28. 傷と嘘
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 大まかな処遇を指示した足で彼女の部屋へ向かう。部屋に入る前にすでに最初で最大である壁が立ちふさがっていた。
「申し訳ありませんが、本日はお引き取りくださいませ」
 リワム・リラ付き女官の長、ナーノ・シイは、ウィリアムに向かってわずかに非難を込めて言った。ウィリアムは軽くため息をついて、ナーノ・シイを見る。それは言われても退かぬという意思を軽くぶつけたもので、初老の小柄な女官はそれを受け止めて目を細めた。
「リワム・リラ様をお慰めできればよいのですが、あなた様はそれが出来ないとわたくしめは存じておりますゆえ」
「それでも言わねばならぬことがある」
 睨み合いが続く。
 すると、すすり上げるような声が聞こえてきた。
 誰が泣いているのかすぐに分かり、一瞬思考が飛ぶ。胸に沸き上がった思いと決意に拳を握り、ウィリアムはナーノ・シイを押しのけた。
 椅子のクッションに埋もれるように顔を埋め、リワム・リラは肩を震わせている。あまりにも小さく、傷ついていた。
「リワム・リラ」
 すすり泣きが一瞬止まる。すると震える泣き声で「申し訳ありません、今は……」と会いたくない意思を告げてくる。
 側にいてやりたい。目の前の娘はあまりにも儚く、消えてしまいそうだった。
 なのに自分がいては不幸になる。こうして泣かせてしまう。消えてしまいそうにしてしまう。
 本当に消えてしまうかもしれない。きつく目を閉じた。『登場人物』ではないというエスカの言葉がよみがえって胸を襲う。
 彼女は儚い夢幻。それでも。
『それだけは絶対、揺るぎない真実なんです』
 ウィリアムは、言う。
「リワム・リラ。お前は城を下がりなさい」
 ばっと顔が上がって振り向いた。涙で濡れた頬が驚きに青ざめる。
「……どうして……」
「辛かったろう。もういい」
「いいえ……いいえ! どうしてですか! 私、何か失態を……」
 覚えがありすぎる、という顔をリワム・リラはした。ウィリアムは穏やかに告げる。首を振り、咎はないと示して。
「理由は、お前には関わりのないことだ。お前はただ巻き込まれただけ。そのために辛い思いをして、こうして泣いている。私はそれが許せない」
 例え、『本物の登場人物』ではなくても、辿っている歴史にはなくても。彼女の傷つく姿は。
「どうして……」
 そんな曖昧な言葉では分からない。それは分かっている。けれどこれはカリス・ルークのそしてウィリアムの、ナリアエルカの中枢の問題なのだ。
 王妃を決めるということから始まった、虫のいぶりだし。それも明日辺りには決着が着く。
「黙って出て行けと、そう仰るのですか」
 わずかに唇を噛みながら頷くと、リワム・リラの顔が絶望に染まった。罪悪を覚えた瞬間、いっそうの罪深さを感じることになった。
「私が、【魔女エーリア】の娘だからですか?」
 驚きで止まっていた涙が、彼女の光を失っていく瞳からひとつ、こぼれ落ちた。
「見ただけで人を呪い殺す魔人の瞳の娘だから……戦場で人を呪っていたから……人殺しだから」
「それは」
 今更何を言うんだと、落ち着かせるために近付こうとしたが、その時のリワム・リラの表情に、ウィリアムは動きを止められた。
 泣き出しそうになりながら笑っていた。もう仕方のないことだと、そうして思い知ってきた傷だらけの表情だった。嘘の笑顔。傷と痛みを隠して。感情を押し殺した。そんな顔をさせているのは誰だ。他ならぬ自分だ。
 目の前の花がゆっくりと閉じる。頑なに殻に閉じこもる。
 本音を告げたらどんなにいいだろうと思った。だがそうしては自分たちが積み上げてきた無茶苦茶な計画に彼女を関わらせることになってしまう。一方で、これでいいのだと思う自分もいた。これで、もう、彼女はなにものにも傷つかないだろう。
 それでもその顔を見るのはひどく辛い。すぐに背を向けた。含まれた意味を偽って、嘘を言う。
「早ければ早いほど良い。荷造りを始めて、城を下がれ」
 それだけ言うと振り返りもせず部屋を出る。ナーノ・シイの非難の目を、正面から受け止めた。一度頭を垂れてから、部屋を後にする。
 廊下に出て、立ち止まる。そして、柱に拳を叩き付けた。
 鈍い音が、さわやかな緑の音に消えていく。痛みや熱さはそれでも消えない。
 もうすぐ大きな事を起こす。それにこれ以上、リワム・リラを巻き込むわけにはいかないのだ。
『それだけは絶対、揺るぎない真実なんです』
 失くすわけには、いかない。
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