3. 金の瞳の娘
とろりとした黄色い光を太陽が投げかける午後。海を渡ってきたという樹々が植えられた庭を望める二階のある部屋で、異母姉ミル・シーは上品なため息をついた。
「カリス・ルーク様に送った肖像画を送り返されてしまったの」
姉の言葉に彼女は飛び上がった。甘い茶を飲み菓子をつまんでいた姉の友人たちも手を止めて口々に言い出した。
「ミル・シー様も? わたくしもですわ!」
「まあ、わたくしも!」
ミル・シーは儚げに微笑み頬に手を添えて憂う。
「腕の良い画家にお願いしたのよ。とても良く描けていたの。フィルラインのドレスを着て、流行りだと念を押されたから肌を白くしたのだけれど……」
長い睫毛を伏せる姉は美しかった。黒髪は波打って頬にかかり、黒いはすぐに涙を零してしまいそうなほど大きい。女性らしい体付きだが無闇に露出するようなことはなく、金粉をまぶしたようなチョコレート色の肌には緑で統一した衣装がとてもよく似合っていた。
「わたくしもそうでしたのよ。わたくしの場合は、今着ている物よりも少々高価なエラルシィアのドレスでしたけれど」
そう自分のドレスの話を始める姉の友人もそれぞれ美しい人たちだった。派手に刺繍したナリアエルカの衣装を着ている人もいれば、さきほど一人が言ったようなエラルシィア大陸などの腰を締め上げる衣装を着ている人もいた。おしゃれに髪を結い上げて異国風の髪飾りでまとめている人もいる。
この中にいるとどうしても息苦しくて仕方がなかった。年上の大人びた人たちであること、周りが美しい人たちだということ、結局何よりも見た目が違うことが怯えにも似た気後れを感じさせていた。虹色の鳥たちの中に真っ黒い鳥が入り込んでいるような違和感。小柄で骨に皮だけのような細い自分は、女性らしい肉体を持ってふさわしい衣装をまとい化粧をしてその美しさを強調させている彼女たちのようにはどうしてもなれない。
「白い肌の絵を送り返しているという噂がございますわよ。黒い髪黒い瞳、黒い肌の絵だけを選別しているとか」
一人の娘が息を潜めて言うと、美しい娘たちはそれぞれに悲嘆のため息をついた。
「では」
くっきりとした楽しげな声は姉のもの。
「リワム・リラはカリス・ルーク様にお会いできるかもしれないのね」
ぎょっとして、顔色が変わるのが自分でも分かった。全員の視線が向けられ、慌てて目を伏せて縮こまる。そうすれば消えてしまえると思えるくらいに。
姉の友人たちは顔を見合わせ、口元を覆って密やかに笑った。
「でも、ねえ? ミル・シー様。リワム・リラ様はほら……」
『呪われた金目の娘だから』
含まれた言葉を瞬時に悟り冷水を浴びせかけられたように全身が冷たくなる。同時に自分の顔に熱が昇るのを感じた。このまま消えてしまいたいと肩を小さくして思った。
人の魂を奪うと伝承で語られる魔人の瞳と同じ色の、金の瞳を持っているのは事実だ。人を殺せなどしないのに誰もが呪わしいと思って悪意を持って囁く。目を合わせてくれず遠ざけられる。本当に笑いかけてくれなど、しない。
「目が綺麗な金色だから、もしかしたらと思わなくて?」
はっと顔を上げた。ミル・シーは何の裏もなく皆に笑いかけるので、娘たちは困ったように目を見交わす。ええ、まあ、などと断片的な言葉を発して、無邪気さに何とも言い難い様子だ。だがそれがリワム・リラにとって何よりも安堵する姉の姿だった。
(お姉様だけ。お姉様だけが……)
場が澱んで不自然な沈黙が満ちる。このままではいけないとリワム・リラは考え、愛想笑いして立ち上がった。もう身体を扉の方に向けて。
「あの、お姉様? 申し訳ありません、退室をお許し頂けますか? 用を思い出しましたので……」
それ以上周りにミル・シーへの違和感を抱かせてはいけない。違和感はいずれ敵意に変わるかもしれない。自分がいるのがそもそも悪いのだ。時間も適当に過ぎたことだしそろそろ引き際。姉の課したお茶会はいつもお茶の一杯としばらくの時間で終わることにしていた。
「まあ、そうだったの? そういうことは早く言いなさいな。早くお行きなさい。ああ、片付けはいいから」
自分のことのように慌てるミル・シーに罪悪感がもたげつつも、全員に頭を下げて部屋を出た。扉を閉める直前、誰かが新しくふさわしい話題を振る声が聞こえてほっと息をついた。
本当は用などないのでそのまま自室に戻ろうと廊下を行く。だがミル・シーに言われた言葉がぐるぐると渦を巻き始めた。
(私が、カリス・ルーク様にお会いする?)
眩暈がして廊下の壁に手を付いた。とんでもないことだ。
カリス・ルークと言えば、父君のナリク・ルークが志半ばで倒れられたその意志を継いで、ナリアエルカを統一なさった御方。希代の英雄。異国の血を引く、覇王。『祝福無き女神に呪われし子』と誕生を読まれたのは有名な逸話になっている。けれどあの方はやり遂げられ、呪いは祝福に変わった。
それはリワム・リラの世界を変えた。光を与え、自由を与えた。その時カリス・ルークが自分にとって特別な存在になったことを一瞬たりとも忘れたことはない。もう戦場に立つ怯えを抱かなくてもいいという安らぎ。どこにでも行けるという素晴らしさ。どの人々もひとつの国の民であるということ。
世界を変えた方はどんな姿で心を持つのか、どんな方なのだろうとずっと思っていた。内面を知ることは脚色されている人の噂でしか聞くことが出来なかったが、肖像画は拝見した。異国人の母君の血を引いて肌は白く瞳は青く、髪は父君のように黒く撫でつけてあった。力強い眼差しの青にはどんな風に世界が移るのだろうと想像を巡らせたこともある。色硝子を通したように見えるのか水の底にいるように見えるのかなどと他愛もなく。
あの方に会う――視界に黒い幕が下りるように、とんでもないことをしてしまったという後悔が来た。
父が肖像画を描かせると言った時、流行りの画風で描こうとする画家に願ったのだ。ありのままを描いて下さい、けれど、目の色は黒くして下さい、と。わざと候補から落ちる為だった。金色の瞳などという特殊なものが目を惹くことがないように。間違いがあって姉を差し置いて選ばれるわけにはいかないから。それが裏目に出るなんて思いもしないで。
だからこの事態、姉の肖像画が戻ってきて自分の肖像画が戻ってこない事態は非常にまずかった。
そして、人を呪うとされる金色の瞳を持つ自分が覇王と対面する可能性を考える。可能性があってもこの瞳を合わせて胸を張って会えるわけがない。
だが万が一があって言葉を交わせるかもしれない期待と、姉を差し置いての後ろめたさそして自らの金目の存在に押し潰されそうになって、リワム・リラは大きく喘いだ。
「どうしよう……」