕らえて離さないあなた。
「わ……」
喉が絡み、本当に小さな、蚊の鳴くような声で告げた。
「私のものなんだな、って……」
その首も、髪も、黒い瞳も、骨ばった大きな手も。
私のものだと言っていいのかと考えて、胸が詰まって。そう言っても許されるのだと思うと、いっそう恥ずかしくて。
しかしこんな言い方はやはり相手の尊厳を無視しているように思える。キヨツグが反応しないので、アマーリエは身を縮こまらせて慌てて言った。
「ご、ごめんな、っ!?」
あ、落ちちゃう。
途端に唇を塞がれ、アマーリエはあっという間に押し寄せる感情の波に飲み込まれてしまったのだった。
初出:1109
改訂:111224
改訂版:200929
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