11. 密談
「そなたたちは私に何を与えられるのだ?」
傲慢さを滲ませた問いを彼は口にした。何もかもが思い通りになる、そうなるように動かしてきた王者の言葉と思えば納得されるかもしれない。
多くの者と問答を繰り返して、ようやく巡り会った娘は言ったのだ。
「わたくしは、あの天に輝く月を差し上げます」
天へ向かって差し伸べられた手の先に月がある。
それは黄金の夢だ。
真夜中、中天に昇った黄金の月に銀の星。この世の誰かの夢の中でもそれらは輝き続けるのだろう。少しずつ巡り変わる夜と夢は、それ故にこの時の永遠を強く焼き付けようとする。
この娘の名を知っている。彼は確かに思う。だが呼び掛けるべきその音が見つからない。頭の芯が痺れるような甘さを覚えているのに、声は音を紡げない。喉はただ熱く、息を吐き出すばかり。
もどかしくなって彼は手を伸ばした。その娘の滑らかな色の肌に指先が触れようとする刹那――
目覚める時に目覚める、ただ一瞬目を閉じていただけのようなはっきりとした意識を持ってカリス・ルークは目覚めた。
しんとした執務室。もうすぐ気温が上がる午前と午後の境目。机の上に肘を置いて少し眠っていたようだ。
(……溶けた)
夢の娘の話だ。触れようとすると揺らいで消えた。
顔も思い出せないし声も分からない。なのに指先が少し熱い。
あれは誰なのか、ウィリアムなら夢占いをしてくれるかもしれない。彼ならば、カリス・ルークが追い求めている理想の女性だろうとかお前自身の女性形かもしれないぞとか、面白い考察をしてくれそうだ。
そんなことを考えているのは逃避だからで、色々と政務で鬱憤が溜まっているのだった。目を通さなければならない書類が山積みで、やらなければならないことも積み上がって、じわじわと足を止められている気分になる。周りはめまぐるしく動くのに自分はここから動けないというもどかしさ。
軽く息を吐くと窓を開けに行った。
風に乗って聞こえてきたのは、賛辞と罵倒の言葉。見下ろすと庭に数人がたむろしていた。
「何故我々が異人の血を引く者を王と讃えねばならんのか」
「ナリアエルカのものは、ナリアエルカ人のものと思われませんか」
カリス・ルークは聴力に自信があった。彼らもまた声を抑えようとも思っていないので、その会話は筒抜けだ。じっくり聞いてやろうではないかと、椅子を持ってきて、侍従が見たら大目玉を食らうかもしれない後ろ座りで腰を据える。
「我々の王はただひとりだ。いつだってそれは理で決められている。あなた方もご存じでしょう?」
中心にいる背の高い男は、そう言って取り巻く者たちに意味ありげな微笑みを投げ掛け、さあ仕事をと皆を誘う。追従する取り巻きたちは親しさと媚びへつらいの中間の様子を見せながら去っていった。
やれやれとため息をつくと。
「カリス・ルーク」
ウィリアムがいつの間にか現れていた。カリス・ルークは苦笑した。
「ラグ・シュアだ。ぞろぞろ取り巻きを連れて」
「シュン族の官吏は多いからな。それに、最も王座に近かった者たちだ」
そこにいるのが当然だとお互いに思っているので驚きはしない。
カリス・ルークはウィリアムの言葉に含まれた意味を受け取って、代わりに書類を手渡した。
「ご苦労」
書類の枚数を確認して、ウィリアムは呼んだ部下にそれを引き取らせる。仕事の合間の雑談としてカリス・ルークは何気なく言ってみた。
「ヤーは?」
「いや」
ウィリアムの答えは簡潔で、けれど二人には通じ合う短い暗号だった。
「ルーはどうだ。サイは」
「ルーは全く。サイは少し」
「シュンは」
「同じく、少し」
「ではマージは?」
「大きく」
カリス・ルークは顔をしかめた。
「シュンでもサイでもなく、マージが?」
「マージは商人一族だ。最もだな」
ウィリアムは答え、後宮のある方角へ何事かを思って目を細めた。
「マージの娘を呼んだのは正解だったかもしれないな」
「…………」
カリス・ルークは思い浮かべる。あの穏やかであることが一番の長所であるような娘。おどおどした様子。何があの娘を捕らえているのだろうと、そんな疑問が浮かんだ。
だがそれ以上考えることはしなかった。あの娘は呼んだだけ。守る義務のために呼んだだけなのだ。それが終われば繋がりは消える。脆いものだがそれが一番良いだろうと、何故かあの娘を思って感じているのは、カリス・ルーク自身気付いていない。
「カリス・ルーク?」
口を閉じたカリス・ルークにウィリアムが呼び掛ける。何でもないと微笑んで、策士の大臣に問うた。
「サイとシュアとマージ、誰か最初に仕掛けるか。お前は誰だと思う?」
ウィリアムは注意深く、だが酷薄にうっすらと笑みを浮かべて言った。
「一番素知らぬ顔をしている奴」