27. 捕縛
オルハ・サイに呼ばれた。お茶を飲まないかという。
リワム・リラは化粧をし、衣装を整え、髪にシアルーの花を飾って行った。オルハ・サイはいつものように、レースをふんだんに使った異国の衣装で出迎えてくれた。
「キール・シェムからお酒をもらったの。いっしょに飲もうと思って」
机の上にはつまむものが用意され、もう杯に紅い酒が注がれている。異国のお酒なのと彼女は言う。数年もので高価。キール・シェムがくれたのともう一度言って。
「とってもおいしいのよ。ほら、飲みましょう」
取り上げた杯と、リワム・リラの杯を打ち鳴らして、彼女はどこか不自然なほど明るく杯を仰ぐ。
リワム・リラは葡萄酒を見つめた。わずかに揺らめく表面に、きらきらと日の光が注いでいる。綺麗な色だった。
「リワム・リラ? 飲んでちょうだい。せっかくのお酒なのよ?」
「でも、私、お酒はあんまり……」
「なあに、そういうことは早く言ってくれなきゃ。……せっかく用意したのに!」
聞き逃せなかった。オルハ・サイの口調にわずかに滲んだ苛立ち。例えそれがリワム・リラに苛立ったのだとしても、今のリワム・リラにはどうしても、飲んでもらわなければ困るという声に聞こえてしまった。
疑いが心を取り巻いている。確かめるか、見ないふりをするか。どちらかを選べと言われれば、昔の自分とは違って、今の自分にはこちらしか選べない。
リワム・リラはぐっと唇を結ぶと、髪に挿していたシアルーの花を酒に浸した。
一瞬空を泳いだ花は落ちた水面に波紋を描く。それが、みるみる色を変える。じわりと染みるように、赤から青紫へ。
「……何を、入れたの?」
「え?」
杯を突き出して、リワム・リラは泣きそうになりながら言った。
「この花は、シアに、ナリアエルカの一般的な毒に反応する花よ。シアに触れると色が赤から青紫に変わる。これは一体どういうこと?」
「…………」
杯の中に浮かぶ花びらを、オルハ・サイは感情のない目で見つめている。
「親御さんに頼んで手に入れたのね」
すると、彼女ははくすくすと笑い始めた。
「もう、いったい何を言うのかと思えば! どんな物語を読んだの? 教えてちょうだい」
リワム・リラは首を振った。唇を噛み締めて、きつく目を閉じる。
「毒は……毒は、宝石の裏にはめ込んで運んでいたのね」
外れやすかった宝石。ついた白い粉。オルハ・サイの物だと言ってわずかな疑いを持って首飾りを渡すと、ウィリアムはそれを鑑定に回した。結果を聞いて言葉を失った。白い粉は、シアの粉末。人を害す毒だった。
信じていた。優しい人だと、友人だと思った。
リワム・リラはオルハ・サイを見る。嘘だと言って、と目で縋る。
彼女は顔色を変えてぶるぶると震えていたが、やがてそのまま笑い出した。
「は、あははははは! あはははははっ!」
どうしてもおかしくてたまらないという、追いつめられた者の笑い声だった。
声を聞きつけて、ウィリアムを先頭に兵士たちが入ってくる。怯えたような女官たちの動きを封じ、オルハ・サイを縛り上げる。
後ろ手に縛られながら、オルハ・サイは笑い続けていた。
「よく分かったわね、とろくさい女だと思ったのに!」
くつくつと笑う、歪んだ声はリワム・リラの胸に突き刺さる。
「さっさと消すか、わたしの引き立て役にするか、決めて動かなかったのが悪かったのね」
「お前は何をした」
ウィリアムが詰問すると、今度は歪みはそのまま、うっとりした声になった。
「部屋の前のいやがらせを何度か。すべてわたしではありません。お茶に薬を入れましたが、わたしの分まで入っていたので別の何者かが仕掛けたのです。薬といつわって女官にはシアを混ぜたものを渡しました。街であなたさまと一緒にいたその娘を襲わせたのはわたし。中傷の落書きなども、わたしですわ!」
それだけかという問いに、そうですわと穏やかに微笑む。
「わたしが王妃になるはずだったのに」
一転して、憎悪に燃える恐ろしい表情に変わる。
「わたしが王妃なのに! 覇王に愛され、覇王の子を産んで、次の覇王の母になるはずだったのに!」
そしてリワム・リラにその目を向けた。
「お前が王妃になるなど、おぞましい。あいの子が!」
見ていられなかった。
「呪われた女が! お前が王の心を手に入れようとするから!」
まるでそれまでのオルハ・サイとは違った。口調も、声の低さも、言葉遣いも、憎々しげな表情もそれを向けていることも。
「魔女エーリアの娘!」
思いがけない言葉に、リワム・リラは刺されたように喘いだ。彼女はそれを見逃さなかった。痛めつける武器が見つかったかのように、甘い声で囁く。
「知っているわけがないから教えてあげる」
「何を言う、止めろ!」
「ナリク・ルークの没した戦いに、お前の母がいたのよ。ナリク・ルークと戦った軍に、お前の母がいた!」
次の瞬間、時が止まった。
「お前の母はナリク・ルークを殺した! 仇であるお前に、カリス・ルークが思いを寄せるはずがないわよ!」
あははは、と笑い声が響き出し、リワム・リラはその声に呑まれて立ち尽くしていた。
「あ、……」
閃く。赤い色。
「あ、あ……」
ずっと忘れていなかった、深い場所に沈めていたものが、ゆるゆるとよみがえってくる。
戦場の光景。
赤い砂の風。血の色に染まる大地に、命を絶つという強い殺意。金の瞳、魔人の守護があると叫ぶ人々は、殺す相手の魂までを呪おうとした。乾いた砂の味、錆びた鉄のにおい。心を蝕む、そのえぐみ。
逆らえなかった。ただ言うしかなかった。
『呪われよ! 災いあれ!』
言ったのはエーリアか。リワム・リラか。
オルハ・サイが塞ごうとする手を逃れて、ただただ叫んでいる。
「わたしは悪くない! わたしは悪くない! ただカリス・ルーク様を愛しているだけ!」
リワム・リラは、ウィリアムを見た。
見ようとした。
しかし自分は魔女の娘だった。人を呪ってきた魔女の一人だった。
見ることができなかった。
「…………っ!」
リワム・リラは耐えきれなくて逃げ出す。飛び出した部屋から声が追ってきた。
「わたしのものなのに! わたしが王の寵愛を得て次の覇王を産むのに!」
ウィリアムは追いかけることが出来なかった。確認する役目がある。ただひとつ良かったと言えるのは、彼女がここにいないことだった。いらぬ言葉を耳に入れれば、きっと更に傷付くことになるだろう。
「カリス・ルーク様……」
「お前にその名を呼ぶ資格はない」
鋭く言えば、オルハ・サイは唇を震わせて項垂れた。その首元を、兵士に命じて探らせる。
「念の為だ。確かめろ」
首にかかる首飾りの金鎖が手繰られる。出てきたのは、ただのロケットペンダントだった。
「あの紋章ではない……」
ウィリアムは呟いた。
狩りの時の矢のことを、毒蛇のことを、オルハ・サイは供述していない。
「やはりまだ終わっていないのか……」