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目覚めたアマーリエは、卵入りのお粥と漬物、マッシュポテトを平たくまとめて甘辛いソースを絡めた芋団子という昼食を終えて、宣言通り、ユメを伴って医師の元を訪ねた。真夫人の登場に傷病者たちはにわかに沸いたが、看護人の女性が叱り飛ばしたので騒ぎにならずに済んだ。
診察室代わりの衝立の内側に入ると、医師が言った。
「真様に知っておいていただきたいことなのですが……」
彼が教えてくれたのは、長期的な治療を受けている兵士たちのことだった。ここで長く療養している者たちのほとんどは、モルグ族の陣地へ斥候に行ったのだという。偵察に赴いたもののなかなか戻ってこなかった彼らは、捜索に来た第二部隊に発見されたとき、正気を失っていたらしい。治療を受けたものの、数日間うわごとを言い続け、夜には悪夢を見て自傷行為に及ぶほどの状態だったそうだ。掻きむしった跡のある身体や爪の剥がれた手は痛々しいが、全員が快方に向かっているようだった。
「重症化していた患者はまだ天幕内で治療中ですが、気力が有り余っているので退屈だと言っていました。よろしければ見舞ってやってくださいませんか?」
「はい、私でよければ、喜んで」
そうして衝立の内側で、アマーリエは医師の指示に従って、看護人の女性に教わりながら患者の傷に薬を塗って、包帯を巻いていく。診療所の手伝いでやっていたことだから、落ち着いて手当てすることができた。
「きつくないですか?」
「はい。ちょうどいいです」
手当てを終えると、兵士は照れたように包帯を巻いた腕をさすりながらはにかんだ。見た目はアマーリエと同じくらいの若者だが、実年齢はわからない。この北部戦線にいるリリスたちは多くが若い見た目の持ち主なのは、体力的に充実していて戦うに適しているからなのかもしれない、と思う。
「この様子だと問題なさそうですね。それでは、後をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい。わからないことが出てきたらお呼びします」
アマーリエの返答に、看護人はにこりとした。この天幕で看護を一手に引き受けているからか、動作も発声もきびきびしている。肝っ玉かあさん、という感じだ。彼女はその場をアマーリエに任せ、入院中の患者の元へ向かった。
次にやってきた兵士は、腕に裂傷を負っていた。治りかけた傷を確認した医師は、安堵したように大きく頷く。
「うん、順調ですね。睡眠は取れていますか?」
「はい。以前のような悪夢はほとんど見なくなりました」
どうやら彼もまた、重体だった斥候の一人だったらしい。装備を身につけて診察に来るのだから、状態は良好なのだろう。治療を終えて去っていく表情は穏やかだ。
その他にも、腹痛や頭痛、歯痛といった愁訴に対応して、患者が途切れた。アマーリエは医師の許可をもらって、入院中の患者たちのところに顔を出すことにした。
療養のための天幕からは賑やかな声がしていた。見回りが終わった看護人と患者たちが雑談に興じていたようだ。アマーリエが現れると、途端にぴたりと話を止める。
「お邪魔してすみません。ああ、私のことは気にしないで、お話を続けてください」
慌てて手を振ったが誰かが言った「いや、そういうわけには……」がその場にいる人たちの総意だったようだ。少々申し訳ない気がしつつも、近いベッドから順に声をかけていく。
「こんにちは。具合はいかがですか?」
「おかげさまで、元気です」
そう言って笑ってくれる兵士は、足を包帯でぐるぐる巻いている。添え木が見えるから、骨折の治療中のようだ。
寒くはないか、暖かくして養生してほしい、といったことを告げ、順々にベッドを巡っていく。中には全身を包帯で覆われている患者や、熱が高いせいで朦朧としていたり、痛みを訴えて呻いていたりする人がいて、話したいという雰囲気が感じられなければ、身体を大事にするよう伝えて無理をさせないように気を付ける。
一回りする頃にはみんな慣れて、特に元気が有り余っている患者は、アマーリエを輪に引き入れようと、隠し持っていたお菓子を差し出したり、お茶を用意するよう看護人に言って「私は看護人であって女中じゃありません」と叱られたりしていた。
「……真様は、ヒト族なのですよね?」
風邪が重症化して発声しにくくなってしまったという兵士に、アマーリエは微笑んだ。
「はい。みんな身長で見分けるそうですよ。一列に並べば、私だけ背が低いからヒト族だってすぐわかるんだそうです」
それを聞いた患者たちはどっと笑った。
「確かに、ここにいるとひときわ小柄でいらっしゃる」
「あれ? 陣に子どもがいるぞ? ってね」
「真様が小さいわけではなくて、私たちが大きいんですよね」
同じ人間ではあるけれど、ヒト族と、長身で頑健、長寿であり、見目麗しい顔立ちばかりのリリス族の違いはこうしていると明らかだった。アマーリエはここでは子どもくらいの背丈しかなく、どうしても目立つ。もちろん容姿も、リリスにいると誰も彼も整った顔立ちなので麻痺してきてしまうけれど、自身が浮いていないかどうか心配になることはいまもある。
一方、モルグ族はヒト族とよく似ていると聞く。衣服は独特らしいが、見た目は多種多様で、リリス族のように黒い髪と瞳の持ち主が多いということもないらしい。
アマーリエのように、ヒト族の子どもたちは、初等教育で種の起源について学ぶ機会がある。ヒト族、リリス族、モルグ族の三種族は、元々同じ人間種を始まりとしていて、それぞれの環境に適した姿や能力を有するようになった、と言われている。細分化していくと、ほとんど名前を知られていない、ごく少数の異種族も存在しているが、リリス族とモルグ族の領地に居住していて、ヒト族と接することは稀だ。リリス族では、それら小単位の種族を氏族の一部として扱っている。
だから、よほど特殊な進化を経た生き物でなければ、人類間で婚姻は可能なのだ。けれど大人たちの言葉は、しかしその可能性はゼロに等しい、と続く。そのせいで、アマーリエは未だ、リリスにいることが不思議に感じられてしまうのだ。
(それでも、みんなが受け入れてくれるのは、私が『真夫人』だから)
その役目を果たす限り、自分が守られるということは、身に染みて理解している。
笑ったせいで咳き込んだ患者に、水を注いだ器を渡して、背中をさすりながら「大丈夫ですか?」と声をかける。
「ありがとうございます。お手を煩わせて申し訳ありません」
「いいえ。無理しないでくださいね」
アマーリエが微笑むと「羨ましいぞ!」「俺にも水を!」と叫ぶ者が現れ、「こら!」と看護人に一喝され、また笑い声が上がった。
「真様って、確か以前、姫将軍と試合をなさいましたよね?」
笑い声が残る中、一人が何気なく口にした言葉に、アマーリエはかーっと顔を赤くした。それはリオンが王宮に戻ってきて、無謀にも勝負を挑んだあのときのことだった。
「よく覚えてますね……というか、もう、もう忘れてください……」
あれは本当にひどかった。一方的に敵視して、勝ち目のない戦いを吹っかけて、結局一方的に打ちのめされた。リオンもよく勝負を受けたものだが、アマーリエもあのときの自分を、恥ずかしげもなくよくできたものだと思う。
恥じ入るアマーリエを、柔らかな笑い声が包み込む。
「でもあのとき、俺はこの人が真様でよかったなあと思ったんですよ。リオン将軍に勝負を挑むなんて、俺たちでも足が竦むのに、怯まずに挑んで。かっこよくて、リリス族じゃないのにすごいと思いました」
にこにこと一人の兵士が告げ、その場はしんと静まり返った。彼は失態を犯したと思ったらしく、慌てた様子で頭を下げる。
「もっ、申し訳ありません! 無礼なことを言いました……」
「い、いえ……!」
アマーリエも焦った。決して不快になったわけではないのだが、胸がいっぱいになってしまって言葉が見つからない。あんな無謀を、そんな風に受け止めてくれた人がいたのだと思って。
「お前……恥ずかしいやつだなあ」
呆れたように別の患者が言って、どっと笑い声が弾けた。けれどそのおかげでおかしな空気にならずに済み、アマーリエも笑うことができた。そして、言わなければならなかった言葉が自然と溢れ出た。
「ありがとうございます。そう感じてもらえて、嬉しかったです」
言った後に、照れてしまった。まるで告白されたみたいだと思ったからだ。
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