29. 襲撃
誰にも知られず溜まっていく。
それは澱。または思い。
憎しみ、不満、憤り。破裂しまき散らされて、害をなすのは時間の問題だったのだ。
「そういえば、聞いたか。王妃候補たち、解散させるらしい」
へえという声が若い兵士から上がる。上層部の秘密のように行われている、後宮の王妃船選抜のことはよく噂になっていた。意味不明な中傷の紙片が撒かれ、大臣ウィリアム・リークッドと王妃候補一人の仲が囁かれたが、当の大臣殿は淡々と忠実に役目をこなすだけで、下賎な噂をあの冷ややかな目で潰していったようだった。覇王も特に気にしていないらしい、と言えるのは彼らが執務室付きの警備兵だからだ。大臣殿がいつものように部屋に入って覇王と何事か話している気配があった。まさか三角関係の言い合いではあるまい。
若い兵士はのんびりと後宮の方を見やった。
「へえ。カリス・ルーク様は王妃をお決めになったんだ」
候補たちがどんな人間なのか、全く知らない彼らだった。候補たちのことは必要以上に情報を遮断されて、城の中にいるかすら分からない。一度、狩猟の会で外に皆で揃ったというが、その時同行した者たちは美しかったぞと言うばかりで参考にならなかった。まあ、恐らく、一点を目指している候補たちに言い寄っても、相手は眼中にないのだから体よくあしらわれるだけだろうと踏んでいたのだろうが。
ふと、それまで会話に参加せずに黙ってついてきている新入りが気になった。
「なあ、新入り。候補たちの顔を見たことあるか?」
大人しい若者は、静かに苦笑を浮かべた。
「先輩が見たことがないのに、私が見たことがあるわけないでしょう?」
先輩兵士たち二人はそれもそうだなと笑って、王の執務室に続く部屋に入った。
新入りはふと、その前で足を止める。懐から筒状の物を取り出す。
「――さあ、こちらから始めようか」
暗く密かに笑い、それに火をつけた。
(あ? そういえば……)
交代しようとその手続きをしている時、思い出した。あの新入りは、狩猟の会に同行したのではなかったか。
「おい、新入り……」
そうしてそれを見た。じりじりと線を燃やして筒に近付き始めるそれは。
「――!!!」
閃光。
膨大な熱が膨れ上がり炎となって押し寄せる。
爆発。
――!!!!!
爆音を立てて、カリス・ルークの執務室が吹き飛び、建物が炎を吹き上げた。
理由も告げられずに城を下がれと言われた。しかしいくらでも理由は思いついた。理由は、リワム・リラについた名前に比例する。魔女の娘。魔人の瞳の娘。呪われた娘。死を呼ぶ娘。
胸を覆う悲しみに、止まらない涙に溺れた。誰も寄せ付けずにただ泣いた。
思い出すのは言葉をくれたあの人で、笑っていた自分がひどく懐かしい。
しかし、生まれて育った心は消えようとしている。
もうどこにも行けない心が、悲しかった。
その時だった。地面が揺れる巨大な音が響き渡ったのは。
「な、なに……?」
涙に濡れた顔を上げてリワム・リラは不安に襲われて女官を呼んだ。
「今のは……?」
「なんでしょうか……見に行ってきます」
何か、とても大きな音がした。地面を揺るがす、何かが爆発したような。
悪い方に考えてしまうのを、首を振ってかき消そうと努力する。多分、隣の部屋で棚を倒したとか、そういうものだろう、きっと。
しかし、女官は血相を変えて戻ってきたのを見た瞬間、リワム・リラの顔も青ざめた。
「大変です、王宮が、爆破されてっ!」
女官たちが次々に飛び込んでくる。
「王の、執務室の辺りだそうです!」
執務室。カリス・ルークの場所。そして。
(……ウィリアム様……)
目の前が点滅して視界がひっくり返る。貧血を起こしたのだということは、女官に支えられて気付いた。
「リワム・リラ様……!」
年若い女官たちは涙目だ。
これは、武力による反乱が起こったのだ。ここも無事ではすまない。
「リワム・リラ様!」
飛び込んできたのは女官頭のナーノ・シイだった。
「避難いたします! こちらへ!」
リワム・リラは青い顔をしながら頷き、泣く女官を支えた。
しかし、何故彼女たちは泣いているのだろう。ぼんやりとした思考が疑問符を浮かべる。ナーノ・シイまで唇を噛み締めている。他の女官たちは何度もリワム・リラの様子を気にかけて、皆、後宮から女官や使用人が使う道を走っている。ナーノ・シイは秘密の道を使おうとしているようだが、後宮と別棟をつなぐ廊下を通らねばならないらしく、皆で周囲に気を配っていた。
辺りを窺いながら、慎重に女官が最初に飛び出した。だが次の瞬間。
――!!
カッと何かが光ったと思った、と同時に廊下が爆発していた。爆音は大きすぎて聞こえなかったのだ。
爆発に巻き込まれた女官はぐったりと床に横たわっており、左半身が血に染まっていた。同僚の女官たちが抱き起こして無事を確かめている中で、ばたばたと足音が聞こえてくる。もうもうと巻き起こる煙の中から姿を現したのは、黒い覆面の者たち。その手には血に濡れた抜き身の剣。
二人の反乱者はリワム・リラたちを一瞥すると一言命令した。
「戻れ」
怯えて誰も動けない。
「さっさと戻れ!」
女官たちが傷ついた仲間を抱えて戻り始める。剣を突きつけながら、反乱者たちは道を示した。向かったのは後宮の広間だった。
男が入れないはずの後宮の内部を、何故こいつらが知っているのだろう。
広間に向かうと、そこにはキール・シェムと女官が共にいた。彼女たちは最初に捕まったらしく、見張りの前で大人しくしている。キール・シェムは落ち着いた目をして怯えた様子なく座っていた。
「ここで大人しくしていろ」
「待って!」
リワム・リラは呼び止めた。振り返った覆面から覗く眼光は鋭い。息を呑んだ後、慎重に言った。
「彼女の手当てをさせなさい」
傷だらけの女官は横たえられていても苦しげだった。反乱者は考えている様子だったが、もう一人を顎で示して「道具を持ってこい。こいつがついていく」と告げた。
女官が一人手当ての道具を取りにいくのと入れ替わり、アン・ヤーとナラ・ルーが連れられてきた。怯えた彼女たちは中央に集められる。女官が戻ってきて、傷ついた女官の手当てを始めた。彼女はやけどがひどく、爆破された時の破片の傷で血まみれだった。しかし爆発の影響が思ったよりもなくてほっとする。
「頑張って」
手を握って言った。
「お前たちの目的は何?」
キール・シェムが訊く。物怖じしない様子で堂々としていた。それに好感を持ったのか、反乱者は同じ位置に対するように、まっすぐに言った。
「正しい者に玉座を。ナリアエルカは、ナリアエルカ人の者だ」
ナリアエルカ人が、ナリアエルカを救った者に仇をなす。恐れていたことが起こったのだ。
唇を噛み締め、リワム・リラは二人を強く呼んだ。
(ウィリアム様、カリス・ルーク様……!)
きつく閉じた目から涙が滲んだ。